中国第8世代の新たなる才能、チウ・ションの長編デビュー作「郊外の鳥たち』が3月18日より、シアター・イメージフォーラム他にて全国公開される。地盤沈下が進み《鬼城》と化した中国地方都市の地質調査に訪れた青年ハオは、廃校となった小学校の机の中から、自分と同じ名前の男の子の日記を見つける。そこに記録されていたのは、開発進む都市の中で生き生きと日常を謳歌する子どもたちの姿だった。それは果たしてハオの過去の物語なのか、未来への預言なのか─やがて子供たちは、ひとり、またひとりと姿を消していく。パラレルに進行する二つの物語によって生じる時制のズレを、まるで同じ地平性を歩いているような感覚で表現する斬新なスタイルで世界から注目。「“スタンド・バイ・ミー” meets カフカの“城”」と評された本作を送り出した新鋭にインタビューを試みた。
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――監督は本作を「記憶の探究に関するSF映画」と考えているとおっしゃっていました。まず、このアイデアはどのように思いついたのか。また、過去と未来の人々が同じ場所で何かを探しているという物語の根底をなすロジックについてお話を聞かせてください。
チウ・ション監督「この映画のプロットは、杭州のとある場所にインスパイアされています。南宋王朝の都であった杭州には宗時代を再現したテーマパークがあります。そして、その通りの下には、南宋の皇帝が街を出るために使った道があるのです。その通りからは、清王朝の街並み、元王朝の街並み、宋王朝の街並みが重なり合っているように見える。このように、過去と現在が共存し、並行して存在しているように見える場所からインスピレーションを得て、子どもと大人の時間と空間が並行しているような世界を構築しました。お互いに交差する部分がありますが、それは平行構造なのです。なぜSF映画なのかと言うと、2つのパートの間の時空は、量子もつれ(粒子同士に強い結びつきができ、お互いのことがわかる状態。片方が変化するともう片方にも瞬時に変化が生じる)のように見えるからです。つまり、自分の時空が少し変化すると、他の時空の繋がりも変化します。例えば、大人が誤って望遠鏡を落とした場合、その望遠鏡は子どもによって拾われます。その後、望遠鏡は子どもたちの間で一種のスパイ行為と疑惑を引き起こすことになった。そういったことが私のアイデアの源です」
――確かに作中では望遠鏡や鏡などのツールが差し込まれ、両者の間に絶え間ない観察が行われていることが窺えますし、過去と未来が相互に関係しあうことを反映しているように見えます。
チウ・ション監督「ええ。両者は同じ時空の両面のような繋がりがあり、それを表現するために脚本を書く過程で少しずつ示唆する事柄を積み上げていく必要がありました。例えば、望遠鏡の部分は、自分が景色を見ながら望遠鏡を手に取った経験を基にしています。そこから、望遠鏡が実はトンネル的な役割を持っていて、その先で2つの世界が繋がるという構想が浮かびました。また、実際に杭州は地下鉄の駅を作ろうとしていたんですね。建設中に、過去の遺跡から興味深いものが掘り出され、地下水の漏れを引き起こし、他にも事故が起きています。これらのニュースも着想源となっています」
――このようにランダムに断片を散りばめていくということも最初から意図していたのでしょうか。それとも撮影の過程とともにこの形になっていったのでしょうか。構想を練り上げて実験的な映画を作るということについて教えてください。
チウ・ション監督「すべての映画はある意味でドキュメンタリーであり、制作過程における感情および心理的な変化の記録だと思っています。制作時の私はオープンマインドで、その期間内に得たメッセージとインスピレーションを全て作品に注ぎ込みました。今よりもっと大胆にね。これは私の初の長編映画で、制限はありませんでしたから、自分が持つすべての新鮮なアイデアを注ぎ込んだんです」
――俳優の感情を引き出しパフォーマンスしてもらうために、どのようなコミュニケ―ションをとりましたか。
チウ・ション監督 「俳優とのコミュニケーションはゲームをプレイするようなものなんです。適切な言語を使い、挑戦的な目標を与えると、彼らは今まで見たことのないようなパフォーマンスを披露してくれます。 『嬉しい』『怒っている』『悲しい』などのありふれた言葉で指示を出すだけでは、何千回トライしても到達できないかもしれないパフォーマンスを見せてくれるんですよ。主人公が誕生日にケーキを見たシーンでは、彼の中に非常に複雑な感情がありましたよね。私が彼に言ったことの一つは、『ケーキのろうそくを見つめるとき、人生で初めて火を見たように振る舞ってほしい』ということでした。喜びや悲しみといった言葉は具体的ではないと思うので、感情の本質を伝えるためにメタファーを使ったのです」
――言葉の使い方はあなたのクリエイションにとって非常に重要なのですね。この映画での弁証法的言語の使用でもそう感じます。
チウ・ション監督 「言葉は正確でなければならないと思います。正確な言葉を通せば、映画は観客とより正確なコミュニケーションを図ることができ、撮影の意図や効果も伝わりやすくなります。映画内の言葉は、映画における対話の役割を担っているのです。映画でのセリフと演劇でのセリフとは違うと私は思っています。演劇では言葉の美しさ、または文学的な性質が強調され、映画ではより対話的な効果が強い。映画では声のトーンや強さ、イントネーションなどで表現されるものが多々あります。ですから、役者のセリフを演出するにあたって、声やイントネーションなどに気をつけました。方言を使うのも一つの手段です。俳優が慣れない方言で話すとき、彼らは単語やその意味より、感情やイントネーションというフィーリング的なものに注意が向きますから」
――なるほど。とても興味深いです。『郊外の鳥たち(Suburban Birds)』という作品名を聞いて、都市の拡大と郊外の衰退について考えさせられました。この題名にしたのはなぜでしょうか。
チウ・ション監督 「一つには、あなたがおっしゃったように、郊外、そして中間地点という意味があります。都会の鳥ではなく、野生の鳥でもない何か。前進も後退もできず、自分の位置を見つけられない状態にあるものです。現代の中国語からしたら、この言葉は文学的にはでちょっと変なところがあるのですが、この少し大きくて聞き慣れない言葉をあえてタイトルにしたいと思いました」
――本作には非常に強い違和感がありますね。たとえば主人公は環境に慣れていない、つまり快適ではない状態ですが、探求心や好奇心も感じさせます。このタイトルは、そうしたことも反映していると思います。
チウ・ション監督 「メイソン・リーを主役に選んだことは大きかったと思います。彼はアメリカで育ったため、中国にあまり詳しくなかった。私は彼がこの環境に慣れていないことを利用したんです。初めて会ったのは北京でしたが、彼は少しぎこちなく、そして周りに関心があるようでした。杭州にも詳しくなかったので、好奇心たっぷりでまっさらの目線で見ていたのを利用したんです。さらに、バックグラウンドの大きく異なる俳優を何人か選びました。彼らのうちの何人かは長年業界にいて、いつものやり方で演技した人もいるかもしれません。一方で経験の少ない新人俳優もいます。演技をするとき、そういう多種多様な人たちが集まっているがゆえの距離感や居心地の悪さゆえの美しさを生み出していました」
――先ほど、どの映画も制作過程の感情などを記録する一種のドキュメンタリーであるとおっしゃっていました。自分の記憶や感情を辿る時、恐怖や現実から切り離されたような感覚がありましたか。製作の過程でどのような感情が湧いたのでしょう。
チウ・ション監督 「記憶を辿り始めたときは、どのような結論になるかわかっていませんでした。でも脚本を書いたり撮影したりしてわかったのは、私のアバターである主人公が、子ども時代の友人の失踪に関して何かしらの過ちをおかしていること。もしかしたら彼は殺人犯の一人かもしれません。だから、私の映画での全てのアクションは、一種の償いであり救済なのです。ラストの、2人の男性が森に戻り、方言で話し、鳥を取り戻そうとしている部分はより明確に贖罪を試みたものです。失われたものを取り戻そうとしていて、調和された形で終わるんです。このイメージは直感的に浮かんだもので、最初は意味がわかりませんでした。でも撮影をしてみて、それが贖いのようになっているとはっきりと感じました」
――どのような個人的な経験がこの映画の制作に繋がったのか、もう少し詳しく教えてください。
チウ・ション監督 「私の子ども時代です。故郷を離れた後、私は過去の生活から切り離されました。小学校の友達や同級生と疎遠になり、断絶された感覚がありました。一方で、私自身と私のあり方が本作に繋がっているとも思います。大人になった私は、映画の主人公のように自分が毎日行っていることの意味を疑問視することがよくあります。目標や方向性が見つからないと。そうした意味でカフカという作家が特別に好きなのです。カフカの小説を読むたびに、ある日突然目が覚めると虫になっていて、世界に投げ出されるその存在が自分自身のようだと感じます」
――では、このように過去と未来を見る映画を作ったことで、答えや解決策を見つけたり、自分自身と和解に至ることができましたか。
チウ・ション監督 「私にとって、それは発見と救済のプロセスでした。私にとって映画は観察の手立てであり、癒しの手立てでもあり、とても大切なものなんです。映画を作ることは、現実と並行する宇宙を作り出すこと。その関係は本作における大人と子どもの関係のようなものかもしれません。それらは互いに繋がっていて、現実の世界について多くの新しい洞察を得たり、逆に映画の世界での新しいインスピレーションを得ることができたりします」
――最後に、この作品における、子ども時代についてあなたの見解を聞かせてください。
チウ・ション監督 「子ども時代は希望に満ちていますが、同時に喪失の始まりでもあります。得るものと失うものが両方ある時期です。子ども時代には罪悪感を感じずに行っていたことが多々あり、大人が思うよりはるかに複雑な時期ではないでしょうか。私の作品でもそのことについて反芻したかったんです。でも自分の子ども時代の記憶を探ると、今の心の状態を反映して、現実とは異なっている可能性があると思うんですよね。私は以前受けたインタビューで、失われた楽園だけが本当の楽園なのだと言いました。失われてから、一つ一つ美しいものを加えていくから。子ども時代が美しいのは喪失の予兆が含まれているからです。この映画では、太陽が沈む様を描いていて、その後、目の前に道があらわれます。そして道の果てでは、時間と空間が終わりを迎えた感覚を与えます。これが私にとっての中間点です。あなたはそこで自問するんです、いつ大人になるのか、と。現実でも、杭州のこの道の終わりを辿ることは不可能なんですよ。幼年期は橋の下、成人期は橋の上に立っているように見えますが、橋の下から橋の上へ行く途中は途切れていて、実際に過去と現在の間にも途切れが生じている。ですから、私たちは常に振り返る必要があるんだと思います。何かを理解するためには、常にこういう振り返りが必要なのです」
text Baihe Sun(IG)
STORY
地盤沈下が進み《鬼城》と化した中国地方都市の地質調査に訪れた青年ハオは、廃校となった小学校の机の中から、自分と同じ名前の男の子の日記を見つける。そこに記録されていたのは、開発進む都市の中で生き生きと日常を謳歌する子どもたちの姿だった。
それは果たしてハオの過去の物語なのか、未来への預言なのか─
やがて子供たちは、ひとり、またひとりと姿を消していく。
『郊外の鳥たち』
2023年3月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
https://www.reallylikefilms.com/kogai
チウ・ション 仇晟 作品
出演:メイソン・リー 李淳 / ホアン・ルー 黄璐 / ゴン・ズーハン 龔子涵 他
音楽:シアオ・ホー 小河 撮影: シュー・ランジュン 徐燃俊
編集:ジン・ディー 金鏑 / リアオ・チンスン 廖慶松
美術監督:ユー・ズーヤン 於子洋 録音: ロウ・クン 娄堃 音響デザイナー:トゥー・ドゥーチー 杜篤之 音響編集: ウー・シューヤオ 呉書瑶
[ 2018年中国映画 | 114分 | 中国語 |1:1.33 | 5.1ch | DCP・Blu-ray ]
字幕翻訳 : 奥原智子 宣伝デザイン : 内田美由紀(NORA DESIGN) 予告編 : 株式会社ロックハーツ
配給 : リアリーライクフィルムズ + ムービー・アクト・プロジェクト 提供 : リアリーライクフィルムズ
©️BEIJING TRANSCEND PICTURES ENTERTAINMENT CO., LTD. , QUASAR FILMS, CFORCE PICTURES, BEIJING YOSHOW FILMS CO., LTD. , THREE MONKEYS FILMS. SHANGHAI, BEIJING CHASE PICTURES CO., LTD. ,KIFRAME STUDIO, FLASH FORWARD ENTERTAINMENT / ReallyLikeFilms