食料自給率100%を超える、豊かな自然に囲まれた鹿児島県長島町。そこに1年前にやってきて食堂で働く茜(貫地谷しほり)は、自身ことをあまり話さない謎に包まれた存在だ。一方、島の名産物であるブリの養殖業を営む五月(山田真歩)は夫と母とともに里子である豊和(とわ)を育ててきた。豊和の特別養子縁組申請を控える中、生みの母親の所在が判明し、その背後に東京のネットカフェで起きた乳児置き去り事件が浮かび上がるーー。7年前に何があったのか。何をもって“親”は親たりえるのか。対照的な人生を歩んできた二人の女性の目を通し、現実社会でも後を絶たないDVや乳児遺棄などの問題、そして表立って議論されることが少ない不妊治療や養子縁組などに、『海辺の生と死』の越川道夫監督が正面から挑んだ本作で、子どもを手放した生みの母親という難しい役所を演じた貫地谷しほりに、役作りについて、また作品内で描かれる貧困をはじめとした社会問題への向き合い方などを聞いた。
――作品を拝見して、心をすごく揺さぶられるシーンがいくつもありました。ご自身も毎日心が波立っていたとおっしゃっていて、その感情の揺れを作品を通してとても感じたのですが、同じ女性として葛藤したシーンなどはありますか。
貫地谷「お乳を絞るシーンですね。本当は一緒にいたい、愛する子どもにあげたくて作っているのにあげられない。しかも実際に授乳経験のある方に、お乳を出さないと胸がカチカチに張ってしまってすごく痛いし、そこからまた出すのも痛いと聞いて、このシーンはなんて切ないんだろうと思いました」
――本作では「私だったら」という気持ちは捨てて毎日現場にいらしたということですが、それはなぜだったんでしょう。
貫地谷「自分の意見を持たないということはそれも罪だなと私は思っているんですけど、今回は『私だったら』という思いを持つとそこに善悪が発生する気がして。ずっと不妊治療を続けていて、やっと養子をもらって幸せな毎日が訪れたところに『もう一度この子と暮らしたい』と生みの母親が出てくる……本作を観て多くの人はこの状況下にいる五月に感情移入すると思うんですよね。でも、私の役は今回そうではなかったというのも理由の一つです。実際の私は子どももいないですし。そして両親に愛されて育っています。その私が自分とはかけ離れた環境にいて、選択肢が一つしかなかった茜という女性を演じるとなった時、私の想いのみで寄り添うなんて到底難しくて。だから『私だったら』という気持ちを意識的に持たないようにしていました。
役者とはすごく不思議なもので、いろんなタイプの方がいると思いますが、私は自分の中にないものは役としても出ないと思っているんですね。日々経験したものだったり、自分の中にあるものをどういう形で引き出すかということ。その中で、自分とは離れた存在である茜として立った時に自分の中からどういう感情が出るのかわからなかったけど、そういう風にいることが大切だと思いました。頭で考えすぎて茜という人物像を勝手に仕立て上げたくなかったんです」
――実際に茜として撮影の場に立ってみていかがでしたか。
貫地谷「毎日辛かったです。劇中ではほぼカットされているのですが、感情が高ぶって泣いてしまうシーンがあって、最後はほぼ毎日そんなシーンだったので。あれらのシーンが入っていたらもっと重かったと思います。でも越川監督はそういう見せ方をしたんだなって」
ーーそうなんですね。そういう中では越川(道夫)監督とのコミュニケーションが重要になってきたかと思います。監督の現場はどのようなものでしたか。
貫地谷「監督にはお子さんがいらっしゃることもあって、撮影の際に『僕にはこのような選択はできないと思うけど君ならどう思う?』という風におっしゃっていて。私自身の中にもモヤモヤとした疑問がある中で、どういう疑問があるか、なぜそこが疑問なのかというようなことをはっきりと問いかけてくれる監督でした」
―それは導くという形ですか?
貫地谷「導くというよりは、問いかけられたという感じです。私の場合はそうでしたが、子役の豊和くんは今回の作品が初めての出演だったので、また違ったコミュニケーションをたくさんとられていましたね」
――なるほど。『夕陽のあと』というタイトルは非常に秀逸だと思いました。東京だと灯が多いですが、この現場(鹿児島県長島)だと人工的な光も少なくてその時間帯は自分と向き合う時間になっていたのかなと。茜はその時間にどのようなことを考えていたんでしょうね。
貫地谷「監督が撮影中に、『茜は夕陽を見ると怖かったんじゃないか』とおっしゃっていたんです。飛び降りるシーンでも夕陽でしたよね。その時の印象があって怖かったんじゃないかって」
――ああ、確かにそのシーンはとても強いインパクトがありました。貫地谷さんが個人的に好きなシーンはありますか。
貫地谷「そうですね……秀幸さん(福祉課職員/川口覚)と居酒屋に行って説得されて、お店を出る、その出てからのシーンです。あれはワンカットで撮っているんですが、『一度失敗した母親にはチャンスはないの?』というセリフには、お母さんに限らず、きっといろんなことで同じ想いを持っている人がたくさんいるだろうなと。私も共感というか、自分の中にも思い当たる部分があったからだと思うのですが、本当に胸がえぐれるセリフでした」
――あのセリフに私もドキっとしました。今の社会って一回失敗した人は認めてもらえない風潮があると思います。この作品を通して社会の見方やそのような人たちへの思いで変わったところはありますか。
貫地谷「何をするにも変わっていくことは、すごく勇気がいることなんだって。子役の豊和くんは長島の子で、今回が初めてのお芝居だったので、最初のシーンではセリフが全く出てこなくなって、『大丈夫?』と聞いたらその瞬間に泣きだしてしまったんですね。しばらくやってみたんですが、それでもおさまらなくて、一緒に来ていたお父さんの胸の中で泣いて、おさまったかなというところで頑張ってセリフを言ってくれたんです。そういう風に何かを乗り越えることや変えようとすることは、いくつになってもそれなりに勇気がいる。それを豊和くんの姿から改めて学ばせてもらいました。失敗してなかなか立ち直れない社会の風潮があるということに関しては、想像力を持つということがすごく大切だなと思っています。『自分はこう思うけど、あの人はどう思ったんだろう』とそれぞれが考える。根深い問題だから私のこんな一言では片付けられないですけど、そうすることでいじめの問題なども少しは良い方向に踏み出せるのかもしれないですし、子どもは大人を見ているので、大人が勇気を持って一歩踏み出していくことが、教育という意味でも自分の人生のためにもすごく大事なことだなと思いました」
――物語の最後に一応の結末がついたと思うのですが、私は実はこの結末に納得いっていない側の人間で。豊和くんは、物語内ではまだ意思決定ができない状態にあります。最近は多様な家族の形態もあるので、物語の後、成長した豊和くんが事実を知ってみんなで暮らすこともできるし、自分なりの選択もできるのかなとも空想しました。ご自身が作品を観る側に立った時、この物語の「その後」にどのようなことを思い描かれましたか。
貫地谷「カットされていますが、本当は最後のシーンで号泣しているんですよ。想像でしかない私ですらこんなに引き裂かれるくらい辛い思いをしていて、でもそんな自分の思いより、今は子どもにとってこれが一番いいんだと信じているということですよね。それは母親の強さだと思いました。私は、あの結末で茜が初めて自分のことだけではなく、子どもにとって何が一番いいかを考えて選択し、本当に母親になれた部分があると思うんですね。だからさっきおっしゃったみんなで暮らすという選択肢があったらそれがもちろん一番いいんじゃないのかなと思ったり、でも新しい家族形態を全ての人が受け入られるわけではないから大変な道かもしれないしとかいろんなことを考えますが、彼女がこれからどんどん人として強くなって、豊和くんをどのような目線で見守っていくのかに一番興味があります」
――人の痛みに対して想像力を持って接することが大切だとおっしゃっていましたが、想像力はある程度自分で養っていくことも必要だと思っています。ご自分の想像力はどのように養われていったのだと思われますか。
貫地谷「私の家族が、私のことを全部自分ごとのように考えてくれるとても感受性の強い家族だったことは影響していると思います。あとは自分自身、傷つきながら学んできたのもあるし。20代はほぼ自分の気持ちを無視して生きてきた時間だったので、30代に入る頃、すごく悲しかったり悔しかったりした時に初めて自分と向き合ってみて。スポーツとか何か自分と向き合うことをやっていたらもっと早くこういう気持ちになっていたかもしれないんですけど、私は挫折することの大切さを30過ぎてから知ったんです(笑)」
――その挫折した時に腐らずに原因に向き合ったことで養われた?
貫地谷「いえ、腐ってました(笑)。友達にも同じ時期に腐ってた子がいて、一緒に腐っていて。結局は人にすくい上げてもらったんですが、そこから人の感情についてより深く考えたり、想像するようになったんです。その時期に、ドラマで受験生のママの役をやったら実際はもっとすごいんだよとかいろんな人に話を聞いて、大人の社会でそういうことがあるうちは子どものいじめもなくならないし、自分はそうしたくないと思ったことがあって。大人でも誰かの悪口や愚痴が出てきてしまうことはあるし、私もあんなことを言ってしまったと後悔することがあるんですが、後で悔やむようなことをしてしまうというのは結局のところ自分を傷つけているし、大事にしていないんじゃないかと思ったんです。自分を本当に心から大事に思うことで、人に優しくできるんじゃないかって。だから今は自分を傷つけないためにみんな生きてほしいと思っています」
――その通りだと思います。作品の中では、困窮に直面している人は救ってもらうにもその方法や情報にリーチできない。そのようなシステムや情報を知らずに一人で抱え込んで疲弊していということも描かれていました。そのような人たちに向けて、映画や役者業、もしくは個人的にでも、セーフティネットというか、情報や方法を届けるためにできることはあると思いますか?
貫地谷「やっぱりまずは関心をもつことじゃないでしょうか。当事者である方々もそうですし、世間でも社会問題に対する行政の取り組みなどを知らない方がとても多いので、今回描かれている貧困に限らず、どんなことでも知ろうとすることは大切だと思います。あとはどうしたらいいのかな……。本当に救いが必要な方って人に関わっていないことが多かったりするんですよね。私は隣の家で何が起きているかわからない孤独に陥りやすい環境だと問題が起きやすいように思うので、違う意見もあるとは思いますが、地域が連携しているというのはいいなって。この作品の中でも島の人たち全員がそうやって子どもを守って子育てをしているんですが、広い意味で今こそその感覚が根付いてほしいなと思います。今の時代はSNSで情報の拡散はすぐにできますが、連携となるとまた少し難しいので余計にそう感じるのかもしれません。これは答えが出ない問題だと思うので、他人事にせずにみんなが当事者として考えていくしかないんじゃないでしょうか」
photography Shuya Nakano
styling Naomi Banba
hair&make-up Ichiki Kita
text & edit Ryoko Kuwahara
『夕陽のあと』
11月8日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー!
公式URL:yuhinoato.com
監督:越川道夫(『海辺の生と死』)
出演:貫地谷しほり山田真歩/永井大川口覚松原豊和/木内みどり
脚本:嶋田うれ葉音楽:宇波拓企画・原案:舩橋淳プロデューサー:橋本佳子長島町プロデュース:小楠雄士撮影監督:戸田義久同時録音:森英司音響:菊池信之編集:菊井貴繁助監督:近藤有希
製作:長島大陸映画実行委員会制作:ドキュメンタリージャパン配給:コピアポア・フィルム
2019年|日本|133分|カラー|ビスタサイズ|5.1ch
©2019長島大陸映画実行委員会
貫地谷しほり
1985 年生まれ、東京都出身。2002年、映画デビュー。映画『スウィングガールズ』(04)で注目され、NHK 連続テレビ小説「ちりとてちん」(07)でヒロインを務めた後、映画、ドラマ、舞台、ナレーションなど幅広く活躍中。初主演映画『くちづけ』(13)でブルーリボン賞主演女優賞受賞。その他、主な出演映画に『夜のピクニック』(06)、『ジェネラル・ルージュの凱旋』(09)、『パレード』(09)、『白ゆき姫殺人事件』(14)、『悼む人』(15)、『望郷』(17)、『この道』(19)などがある。『アイネクライネナハトムジーク』(19)が9月公開。