『マドンナ』で韓国の格差社会の中での女性の生きづらさを描き衝撃を与えたシン・スウォン監督の最新作『オマージュ』が3月10日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開。ヒット作に恵まれず、新作を撮る目処が立たない映画監督のジワン(イ・ジョンウン『パラサイト 半地下の家族』)。1960年代に韓国映画界で活動した女性監督、ホン・ジェウォンの映画『女判事』の修復プロジェクトに関わることになった彼女が、その作業を通して自身の人生を振り返る。過去の女性監督の軌跡を辿ることで、同じ悩みや葛藤を通して連帯、エンパワメントされていく本作に関して、シン・スウォン監督に託した思いを語ってもらった。
――本作は一見関係のない過去と現在、すなわちホン・ジェウォンとキム・ジワンという二人の女性監督の物語を巧みに織り交ぜていますが、着想のきっかけやどのようにしてこのような全体の構成を考えることになったのか教えてください。
シン監督「2011年に韓国のテレビ局MBCで『女子万歳』というドキュメンタリーを作っていた時、初めて韓国で50〜60年代に活動していた女性監督がいたことを知り、とても衝撃を受けました。当時、ドキュメンタリーではその部分に対して15分しか取り上げられなかったし、パク·ナモク監督(韓国初の女性監督)はアメリカに住んでいらっしゃって、ホン・ウノン監督(韓国で2番目の女性監督)は既に故人となっており、お2人のことを取材しながらも実際には会えませんでした。しかし、その知人や監督の娘さんたち、当時の編集技師さんと会って取材をしながら、50〜60年代の韓国の雰囲気を聞いて、その時代における女性の映画関係者たちを英雄のように感じたんですね。今とはまた違うもっと男女差別が激しかった状況で、女性が映画を作り、演出をするとはどんなことだったのかと想像が広がり、15分ではもったいなく感じて、いつかはこのテーマで映画を作らなければならないと思いました。それでホン監督のストーリー、パク監督のストーリーと共に『女判事』(ホン・ウノン監督による韓国最初の女性判事を題材とした作品)を編みこんだ物語を作ってみたらどうかと構想をしてメモをしておきました。それから時々考えていたんです。その時は、実際に『女判事』のフィルムが紛失していて観ることができない状態だったんですよ。でも2015年にある方が寄贈されたので日の目を見ることになりました。その『女判事』をYouTubeで観たりしながら、どうやって作ろうかと悩んでいました。
2019年の冬には私も映画を始めて約10年になり、色々な悩みが生じました。これから自分はどんな映画を作ってどう生きていこう、持続的に映画を撮るためにはどうすればいいのだろうかーーそんな悩みが深まってきた時、過去の女性監督たちはどうやって映画を作っていたのだろうかと自然と思い浮かんだのです。ドキュメンタリーを作っていた頃の感情が蘇ってきて、そのまま脚本を書き始めました。また、これにジワンという人物を使おうと決めました。私の最初の映画『虹(レインボー)』の主人公で、監督デビューを果たすために奮闘した女性の名前もジワンだったのですが、その名前を使おうと思ったんです。しかし『虹』のようにパーソナルでドキュメンタリーのような映画にはしたくありませんでした。そこでジワンという人物を中心に進みながらも、ジワンが過去のホン監督の軌跡を追うロードムービーのような形式にしてみようと考えついたのです。ロードムービーの形をとるために、フィルムの復元作業を挿入しました。私はやったことがないのですがサウンドの復元作業をすることでフィルムの一部分が消失していることがわかり、その失くなったフィルムを探すという物語。実際にドキュメンタリーを撮影した時には『女判事』のフィルムはなく、とても観たかったので切実に探し出したいと思っていた自分の心情などをそのまま込めて、シナリオを書きました」
――ある意味で『オマージュ』は「韓国映画史を読み直す」、とりわけ女性監督の隠された歴史をテーマにしていますが、韓国初の女性監督パク・ナモクではなく、ホン・ウノンに注目したのはなぜでしょうか。また監督の実名を変えたのには理由がありますか。
シン監督「パク·ナモク監督の話もとても興味深かったですし、いつか彼女の話を作りたいという気持ちもありましたが、映画という2時間の短い分量にあまりにも多くのことを込めるには無理があるので選択していくうちにホン監督の話になりました。なぜかと言うと、とても残念ですがパク·ナモク監督は1作品を撮ったきりで映画の活動がなかったのです。でもホン監督の場合は、脚本家として10年間現場で働き、助監督も務めた後に40代前半に初の映画『女判事』を撮影することになった。その軌跡に思うところがありました。
ホン監督は3作品を撮ってから映画制作を中断して、以後は作家としてだけ活動されていました。私は取材過程でホン監督の娘さんや周りの俳優さん、一緒に働いていた方々に会って、監督の悩みの中で一番大きかったものを聞かせてもらったことがあります。それは、何かをしたいのにそれができないという挫折感です。映画を作ってはいるが、編集もできない状況。実際に、制作会社の方が借金をしてフィルムが押収されたり、告発されてスタッフに残りの給与をあげられないということもあったのです。その長い苦悩に惹かれました。ドキュメンタリーを撮影する時にも、パク·ナモク監督の『未亡人』のフィルムはありましたし、実際にドキュメンタリーにも引用したんですね。でも、3本も長編映画を撮ったホン監督の作品はフィルムが1つもなかった。当時は『女判事』もなかったのでね。そのもどかしさが、私にとってホン監督という存在を朧げに感じさせたのではないかと思います。彼女は癌で亡くなったそうですが、娘さんの話では亡くなる直前までシナリオを手放さなかったそうです。映画を作るという夢を持ち続けている、彼女のそんな部分に心を揺さぶられました。
ホン監督の名前をホン·ジェウォンに変えたのは、取材の際に娘さんに『いつか監督の話を映画にしたい』というお話をしたのですが、いざ作ろうとした時に娘さんが亡くなられ、その方が唯一の肉親であったため実名を使用することが気になったんです。それで本来は名前をそのまま使いたかったけれど変えることにしました。パク·ナモク監督もご本人は亡くなられましたが、娘さんがアメリカにいらっしゃったので、メールで映画の説明をして、監督の実際の写真や実名の使用許可をいただきました。ただ、監督たちの三羽烏の写真は私たちが作ったものです。代役の俳優さんで撮影したものを実際の昔の監督の写真に合成して作るということも、娘さんと話し合うことができました」
――映画の冒頭と後半にジワンが泳ぐ場面があり、映画本編の始まりと終わりを告げる装置のように思いました。水泳のシーンにはどのような意図がありますか。
シン監督「泳ぐシーンを入れた理由は、水中では水の抵抗のせいで普段歩くより前に進むのが大変だから。ジワンは物語の序盤には停滞している人物です。映画制作も失敗して停滞している状態を水泳に置き換えて、キックもまともにできず、前に進むこともできない、もがくような姿として盛り込もうとしました。フィルムを探し始めてからジワンが歩き出し、移動し続ける。それでエンディンで大したことではないが、一度蹴りすることで十分ではないかと思いました。元々はバタフライする姿を撮ろうかとも思いましたが、少し違う気がして、キックするだけで終わってもいいと。だって、実際大したことではないじゃないですか。日常を生きて行く中で、ジワンは少し息ができるような小さな冒険をした。だから特別なことではなく、窮屈さから少し抜け出して、大きく呼吸をしたというようなことを象徴するキックでよいのではないかと思ったんです」
――物語は隣の家の女性と幽霊というミステリーが絡むことで、複雑な構成になっていますね。物語的には存在しなくて影響のない人物をあえて登場させた理由は?
シン監督「実は脚本を書く時、この隣の女性への愛着が一番大きかったのです。この人物を入れて良かったと思うのは、トリック的な装置としてというより、隣の住人の死すら知らないような現代において、ジワンがホン監督の消えたフィルムを探して復元するという行為が、何か忘れられている存在を探していくことであり、埋もれていたり死んでいるものを再び生かすような作業だと想起させるからです。それで隣の女性、幽霊のような隣の女性がホン監督の分身のように登場するというアイデアを持ってスタートしたのですが、あのエンディングが自然と浮かんできて、書きながら嬉しくなったのを覚えています。ジワンはすごいミッションを終えたわけでも、世紀の発見をしたわけではないけれど、家に帰ってきた時にああいうことがあればいいなと思ったんです。スタッフの中でもこのシーンがなぜ必要なのか分からないという意見もありました。でも私は、映画の構造の中で不必要に思えるかもしれないけれど、また違った類いの感情を与えてくれるのではないかと信じていたので押し通しました。直接的に関連はないものの、ホン監督の存在、失われたフィルム、駐車場にいる死んだ女性、消えた隣の女性、これらには共通点があると信じて入れているのです」
――影の活用も非常に印象的で、特に忘れ去られた存在が戻ってくるようにスクリーンに影を写したエンディングは最高でした。影の演出に関して特に考慮した部分と、最後の場面に、復元されたホン監督の映画ではなく空っぽの劇場を入れた意図をお聞きしたいです。
シン監督「ホン監督の存在をどのように登場させようかと悩んでいて、実写での登場も考えたのですが、それは面白くないと思ってやめました。そこで、私は以前から影が自分の分身だということがとても興味深くて、いつか影が出る映画を撮ってみたいと思っていたことを思い出したんです。スマホでどこか行く度に撮影したり、集めておいたものもあったんですね。そこからホン監督を帽子をかぶった影の形で登場させようと思うようになりました。それがジワンの分身でも、ただジワンの心理的な恐怖や不安を代弁する人物になってもいいし 、ホン監督の幽霊でも構わないということでシナリオに入れ始めました。
ウォンジュ劇場は60年間営業していたのですが、シネコンができてから閉館状態になっていました。本作の撮影交渉のために映画館を開けてもらって、偶然にも太陽の光が入る時間に居合わせたんです。ドアが開いたら、外の道路から光が反射していました。実際にスクリーンに微かに車の光が通り過ぎるのも見えたんです。それがとても面白かった。そしてこの場面がエンディングシーンになるといいなと思ったんです。それでエンディングを丸ごと修正しました。ウォンジュ劇場での撮影は人為的な照明でもCGでもありません。実際の光を利用しました。光が最も強い時間が午後2時から3時だったので、他の場所で撮影していてもその時間には劇場に戻って撮っていたんです。撮影した当時はコロナが発生して劇場が閉まり始めた時期だったので、このシーンにより強い愛情があったと思います」
――2010年にデビューされてから6本の長編を制作されていますが、女性監督として映画を撮り続けることには様々なハードルがあったと思います。韓国映画業界で女性監督として活動していくこと、そして13年前とは何が変わったのか、課題として残っている問題は何かを聞かせてください。
シン監督「私がデビューした頃は劇場映画を制作する女性監督が本当に少なかったと思います。でも数年前からインディペンデント映画では特に頭角を現す女性監督も多くなって、商業映画を撮られている方々も以前より増えていますね。コンテンツもOTT(インターネットでアクセスできるサービス)もあって広がったし、以前より状況は良くなっている気がします。また、女性の想いを表現する映画も増えました。女性監督ならではのアイデンティティをキャラクターに込めて、そこが新鮮だと受け入れられる雰囲気があると思います。最近イム・スンレ監督の『交渉』が公開されましたが、100億ウォンを超える大作で、ある記事によると女性監督が100億ウォンを超えるブロックバスターを作ったのは韓国映画歴史100年上で初めてだそうです。映画を観る前から応援したいという気持ちが湧き上がってきましたし、実際に観たら、女性のストーリーではありませんでしたが、大規模なプロダクションなのにとてもうまく演出されていました。女性監督が描く女性の物語もよいけど、こういう風に、女性である前にただ一人の監督として見てもらえるようになるとよいなとも思います。
6作目を作るまで、私にも色々ありました。低予算映画を制作するにはスタッフと俳優たちの助けが不可欠なので本当に感謝していますが、私はこれくらいできると絶えずアピールして証明しなければならないという疲労が凄かった。女性監督を全面的に信じてくれない方もいるので、男性監督の2倍は頑張らなければならないと強迫観念のようなものを持っていたんです。ベースにある空気感が、『ちょっと大目に見てあげるから頑張ってみて』という感じなんですよ。もちろん直接そう言われたりはしないし、励ましてくださる方も多いんですが、男性監督と同じようには見てくれないと感じることが多々ありました。女性という理由で可能性や能力を限定されることがまだあると思うので、監督が女性であっても何でもできるという偏見のない目で見てもらいたいですね。私が6本の映画を作ったのも、自分を証明する過程だったのかなとも思います。今はようやくそういうところから自由になりました」
text HWANG Kyun Min
『オマージュ』
3月10日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
公式サイト:hommage-movie.com
監督:シン・スウォン『マドンナ』
出演:イ・ジョンウン『パラサイト 半地下の家族』、クォン・ヘヒョ『あなたの顔の前に』、タン・ジュンサン『愛の不時着』
2021年|韓国映画|韓国語|108分|5.1ch|シネスコ|原題:오마주|英題:Hommage|字幕翻訳:江波智子
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
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ヒット作に恵まれず、新作を撮る目処が立たない映画監督のジワン。彼女が引き受けたのは、60年代に活動した韓国の女性監督、ホン・ジェウォンが残した映画『女判事』の欠落した音声を吹き込むという仕事だった。作業を進めながらフィルムの一部が失われていることに気づいたジワンは、ホン監督の家族や関係者のもとを訪ねながら真相を探っていく・・・。
映画を撮り続けたいという思いを抱きながらも、ジワンには母、妻としての日常生活がある。キャリアの曲がり角で立ち往生しそうになっている彼女がはじめた、失われたフィルムをめぐる旅。そこでジワンは女性が映画業界で活躍することが、今よりもずっと困難だった時代の真実を知る。夢と現実、現在と過去。その狭間を行きつ戻りつしながらも、ジワンはフィルムの修復とともに自分自身を回復させるようかのように人生を見つめ直し、新しい一歩を踏み出していく――。