jan and naomiのnaomiが、2020年12月にソロ1st EP『2021SS』をリリースした。サッドコアを彷彿させる内省的なサウンドと歌は、2020年と対峙した一人の音楽家の美しくも厳しい、そしてどこまでも生々しい抒情詩としての音楽作品という印象を受ける。拭いきれない大きな喪失感と、自分が見つめているあきらめたくない感情の発露としての微かな望み。それが、本作がまとっている気高さと親しみへ昇華されているように思う。naomiはなぜこのタイミングでソロ作品をリリースしたのか。その理由やファッションのシーズンに倣って半年置きにソロ作品をリリースしていくという今後の展望も含めて真摯に質問と向き合い、語ってくれた。
──naomiくんにとって2020年はどんな1年でしたか?
naomi「jan and naomiのアルバムを2枚同時リリースしたのが2020年5月で。その制作を2月くらいまでやっていたので、アルバムを作り終えたころにはもう新型コロナウイルスが猛威をふるい始めていたから。なので、アルバムのリリースライブも組めないし、プロモーション稼働もなかなかしづらい状況で。そこでやれることといったら曲作りくらいしかなかったので、2月以降はずっと曲を作ってた1年でしたね」
──ずっと家に篭もって曲を作っていた?
naomi「篭もってましたね。当初はjan and naomiの2枚のアルバムをリリースしてから、レコード会社と契約して2、3年でアルバムを2枚作って、さらにその先には自分たちだけで(インディーズ体制で)アルバムを1枚出すという3、4年先までの計画を立てていたんです。一方で、jan and naomiとしていろんなアルバムを作っていく中で音楽性も変化していくだろうから、別のアウトプットとしてソロもやりたいとはビフォア・コロナから思っていたことで。けれど、コロナの影響で3、4年先まで見据えていた計画が崩れてしまって。それもあってかなり先が見えない中で曲を作っていた2020年でしたね。ただ、新しく作る曲はjan and naomiではなく、ソロだなという気持ちはあったので、2020年に作った曲はソロのためというマインドではありました」
──jan and naomiが5月にリリースした『YES』と『Neutrino』という2枚のアルバムは前者がnaomiくん、後者をjanくんが独立した形でプロデュースしたもので。その流れもソロに向かう布石になっていたのかなと思うんですけど、そのあたりはどうですか?
naomi「jan and naomiはjanも俺も曲を作れるから、今までは2人で曲を持ち寄ってそれをバランスよく混ぜて形にしてきたんですけど。あの2枚のアルバムは2人でそれぞれ曲を作って、それぞれの曲で1作ずつ形にしようとなって。でも、それはマイナスなことではなくて。jan and naomiとしてのjanの中には俺がいるし、naomiの中にもjanが内在している。jan and naomiという看板を掲げている以上、一人でも俺らはjan and naomiであるという自負を持っていて。やっぱり2人組だからメンバーや友だちというよりも、兄弟みたいな感覚があるんですね。それくらいすごく奥深いところでつながっているという意識が強くある。だから、それぞれが作る曲に互いが関与しなくても、彼が作った曲は俺が作った曲ということも言える。それもあって2枚のアルバムをそれぞれが作ったんですよね」
──jan and naomiとして歩む今後の音楽人生において、あの2枚のアルバムを作るのは必要な季節だった?
naomi「必要な季節……そうですね。自分が作る曲に対してお互いに譲れなかったから。自分が思い描いた通りに100%やりたいとお互いに思ったし、なおかつ信頼関係があるから俺が関与せずにjanが進めていく曲に対して何も違和感を覚えなかった。俺が『YES』というnaomi盤を作るときもjan and naomiという名義のもとに発表される作品だから、俺の中にはめちゃめちゃjanがいたんです。janの名前を傷つけちゃいけないという気持ちもあったから、そこは今回のソロとは作るうえでの意識は違いましたね。アウトプットは今回のソロと似ていたとしても、『YES』に入ってる曲を俺がほぼ一人で作ったとしても、やっぱりjan and naomiの作品なんですよね」
──COVID-19の影響もあって、jan and naomiのプランは白紙になってしまったけれど、今はお互い音楽家として、人間として、自己対峙する時間だと捉えているのかな。
Naomi「本当にそうですね。もちろんコロナ禍になる前のほうがjanと連絡は取り合っていたし、それに比べたら少なくなりました。また夜明けが来るまでそれぞれの時間を過ごしながら待とうという感じですね。正直、ずっと篭もって曲を作っていたから、気が滅入ってましたけどね」
──曲を作ることで自分のマインドをキープするような実感はなかった?
naomi「それはありました。本当にすべての計画が崩れ落ちたし、今もその悪夢を見ている時間が続いているから。だからこそ、自分が納得して自信を持てる曲ができたときだけが救いでした。今回の作品は基本的に一人で完結しようと思っていたんですね。このソロアルバムを仕上げていったのは2020年9月から11月頭くらいだったんですけど。そのときは少し感染状況も和らいでいて、世の中的にも外に出てもOKという空気になっていたんですけど、それでもなるべくこのアルバムは一人で作り上げようと思って。歌録りも家でやったことがなかったから、やっぱりレコーディングスタジオってすごいなと思ったし、最初は自分が作る曲に救われていたけど、仕上げの作業がすごく難しくて。自宅の録音環境も満足いくものではないし、客観的な意見をくれる人もいないから、もっと上手く歌えると思ってテイクが無限に重なっていったり。上手くできないストレスでけっこう大変でしたね。みんな命を懸けて作品を作ってるんだけど、本当に命が懸かっていたなと」
──本当にタフな制作期間だった。
naomi「すっごくタフな時間だったし、おそらく人生で一番つらい時間でした。いろんな人がそう思っているだろうけど、たぶんこの先もこんなにつらいと思う1年はないだろうなと思うくらい。今も社会的な状況は好転してないですけどね」
──このアルバムに収められている曲はどれも内省的だとは思うけど、今の状況と真っ向から向き合っているからこその揺らぎというものを、美しく、厳しさも持たせながら生々しい様相で描いていると思いました。そして、そのうえで特に「Tokyo」は今をあきらめたくないという意志が前に出ているなと。
naomi「そうですね。歌詞は内省的かつ悲観的に物事を見ていると思うんですけど、今回、こういう状況で作った曲たちだから、むき出しな言葉で歌いたいと思ったし」
──「Tokyo」を日本語で綴ったのもそういう意識から?
naomi「ソロの曲を作るときにいろんなことを考えたんです。3、4月はたくさん曲を作って、5曲くらいできたときにこれを仕上げようって思ったんだけど、あらためて曲を聴いてみると湿っていたし、陰鬱な感じだったんですよ。これを秋くらいにリリースするのは暗すぎるなと思って。コロナの状況がもう少し落ち着いたときに『2020年の3、4月はこういう気持ちだった』ということで置いておこうと思って。そこからまた5、6月に曲を作っていったんです。そこではソロだからもっとjan and naomiとは違うことをしなきゃいけないんじゃないかと考えすぎてしまったところがあって。で、そういうことを考えるのはやめて7、8月は無心で曲を作っていったんです。そうするとjan and naomiとテイストは似てきたんだけど、それでもやっぱりソロで新しいことにチャレンジするという気持ちがあったから『Tokyo』が日本語詞になったのかもしれないですね」
──資料によると、「Tokyo」は鍵盤を佐藤優介氏、ベースをDaddy Naoki氏、ギターをRiki Hidaka氏と林宏敏氏、そして一度だけレコーディングスタジオに入ってドラムを佐藤謙介氏に叩いてもらったと。この曲のグルーヴがまとっているオープンなマインドはそれもかなり大きいですよね。
naomi「『Tokyo』は派手なサウンドにしたかったんですよね。派手なサウンドで切ないことを歌う曲にしたくて。あとは、正直に言えば人に会う口実を作りたかったというところもあります。ずっと自宅に篭もって曲を作っていたから、3月くらいから半年は人にほぼ会ってなくて。レコーディングを口実に人と会って話したいというのはあったかもしれないですね。それで一回だけドラムとギターを録るためにみんなにスタジオに来てもらって」
──あらためて「Tokyo」という曲を書いた意義を自分自身ではどう感じていますか?
naomi「日本語の歌詞を書く楽しさはありました。聴いてくれた人の感想を聞くと、歌詞のことを言及してくれる人が多くて。これまでも英語の歌詞をテキトーに書いてきたわけではないんだけどなと思いながら、やっぱり日本語だからこそ伝わる部分があるんだなって。『Tokyo』の歌詞をプラスに捉えてくれる人が多くて新鮮でした。『Tokyo』ができたことで日本語の歌詞を今後もトライしてみたいという気持ちになりましたね」
──「Tokyo」のみならず作品全体を通して喪失感に覆われているんだけど、でも、微かな望みを入れたいという思いを感じるんですね。
naomi「そう。望みは入れなくてもよかったんですけどね。望みなんてないから。けど望みを入れないとキツいだけだなと思って。自分の心境を本当に歌えば望みなんてないという結末になると思うけど、そこは嘘をついてでも鼓舞しないといけないのかなって。それは自分自身もそうだし、聴いてくれる人のことも。鼓舞というか、希望の光はないとなって。そこだけは意図的でしたね」
──でも、結果的にそういう曲にしてよかったと思いませんか?
Naomi「そうですね。本来は曲を作るときに作為的になりたくないタイプなんですよね。このあとにこの音がきたら気持ちいいみたいなルールがあるのならそんなの知らないし、知りたくない。自分ができるかぎりのことを精一杯やるという作り方しかできないし、このEPもそうやってできたけど、この4曲の最後にもし光みたいなものを感じてもらえるなら、それだけは意図したという感じですね」
──「Tokyo」は東京という街に対する愛憎が入り混じっているところがリアルでもあると思う。
naomi「愛憎ですね、たしかに」
──でも、それを生のサウンドでグルーヴさせていることが重要だと思うんですよ。
naomi「そうですね。俺にとっての東京は東京タワーとかスカイツリーではなくて、俺がよく行くお店であり、そこに集う人というくらいのレベルの話で。自分が直接知ってる人たちの顔やお店の情景を浮かべながら作った曲なんですよね。振り返ると、ビフォア・コロナは幻だったと思うじゃないですか」
──1年でこんなにも意識が変わるものかと思いますよね。
naomi「うん。毎日が何も考えないでオートマチックに進んでいた気がするから。今は本当にロッククライミングをしてるような日々で。『どこが硬いかな? ぬかるみはないよね?』って確かめながら進んでる。それは原始的というか、動物的に毎秒を過ごしてる気がするんですよね」
──それでも以前の記憶の息吹は愛しいまま自分の中に残ってもいるし。
naomi「愛おしいです。盲目的で自動的に毎日が過ぎていたとしても愛おしいですよね」
──これからの東京にはどうあってほしいですか?
naomi「ん〜……。いや、東京に対しては何も思わないけど、俺の友だちとか知ってる人には元気で、健康で生きてほしいし、生きていこうぜという気持ちがあります。好きな店にもつぶれてほしくないし。生き抜くしかないよなと思います。特に自分の近くにいる音楽や飲食をやってる人にはそう思います」
──まず精神的に死んでしまうことが一番怖い。
naomi「そう。2020年は自分もそうならないようにがんばらなきゃって思ってました」
──だからこそ、少なくともnaomiくんはこの作品を作ってよかったですよね。
naomi「そう。苦しかったとはいえ、自分の曲に救われた部分もあるから。この状況をどう打破するかがモチベーションにもなったし。だからこそ、定期的に作品を発表することも決めて」
──ファッションのサイクルに倣うようにして、“SS”、“FW”とシーズンごとに作品を発表していくスタイルにした理由ですね。
naomi「そうなんです。結果的に半年ごとにリリースしていたということでもいいかもしれないけど、俺は誰と契約してるわけでもないし、タイアップが決まっているわけでもないから。いつリリースしてもいいんだけど、1年ってあっという間に過ぎちゃうから半年に1作リリースすることを宣言して後に引けない状況を作りたかった。だから気合十分で2021年を迎えたという感じです。やるしかないなって。あとは、たとえばこの『21SS』を聴いて、『この人はjan and naomiというバンドをやってるんだ』って気づく人がいて、そこでjan and naomiの『YES』を聴いたら『21SS』と近いものを感じると思うから。そこから『この人の相方はどんな音楽をやってるんだろう?』って『Neutrino』を聴いたら『全然違う部分があるんだ!』って感じると思う。そこからさらに遡って2018年にリリースした『Fracture』というjan and naomiが2人で作ったアルバムを聴いてもらったら『2人が混ざるとこういう感じになるんだ』って知ってもらえると思うんですよ。つまり、俺のソロを発端としてjanの魅力にもたどり着いてもらえたらいいなと思ってます」
──すごくいいと思います。すでに『21FW』に向けて動き出してるということですよね。
naomi「はい。アパレルのFWは2月から3月くらいに発表されるから、何曲になるかわからないけど、同じくらいのリリースを目指して自分の中のベストをこれから仕上げていきたいと思ってます。曲自体は『22SS』まであるので。だから早く新しい曲を作りたいモードになってます。2020年に作った曲とずっと向き合ってると、2020年のモードのままだから。2021年になってもコロナは全然明けてないけど、自分のマインドはソロを発表して切り替わってる部分もあるから。早く曲を作りたいです」
──また友だちのミュージシャンを呼んでもいいだろうし。
naomi「そうですね。この曲にこの人を呼びたいというのは決めてないけど、ファッションではシーズンごとにコラボしたりするじゃないですか。そういうところを倣ってもいいと思うし。ファッションに倣うことで何が一番デカいかというと、彼らは一つのシーズンを終えたらすぐ次のシーズンに向かっていくんですよね。その姿勢がすごく刺激的で感化されたので」
──シーズンごとのテーマに沿ってコンセプチュアルな作品を作ってもいいだろうし。
naomi「まさに。もしかしたら『22SS』は2020年に作った曲を入れるのはやめてコンセプトを設けて全部新曲にするかもしれないし。あとは俺じゃない誰かに歌ってもらってもいいかもしれない。たとえば日高がRIKI by riki hidakaという名義で作品を出していたように、あいつの了承は得たのでnaomi by naomi paris tokyoという名義でやっていいかもしれないし」
photography Yudai Kusano
text Shoichi Miyake
edit Ryoko Kuwahara
Special Thanks Shimokitazawa Garage https://www.garage.or.jp
3-31-15 Kitazawa Setagaya-ku Tokyo Tel. 03-5454-7277
naomi paris Tokyo
『21SS』
発売中
M1 Ballad
M2 Tokyo
M3 Sun
M4 Arms
Distributed by Caroline International
https://caroline.lnk.to/21SS
【naomi paris tokyo】
jan and naomiのnaomiのソロ名義。jan and naomiは2012年結成後デュオとして活動開始 し、2014年に1stシングル『A Portrait of the Artist as a Young Man/time』のリリースを皮切りに、2016年にはフジロックフェスティバルに出演。ファッションショー、教会、アート スペースなどでライブを行い、国内のみならず、アジア圏でのツアーを成功させるなど、彼らの音楽に寄り添う独自のパフォーマンスを切り開いている。2020年5月20日、janと naomiがそれぞれプロデュースをしたアルバム『YES』と『Neutrino』を同時発売した。 naomi paris tokyo名義では、2020年12月に1st EP「21SS」を発売。
Instagram:https://www.instagram.com/naomi_paris_tokyo/ Twitter:https://twitter.com/naomiparistokyo