『夏時間の庭』や『アクトレス 女たちの舞台』で知られるオリヴィエ・アサイヤス監督の映画『冬時間のパリ』が、12月20日より全国順次公開される。フランスを代表するフィルムメーカーによる待望の新作の舞台は、紙からデジタルへの変化を迫られるパリの出版業界。編集者と女優、作家と政治家秘書という2組の夫婦の入り組んだ男女関係を、デジタル革命によって変わりゆく世界についての議論を交えながら、ユーモアたっぷりに描き出す。メインキャストは、ジュリエット・ビノシュ、ギョーム・カネ、ヴァンサン・マケーニュ、ノラ・ハムザウィら。美しいパリの街並みを背景に、登場人物のウィットに富んだ会話によって進行するラブストーリーだ。日本公開を前に来日を果たしたアサイヤス監督に、新作の背景やデジタル革命の目撃者としての考えを聞いた。
——出版業界がデジタル化の影響を受けているのは日本も同じなので、とても興味深い作品でした。
オリヴィエ・アサイヤス監督「本作では登場人物たちがデジタル革命について討論していますが、シナリオを書きながら、観客も完璧に参加できるような内容だなと思っていました。劇中では彼らがいろいろ話していますが、そこに観客の視点が加わって、補完してくれたらいいなと思いながら書いていたんです」
——映画を観ていると、彼らの会話に入りたくなりますよね。
オリヴィエ・アサイヤス監督「そうですね。役者に対して答えを返したいような気分になりますよね(笑)」
——出版業界に限らず、映像や音楽の世界でもデジタル化が進んでいますが、“変わりゆく世界”を描く上で出版業界に焦点を当てたのはなぜですか?
オリヴィエ・アサイヤス監督「本作で出版業界を舞台にした理由は、それが今の世の中で起こっている“デジタル革命による大きな変化”を一番手っ取り早く要約できる世界だったからです。でも、実はデジタル革命による変化はアートの世界だけでなく、あらゆる領域で起こっているんですよね。たとえば建築や職人の世界もそうですし、家具を作っている人たちや水道屋、銀行のシステムだって影響を受けています。デジタルによる変化というのは包括的なもので、かつ、とても根が深いものなんです」
——確かにそうですね。
オリヴィエ・アサイヤス監督「その中でも出版の世界を選んだのは、本は古代からあるものだから。本のように世界を形作ってきた基礎的なもの、我々が永遠だと思っている基礎の部分でさえも、デジタル化の波によって揺り動かされているという意味で、観客が理解しやすいのではないかと思ったのです。もちろん、映画の世界でもデジタル化は20年くらい前から始まっています。でもそれは非常に技術的かつ産業的なものなので、説明しても観客にはちょっと遠い世界に思えてしまうかもしれません。その一方で、紙媒体で読むのか、あるいは電子書籍で読むのかという選択は、とてもわかりやすいと思ったのです」
——デジタル媒体では文章も“コンテンツ”として語られることが多く、文学とは距離を感じます。監督はコンテンツという言葉についてどうお考えですか?
オリヴィエ・アサイヤス監督「僕自身のボキャブラリーにコンテンツという言葉はありません(笑)。どちらかというと、コンテンツはハードウェアに携わっている人たちが考えていることですよね。ケーブルテレビやストリーミングだとか、その中に何かを埋め込まなければならないわけです。スクリーンだとか、コミュニケーションのためのスペースに入れ込むものをコンテンツと呼んでいて、芸術作品だとか、文学や本とは真逆のものです。コンテンツは流動的なもので、そこに流し込むようなイメージがありますが、本や文学は絶対に流し込めないもの。ちゃんとはじめがあって、真ん中があって、終わりがあるような、一つのまとまりがある独自のものなんです。それが縦横無尽に形を変えて、コンテンツとして流し込まれていく。そういうものなのではないかと僕は思っています」
——なるほど。
オリヴィエ・アサイヤス監督「ただ、ちょっと希望があるのは、本はデジタル化の流れにまだ対抗していますよね。実は文学の世界では10年くらい前に、Eブックに占領されて本はなくなるのではないかという危機感が叫ばれていたんです。しかしながら、今でも本は売れ続けていますし、電子書籍のマーケットシェアの方が減っているくらいです」
——監督の前作『パーソナル・ショッパー』では、主人公が携帯メールによって心理的に操作されていました。一方の本作は、デジタル革命というまさに現代的なテーマを描いていますが、ひたすら人と人との会話でアナログに描かれているのが印象的でした。
オリヴィエ・アサイヤス監督「確かに『パーソナル・ショッパー』では、今の我々が生きている現実の一部としてデジタルの世界を描きました。インターネットは人間の無意識の延長にあると考えています。ネット上では一つのページから別のページへとサーフィンしますよね。その仕組みは、一つのことを思い浮かべたら次のアイデアに行くような、我々の思考が連鎖していく様子と似ているんです。目に見えるものと見えないもの、触れるものと触れないもの、そういうところの間にインターネットが存在していて、現代社会は良くも悪くもインターネットに影響を受け過ぎているところがあります。でも、『冬時間のパリ』に関しては、あくまでも喜劇です(笑)」
——はい、たくさん笑いました(笑)
オリヴィエ・アサイヤス監督「『パーソナル・ショッパー』は主人公が一人で、その人の内面を描いた内省的な物語でした。『冬時間のパリ』では登場人物のみんなが語り合い、討論しています。それはある意味、一人の人間の内省的なものではなくて、集団の考察になっているんです。デジタル革命の変化にそれぞれの人がどのように対応しているか。様々な考え方がぶつかり合う、グループの考察になっています」
——劇中でネットに疎い作家のレオナールは、書店が開いたイベントで参加者から指摘されて初めて、私小説を得意としてきた自身がネット上で炎上していることを知ります。ネットでは道徳的な正しさについて厳しく問い詰めるユーザーも少なくないですが、そもそもアートとは表現の自由が保証されるべき世界ですよね。アート自体が変化していく中で、人とアートの関係も変わってきているのかなと感じるのですが、監督はどう思われますか?
オリヴィエ・アサイヤス監督「その通りですね。おっしゃったことのすべてに納得です(笑)。アートというのは表現の自由が100パーセント保証されているべき分野です。ある意味、アートというのは、ある種の無責任さを伴ってもいい領域なわけです。もしそこで自己検閲や自己規制をしてしまったら、もうそれはアートではないと思っています。確かに今はインターネット上において、道徳的な視点でジャッジする警察のような人たちがいて、それは忌まわしいことだと思っています。だから僕自身はSNSにまったく興味がないし、読んでもいないです。自分の仕事に関わることでも、まったく目を通さないようにしています。もちろん、時間がないということが最大の理由ですが、それと同時にTwitterなどの限られた少ない字数では、アートの複雑性は語れないと思うんです。ツイートは我々がすべき討論やディベートに何ももたらさないと僕は考えています」
——SNSとアートの関係も難しいですね。
オリヴィエ・アサイヤス監督「傾向として良くないと思うのは、SNSがアートに対する憎悪やネガティブな感情を容易に吐き出すツールになっているような気がします。それは僕にとって、すごく居心地が悪い、息の詰まるようなものです。僕は昔々、映画の批評家をしていましたが、確かに作品をこき下ろすのは非常に簡単です。良いところを見つけて、作品に対する愛情や敬意を表現する方が骨の折れることなのです。インターネットはネガティブな感情を安易なツールで全世代が吐き出す、一つのチャンネルになってしまっているような気がします」
——デジタル革命による変化と共存していく上で、本作を観ていろいろと考えさせられました。劇中に登場する「山猫」からの引用である“変わらぬためには、変わらなければならない”という言葉が印象的でしたが、この映画を作ったことで監督の考え方に変化はありましたか?
オリヴィエ・アサイヤス監督「僕自身はデジタル化に関して、一つの視点を持っているわけではないんです。それを求められたこともないですし、変わりつつある社会の変遷を一人の証言者として、目の前で見ているだけです。だから社会がデジタル化していっても、僕の考え方や生き方や仕事のしかたは自分自身が持っていればいいことなのです。たとえばそのようなテーマを映画で描くときも、僕は表現の自由を行使しつつ描いているつもりです。僕のこのような作品が討論のきっかけになって、それを豊かなものにしていくことができればうれしいです。観客の皆さんも当事者なわけですから、僕の映画を観ることによって、何か自分自身の解決策を見出したり、あるいは今起こっていることを少し理解する手助けになったりすればいいなと思っています」
——今後のご活躍にも期待しています。
オリヴィエ・アサイヤス監督「僕は映画を作っている映画監督なわけですが、映画の素晴らしい特質は、自分自身も映像の世界に属しながら、また違う別の映像の世界を描けるというところです。そこがすごく特殊だなと思っています」
text Nao Machida
『冬時間のパリ』
12月20日(金)のBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
http://www.transformer.co.jp/m/Fuyujikan_Paris/
敏腕編集者のアランは電子書籍ブームが押し寄せる中、なんとか時代に順応しようと努力していた。そんな中、作家で友人のレオナールから、不倫をテーマにした新作の相談を受ける。内心、彼の作風を古臭いと感じているアランだが、女優の妻・セレナの意見は正反対だった。そもそも最近、二人の仲は上手くいっていない。アランは年下のアシスタントと不倫中で、セレナの方もレオナールと秘密の関係を結んでいる。時の流れと共に、変わりゆくもの、変わらないもの――それは何?
本作はエリック・ロメールの『木と市長と文化会館』に着想を得た、オリヴィエ・アサイヤス監督の新境地ともいえる作品。魅力的な冬のパリを背景に迷える男女の愛の行方とパリの出版業界を共鳴させつつ、洗練された会話とユーモアで活写していく。出演は、是枝裕和監督の最新作『真実』も話題の大女優ジュリエット・ビノシュや、監督としても活躍するギョーム・カネ、ポスト・ジェラール・ドパルデューと称される『女っ気なし』のヴァンサン・マケーニュ、人気コメディエンヌのノラ・ハムザウィ、そして『木と市長と文化会館』で主演を務めたパスカル・グレゴリーがニヤリとさせられる役どころで出演する。
監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス『夏時間の庭』『アクトレス 女たちの舞台』 撮影監督:ヨリック・ル・ソー『ミラノ、愛に生きる』製作:シルビー・バルト『COLDWAR あの歌、2つの心』、シャルル・ジリベール『パーソナル・ショッパー』
出演:ジュリエット・ビノシュ、ギョーム・カネ、ヴァンサン・マケーニュ、クリスタ・テレ、パスカル・グレゴリー
2018年/フランス/フランス語/107分 原題:Doubles Vies 英題:Non-Fiction 日本語字幕:岩辺いずみ 協力:東京国際映画祭
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本 配給:トランスフォーマ
©CG CINEMA / ARTE FRANCE CINEMA / VORTEX SUTRA / PLAYTIME TWITTER:1220paris
オリヴィエ・アサイヤス監督
1955年1月25日、パリに生まれる。画家、グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートし、フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の編集者として文化とテクノロジーのグローバル化への興味を追求しながら、1980-1085年、自身
の短編映画製作を始める。長編初監督作『無秩序』(1986)がヴェネツィア国際映画祭で国際批評家週間賞を受賞。これまで、世界的な認知をもたらす、豊かで多様な作品を一貫して発表してきた。『夏時間の庭』(2008)はニューヨークタイムズ誌による「21世紀の映画暫定ベスト25」に選ばれている。また、映画に関するエッセイ、ケネス・アンガーの伝記、イングマール・ベルイマンとの対談を含む数冊の本も出版している。