映画『白鍵と黒鍵の間に』が2023年10月6日(金)に公開される。原作となるのは、ジャズミュージシャン南博が、ピアニストとしてキャバレーや高級クラブを渡り歩いた3年間の青春の日々を綴った回想録。それを共同で脚本を手掛けた冨永昌敬(本作監督)と高橋知由が“一夜の物語”に大胆にアレンジしたことで本作は出来上がった。主演の池松壮亮は一人二役で「南」と「博」という二人のジャズピアニストを演じ分けているが、どういう気持ちで本作に挑んだのだろうか。時代背景や役柄に対する理解などを中心に、今の思いを伺った。
コロナによって映画業界は様々な課題が表面化しました。その中で、自分に何ができるのかを考え、本作もその一環の問いの中で取り組んでいたところがありました
ーー本作で描かれているのは80年代後半です。ご自身はリアルタイムで体感がない時代ですが、バブル景気に湧く日本の空気をどのように捉えましたか?
池松「ギリギリ生まれる前なので、あの時代のことは語られてきたものや描かれてきた物語からの印象でしか知り得ていません。しかし、映画として時代をさかのぼるときに、ノスタルジックに浸るためだけの物語にすべきではないと思います。同時代の人、あるいは未来の人に何を伝えるためにあの時代を引っ張ってくるかがやはり重要なことだと思います。
今作はあの時代の銀座でピアノを弾いていた、ジャズピアニストの南博さんのエッセイが元になっています。その中に含まれた当時の夜の銀座の艶っぽさと、ジャズが本来持つ艶っぽさ、時代の活気や凄まじいエネルギー、街感やあらゆる細部において、今、日本映画で完全に再現することは難しい題材でした。なので、この題材を借りてあの時代の豊かさや活気、色っぽさに触れながらも、普遍性、時代を超越して今の人々に届けることが最も重要だったと思います。そして誰しもが知る人物ではなく、名もなきジャズピアニストの人生の断片を描いていること、2時間後何が浮かび上がるか、 白鍵と黒鍵の間に何があるのか、そういったところが今作の肝になっていると思います」
ーー良くも悪くも多くの人が浮かれていた時代でもあります。経済が成長している時期、文化に目を向ける人は少なかったことは銀座のクラブのお客の描写を通して伝わってきました。一方、コロナ禍で文化が不要不急とされたことも記憶に新しいです。改めて芸術の価値は何なのかということが突きつけられたことで、時代は違えど共通する部分を感じました。
池松「僕も同じようなことを考えていました。コロナによって映画業界は様々な課題が表面化しました。ミニシアターがたくさん潰れていって、映画館や映画そもそもの価値が問われ、 映画における多様性の危機を経験しました。そんな中で、自分に何ができるのか。あるいは、人が映画館で楽しめたり酔いしれたりできる作品をどうつくっていくべきか。そういうことを常に考えます。本作もその一環の問いの中で取り組んでいたところがありました」
僕はいまだに心の隙間を映画に埋めてもらっているし、音楽に埋めてもらっている。多分人よりもその力を信じているから、映画の世界にいる
ーー池松さんはコロナ禍以前からも真摯に映画と向き合っている印象があります。
池松「2010年代頃からでしょうか。日本映画においては、どんどん貧しくなってきていると感じます。国内利益追求型で、映画というものの価値が下がっていく様を、中にいながら見ていました。 自分もその一部であることにすごくやきもきしながら、その中で自分がどういう作品に加担していけるのか、常に考えてきました。ただし、コロナ禍というあまりにも大きいものを経験して、その意識が確実に実現していかなければいけないものになり、それが多くの人の共通認識になったはずだと思っています」
ーークラブの客たちが見向きもしない中でも、南は自分の芸術性を追求していました。池松さんご自身が芸術文化に救われたという経験はありますか?
池松「日常的すぎて『これだ』という具体的な例がありすぎますが、特に20代前半は、自分の人生から逃げ込むように映画館に行きました。暗闇の中でそこに映る光をがむしゃらに探し求めていんだと思います。今は年齢的にも外野的な立ち位置ではなく、もっと内側から、そういう作品を出会った人と生み出し届けていかなければと思っています。でも僕はいまだに心の隙間を映画に埋めてもらっているし、音楽に埋めてもらっていると思っています。多分人よりもその力を知っていて、信じているから、映画の世界にいるんだと思います」
本作では、人が想像と維持と破壊を繰り返して回している人生の断片を切り分けて、同じ時間に共存させている
ーー今作は南博さんというモチーフの方の人間性を、南と博という二人に分けたところが味噌になっています。
池松「素晴らしいアイデアだと思いました。冨永さんの脚本力には驚かされるばかりでした。類をみない、とても映画的な表現だと感じました。本作では、人が創造と維持と破壊を繰り返している人生の断片を、同じ時間に共存させています。すごい試みだと思いましたし、それによって、特定の個人よりも、一人の人間が夢を追って生きる『人生』そのものが立ち上がります。映画を観た後にみなさんが『人生』を感じるような映画になることを目指したいと思っていました」
ーー南と博はあくまで別の人間として池松さんが演じ分けています。演じる上では、キャラクター像の違いをどう解釈しましたか?
池松「夢を抱いて銀座にやってきて、なんとかこの現実から抜け出そうとする博。夢を見失い銀座の街に染まりきって、その現実から抜け出したい南。二つの人生を交差させ、二人の人物にどれくらい対比があると面白いのか、そして何より二人の一夜を一つの人生として捉えた時、希望や絶望の人生の間を、二役に振り分けることで見えてくるものを探していました」
ーージャズピアニストの役でしたが、ピアノはもともと経験があったのでしょうか。
池松「触ったことがある程度でした。実家にピアノがあり、姉と妹は習っていたのですが、僕は弾けなくて。中学3年の時の合唱コンクールで何故か『大地讃頌』を猛特訓して弾きました。それ以来です。だから楽譜も読めません。今作では『ゴッドファーザーのテーマ』を半年間練習して、なんとか一曲完成させました」
時代やままならない人生の移ろいを、ジャズミュージシャンなら音楽で、俳優であれば映画で埋められる間(ま)が必ずある、だからそこを目指す
ーー「動物と人間を分けるものは音楽と詩」という台詞が印象的でした。人間に出来得る何か美しいものをこの世に提供したいという姿勢はきっと、俳優業にも通ずることだと思います。
池松「芸術を志す者の概念の話ですから、 何が美しいかは人によっても違うものです。ただし、その美しいものを目指すという姿勢は、もちろんわかります。でもそれよりも、 時代や人生の移ろいを、音楽で、映画で埋められる間(ま)が必ずある、今作はそこに気づくまでの物語だと捉えています。
ちなみに、南博さんは当時、ビル・エヴァンスという有名なジャズピアニストに憧れていたそうです。ビル・エヴァンスは『美と真実だけを追求し、他は忘れろ』という有名な言葉を残しています。誰しもが何かを志したり、芸術以外であっても、夢や理想と、現実の間で抜け出せない経験があると思います。むしろそれそのものが人生ともいえると思います。コロナや戦争という大きな破壊を経て、なんとかこれから時代の大きな再生や創造を迎える中で、その間、移ろいの間や、誰かの人生のほんの間をこの映画が埋めて、祝福できるようなものになってくれたら幸せです」
ーーお気に入りの登場人物はいますか?
池松「みなさん紹介したいぐらいです。どれをとっても素晴らしいキャラクターになっていると思います。南と博の人生に、様々な人生が過ぎ去っていく群像劇になっています。次から次に魅力ある登場人物が現れ、去っていきます」
ーー最後に、冨永監督とのお仕事はいかがでしたか?
池松「自分のキャリアにおいて最高の経験のひとつとなりました。改めて冨永さんはこの国の最も稀有で才能あふれる監督の一人だと感じました。今回念願叶ってがっつり組ませてもらえて幸せでした。自分が感じたことや引っかかるところを吐露し続けても、そのすべてに、真摯に応えてくれました。驚くべき発想力はもちろん、冨永さんにしかつくれない映画を見事につくり上げてくれました。 とても充実したやりがいのある共同作業でした。またいつかぜひ何か一緒にやりたいと思いました」
photography Yudai Kusano(https://www.instagram.com/yudai_kusano/)
text Daisuke Watanuki(https://www.instagram.com/watanukinow/)
hair&make-up Ayumi Naito
『白鍵と黒鍵の間に』
10月6日(金)テアトル新宿ほか全国公開
https://hakkentokokken.com
監督:冨永昌敬 脚本:冨永昌敬 高橋知由
出演:池松壮亮
仲里依紗 森田剛
クリスタル・ケイ 松丸契 川瀬陽太
杉山ひこひこ 中山来未 福津健創 日高ボブ美
佐野史郎 洞口依子 松尾貴史 / 高橋和也
原作/南博「白鍵と黒鍵の間に」(小学館文庫刊)
音楽:魚返明未
配給:東京テアトル 製作:「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会
Ⓒ2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会