神戸で生まれ育ち、現在はニューヨークを拠点に活動する、新進気鋭のプロデューサー/アーティストのrei brown。昨年リリースされたデビューアルバム『Xeno』は、90年代のポップロックから、ダンス、テクノ、さらにはニューメタルまで、多彩なエレメントを取り入れ、そのジャンルレスなサウンドが大きな話題を呼んだ。ここでは12月に行われたkeshiのジャパンツアーでオープニングを務め、母国である日本の音楽ファンを魅了したことも記憶に新しい彼にリモートインタビューを行い、音楽活動を始めた経緯やデビュー作に込めた思いなどをたっぷりと語ってもらった。
――まずはバックグラウンドからお聞かせください。出身はどちらですか?
rei brown「日本の神戸出身です。18歳まで、ほとんどの時間を神戸で過ごしました。それからボストンのバークリー音楽大学に進学しました」
――音楽一家に生まれたのですか?
rei brown「両親はミュージシャンではないのですが、いつも音楽を聴いていた気がします。母は以前、キーボードやピアノを弾いていたので、音楽の素養がありました。でも、私が子どもの頃に受けた影響は、車の中で音楽を聴いたりしていたことだと思います。母は画家でもあったので、全体的にアートの影響は多かったです。よく美術館などに連れて行ってくれて、絵画や美術を通してたくさんの影響を与えてくれました」
――特定のジャンルに当てはめられないようなサウンドが魅力的ですが、子どもの頃はどんな音楽を聴いて育ちましたか?
rei brown「いろんな音楽を聴いて育ちました。幼い頃は父が車でグリーン・デイやファットボーイ・スリムを聴いていたのを覚えています。クイーンやホイットニー・ヒューストンもよくかかっていました。学校ではDragon AshやORANGE RANGEなど邦楽をランダムに聴いていたので、かなりミックスされた影響を受けていたし、何でも聴いて育ったという気がします。聴きたい曲はすべてインターネットで見つけることができたので、自分の中では地域性もなく、インターネットで世界にアクセスできる環境で育ったというか。その時点で、すでにボーダーレスでジャンルレスだったんです。何を検索しようかな、という感じでした」
――進学先にバークレー音楽大学を選んだ理由は?
rei brown「子どもの頃から歌ったりはしていたのですが、中学生になるまで真剣には考えていませんでした。(中学生になって)ギターを手にして、ギターのレッスンを受けたり、曲を書いたりし始めたんです。でも、バークリーに行ったきっかけは2人の先輩が進学したことでした。校内でもかっこいいミュージシャンという感じの存在だったんです。音楽が得意な彼らがバークリーに行ったんだから、自分も行くべきだな、と思いました。彼らも行ったし、ジョン・メイヤーも行ったし、みたいな(笑)」
――専攻は?
rei brown「ソングライティングです。音楽を作りたくて、SoundCloudにアップしていたんです。すでに自分がやっていること、つまりは音楽を作り、曲を作り、自分でプロデュースするということと宿題が被りそうな専攻を選びました」
――なぜニューヨークを拠点にしたのですか?
rei brown「友だちがニューヨークに住んでいたので、よくボストンから会いに行っていたんです。その時に、自分はボストンではなくニューヨークに住むべきだな、と感じて。卒業から一年後にニューヨークに移ろうと思いました」
――「Xeno」は本当に美しい曲で、多くの人の心に響くと思います。“What am I made of that you’re afraid of (私を形作る何が君たちを怖がらせるの?) / Am I contagious? (私は伝染するの?)”という歌詞を聴いて、どこにいても自分の居場所に感じられないと話していた、ミックスルーツの友人を思い出しました。
rei brown「歌詞の“伝染する”という部分には、深い感情がこもっています。奇妙なことに、この曲はコロナ禍に書いていたので、とても今日的な意味を帯びていました。君はアジア人だからコロナにかかっているはずだ、とか言う人たちがいたんです。それに、成長する中で、私がクィアであることを知っていた信心深い人たちから、他のクィアの人と知り合ってほしくないと思われていた時期がありました。私たちは実質的に離されてしまって、まるで自分たちに伝染性があるか、あるいは自分たちが病気であるかのように感じさせられました。お互いから隔離させられる必要があったんです。だから、この“伝染する”という言葉は、実は私にも非常に奇妙かつ酷い形で影響を与えました」
――こんなにも私的な曲を書くということは、どのような経験でしたか?
rei brown「最初はセラピーみたいなもので、他の誰のためでもなく自分自身のために書いていました。ですので、自分の作品をさほど厳しく批評していなかったように思います。それよりも、これが自分の気持ちで、自分はこのように記憶しているんだ、という感じでした。こんなにも深く私的な曲なのに、ニューヨークでの単独公演で歌ったら観客がコーラス部分を大合唱してくれたんです。とても深くて私的な曲が彼らにも影響を与え、つながりを感じてくれたのだと気づいて、私は泣き出してしまいました。自分が他の誰かにとって意味のある存在になれて、とても満たされた幸せな気持ちになったんです。文字通り“異なるもの”を意味する『Xeno』と題された曲なのに、みんなが同じ空間にいて、つながりを感じることができて。あの曲がみんなを一つの場所に集めて、一緒にあのコーラスを歌うことができたんです。私たちは人とは違っていたけれど、今は一緒にここにいて、安全だと感じ、お互いを結びつけるものがある、そんな皮肉な状況でした」
――このアルバムはとても映画的で、曲を聴いているとシーンが思い浮かぶような気がしました。曲作りででは、どのようなことからインスピレーションを得たのですか?
rei brown「子どもの頃から『Xファイル』をよく観ていて、『世にも奇妙な物語』や『トワイライト・ゾーン』や『ブラック・ミラー』も観ていました。アルバムの大半は非常に『ブラック・ミラー』的というか、各エピソードはそれぞれ違うのだけれど、そこにはディストピアや近未来的なテーマが漂う世界観が広がっているんです。とてもたくさんのインスピレーションがあったので思い出せないけれど、確実にSFからは影響を受けていました」
――ご自身の言葉でこのアルバムを説明するとしたら?
rei brown「他の人には意味がわからないかもしれないけど、私は一時期このアルバムについて、ブリトニー・スピアーズとバックストリート・ボーイズとリンプ・ビズキットがコラボレーションして完成した、『Xファイル』か『ブラック・ミラー』のとあるシーズンのサウンドトラックと説明して楽しんでいました(笑)」
――「Thinking Bout You」でJojiと再びコラボレーションすることになった経緯は?
rei brown「『Thinking Bout You』は、かなり前に書いた曲です。2018年か2019年くらいかな。Jojiと『Normal People』を手がけたときに、その頃に自分が作っていたものをスタジオで流していたんです。『Thinking Bout You』をかけたら、すぐに『その曲に参加したい』と言われました」
――Jojiとは幼なじみなんですよね。二人とも才能豊かですが、昔から一緒に音楽を作っていたんですか?
rei brown「一緒にGarageBandでビートを作ったりしていました。あとは週末や夏休みなど退屈で仕方がない時に、くだらない曲を作って送り合うことでコミュニケーションを取ったり。高校や中学の頃、いつも一緒に音楽を作っていました」
――本作ではkeshiとも再びコラボレーションしていますが、彼の北米ツアーと東京での2公演を含むアジアツアーではオープニングを務めたそうですね。母国である日本でライブをするのは、どんな気分でしたか?
rei brown「長いこと日本から離れていたし、プロとして仕事で帰ってきたこともなかったので、とても美しい、素晴らしい時間になりました。rei brownとして帰ってきて、プレスやファン、フォトグラファーなど、一緒に仕事をしたいと思ってくれる方たちからのサポートを感じることができたんです。日本の人たちは自分を気にかけてくれて、私という日本人がこの仕事をしていることを誇りに持ってくれます。それは本当に心温まるもので、居場所がないと感じていた頃の苦くて悪い記憶とは異なる体験でした。『おかえりなさい』とか『誇りに思っているよ』と言われたような気がしたんです。日本にできた基盤をもっと大きくしたいので、戻ってくるべきだと感じさせられました。それはコミュニティのようなもので、私は日本が大好きなので、もっと日本を掘り下げて人々とつながり、より多くの人たちと仕事をしたいと思っています。日本には才能が溢れていると思います」
――最近ではあなたやJoji、keshi、ジャパニーズ・ブレックファスト、Mitskiをはじめとする、アジア系のアーティストが活躍しています。音楽シーンの中にアジア系のコミュニティがあるように見受けられますが、この状況についてはどう感じていますか?
rei brown「日本育ちの自分にとっては、複雑というか、(感じ方が)違うんです。私はアジアの音楽を聴いて育ち、海外の音楽にしても、カナダのアーティストで日本人のハーフでもあるジャスティン・ノヅカにすごくはまっていた時期があって、海外の音楽といえばジャスティン・ノヅカというイメージだったりしたんです。つまり、もっとアジアのアーティストが活躍する姿が見たい、というような憧れがなかったんですよね。日本中で活躍する(日本人の)アーティストを見て育ったわけですから。アメリカに引っ越した頃には既に88risingが人気だったし、アジア系の人たちがどんどん活躍し始めていました。大学の頃はトロ・イ・モアやTOKiMONSTAもいたし… あまりメインストリームの音楽を聴いてこなかったこともあって、自分が夢中だったジャンルでは常に才能あふれる有色人種の人々が活躍していました。でも、振り返ってみると確かに進歩したように思います。子どもの頃は、アメリカには有名なアジア系アーティストがあまりいませんでした。私たちは大きな進歩を遂げており、多くの素晴らしい有色人種のアーティストが脚光を浴びている現状は見ていて本当にうれしいです」
――音楽以外では、どのようなことからインスピレーションを受けていますか?
rei brown「さまざまな形で、常にファッションからインスピレーションを得ています。最初は身体醜形障害がきっかけでした。子どもの頃から、自分に合う服がないように感じていたんです。それからヨウジヤマモトのパンツを買ったら、自分にとてもフィットして似合うような気がしました。そしてファッションブランドをリサーチしたいと思うようになり、パターンやシルエットなどに深くはまりました。夢中になるにつれてサステナビリティや地球についても考えるようになり、ワークウェアやサステナブルな服、耐久性があって長く着られるものに興味を持って、古着やアップサイクルなどにつながりました。90年代のいろんなものが復活しているので、ある意味、このアルバムにも関係しています。曲の多くは90年代やSFの影響を受けていますが、90年代やY2Kのファッションも復活していて、私はその多くにインスパイアされています。
また、映画や映画のサウンドトラック、アート、建築など、すべてのものからインスピレーションを得ているように思います。意識してはいなかったのですが、私は安藤忠雄の作品に囲まれて育ちました。クレイジーな建築に囲まれて育ったわけですが、物理的な空間との関わり方は、建築や都市デザインに影響されるものですよね。音楽や映画と同じように、神戸の美味しい食べ物や素晴らしい建築にも恵まれていたように思います。それによって客観的に良いセンスを与えられたというよりも、たくさんの思いが注がれたもの(に囲まれて育った)おかげで、自分の作品にもたくさんの思いを注ぐようになったのだと思います」
――これからの活躍も楽しみです。今後の予定は?
rei brown「実は4週間後に、またkeshiのヨーロッパツアーに同行するかもしれないです(笑)。あとはマディソン・スクエア・ガーデンとLAのザ・フォーラムで行われるJojiのライブに参加します。1月上旬にはLAに行って、Lecx Stacyをはじめとするプロデューサーと作業する予定です。マディソン・スクエア・ガーデンでのライブまでに、たくさんの新曲ができるといいなと思っています」
――日本のファンも楽しみにしていると思います。
rei brown「日本のファンのことが大好きだし、自分の音楽を聴いてくれて、とてもうれしいです。これからはもっと彼らと交流して、また日本でライブをして、コミュニティを築いていきたいです」
photography Marisa Suda (IG)
text nao machida
rei brown
『Xeno』
Now on Sale
https://reibrown.bandcamp.com/album/xeno
rei brown
https://www.reibrown.com