直木賞作家・朝井リョウの同名連作小説を原作に、短編映画『カランコエの花』で話題を呼んだ中川駿が脚本・監督を務めた映画『少女は卒業しない』が2月23日(木・祝)から公開される。本作は間もなく校舎が取り壊される高校を舞台に、少女たちが卒業するまでの2日間を描く群像劇。少女4人の卒業への向き合い方が丁寧に描かれ、観客にかけがえのない時間を思い出させてくれる作品となっている。これまで青春の渦中にいる若者の等身大の瑞々しさを巧みに切り取ってきた作家と監督は、どんな気持ちで本作に向き合ったのだろうか。お二人に思いを伺った。
ーーまずは監督に原作を読まれた感想をお伺いできますでしょうか。
中川「原作を拝読して感じたのは、繊細すぎる複雑な少女の心情描写の素晴らしさです。“声にならない声”のようなものがたくさん描かれていたので驚きました。同時に、映像化に対するハードルの高さも感じました」
ーー朝井さんは完成された映画をどうご覧になりましたか?
朝井「どの映像化の時も初号試写は本当に緊張するのですが、この映画は最初の10分ほどで“これは私の大好きな映画だ”と確信できて、強張っていた身体が楽になりました。監督、キャスト、スタッフ、それぞれの方々が各分野でスペシャルな仕事を果たしていて、それが集結していることがすぐに伝わってきたんです。原作は7編の連作ですが、映画ではその中から4編がピックアップされています。脚本を拝読した時点でその再編集力の高さに本当にびっくりしたので、もともと初号試写への期待値は高かったんです。そのうえで、期待値をするりと超えていってくださいました」
ーー原作からの改編についてはどのようなお考えがあったのでしょうか。
中川「原作は7人の少女のお話がリレー形式で進んでいく構成だったので、そのままでは映画にはなりません。特に時間の流れを直列ではなく、並列に組み替える作業が必要でした。まず脚本に取り掛かった当初は、朝井さんが組んだピースを解いてまた組み替えるような感覚で進めてみました。しかしどうしてもうまくいかず、悩んだ結果、1回僕が原作を読んで感じたことを映画として生み直す感覚でつくってみようと思い至りました。僕が原作で一番胸を打たれたのは、卒業という絶対的で逃れようのない別れに向き合う少女たちが、どう自分の中で決着をつけて成長していくか。そこに注力して、作品を作り変えていきました。 その際に勇気を持って7編のうちの3編を外して、4編分のエピソードで脚本を仕立て直したというのが今回の大きな決心でした」
朝井「原作を見事に改変していただいたこともあり、原作者というより一人の観客として作品を楽しめました。原作者という立場にいると、メディアミックスされたものが原作通りかどうか気にならないかと問われることもありますが、個人的には原作通りであるかよりも、監督にビジョンがあるかどうか、の方が大事だと思っています。今回は脚本段階から監督のセンスのようなものがビンビン伝わってきていたので、この人になら預けられる、大改変もドンと来い、みたいな気持ちでした。逆に怖いのは、原作通りの、無難な、原作者のオッケーをもらうためだけの脚本が上がってきたとき。メディアミックスする目的みたいなものが見えない脚本だと、いくら原作通りでも不信感を抱いてしまいます」
ーー朝井さんは撮影にも立ち会われたのでしょうか?
朝井「1度現場におじゃましました。その際、まなみを演じられた河合優実さんとお話したのですが、彼女は卒業生代表として答辞を読むシーンに関して悩まれていて。数分しかお話するタイミングがなくて、大人としてちゃんと答えられなかった……と今でも悔いています」
ーーまなみが答辞を読むのは原作にはないオリジナルのシーンですよね。
朝井「そうですね。正直、私自身も、脚本を読んだだけではその部分がどんなシーンになるのかわかっていなかったんです。脚本って文字要素のみなので、どうしても、まなみが答辞を読む、という情報だけを強く受け取ってしまって、それってどうなんだろう、みたいな。だけど試写を観たら、なるほど、こういう映像が監督の頭の中にはあったんだな、ということがよくわかりました。文字要素だけでは監督の頭の中にあるビジョンまではわからないので、そこはもう、この人なら大丈夫、と思えるかどうか、ですね」
中川「脚本って難しくて、なんとなく情報が足りていないぐらいがちょうどいいんですよ。全部が見えてしまうと、映像化したときに過剰になってしまうので。ただ、脚本の時点でしっかり伝わらないとOKがでない現場は多い。そんな中で今回は脚本の段階からやりたかったことをそのままやらせてもらえて、僕としてはありがたかったです。朝井さんにも原作と映像化作品はそれぞれ別物だとご理解いただけたこともあり、自信を持って進められました」
朝井「映画オリジナルのシーンが本当に素晴らしいので、映画を観た方が後から原作を読んで、好きだったシーンが原作にはないということが多発するだろうなと今から申し訳ないです。脚本の時点で、とにかく高校生同士の会話文が素晴らしくて。私ももう30代半ばなので、自然かどうか判断できない立場ですが、大人が書いた10代の会話ではないテンポ感や温度感が再現されていると感じました。情報が足りないぐらいがちょうどいいというのは監督の今回の脚本を読んで、私も勉強になりました」
中川「リアルな女子高生同士の会話は、小説の方が圧倒的に難しいと思います。僕の場合は演じているみなさんがリアルな年齢だったので、極論任せてしまえばちゃんと正解に近くなる。これに関しては役者のみなさんの力でしかないです。脚本はあくまで指針にすぎず、方向が大きくずれなければセリフは自由に変えていいという話を今回キャストチームには共有していました。僕の書いたセリフだとちょっと違うなと思ったら、リアルな現代の子たちが変えてくれてるわけです。それは僕としてはありがたいことでした。でも、小説はそうもいかないじゃないですか。朝井さんはご自身で繊細でリアルなセリフを書かれていたので、どこから生まれてるのかお聞きしたいなと思っていました」
朝井「本作を書いたとき私は大学生だったので、高校生に近い年齢だったんですよね。だから、今書いたらと思うと怖いです。でもまだ小説家としては若い世代なので、リアルな学生を書ける人、と期待していただく機会も多くて、過渡期だなと感じています。でも小説の場合、こんなセリフ現実では言わないだろうというものでも、それがその作家の文体、作風であればオーケー、みたいなところもあると思います。と言いつつ、もっと監修してもらいたい気持ちも。海外ではチーム体制で脚本を仕上げることも多いですよね。背景の異なる方々が一つの作品に携わるという作り方はエンタメ小説でも有効なのでは、と思います」
中川「すごく共感します。僕も過去作は高校生を題材にしたものが多いので、そこを描くことに対して期待を持っていただくことが多いので。しかし、もちろん僕も年々老いていくわけじゃないですか。どんどんリアルから離れていく恐怖みたいなものはあります。前作『カランコエの花』はかろうじてまだ20代の時に撮っていたので勇気を持って挑めたのですが、30代半ばになった今、この題材を扱う恐怖は正直感じています。だからこそ、今回特に自分が正しいとは思わないようにしようという姿勢で現場に臨みました。結果的にそれが役者を生かす形に繋げることができたという気はしてるのですが」
朝井「私は『カランコエの花』を観て、もう絶対に学生時代に戻りたくない! と思いました。それくらい、あのころの教室、たった一つの情報で世界全体が揺らいでしまう空間を体感できる作品でした。少年少女の無知ゆえの幼さと、学校という世界を生き延びるうえで敏感にしておかなければならないアンテナ、この2つが掛け合ったときの居た堪れなさを思い出して、鑑賞中、身体がずっと強張っていました。『少女は卒業しない』はネガティブな感情を誰かにぶつけるシーンはあまりないものの、鑑賞後は同様に10代の感覚が蘇ってきました。あと1滴何かが注がれたら溢れてしまう表面張力の状態で、常に震えながら生きているようなあの感じ。エンドロールの後、試写室が明るくなったら、 周りの大人たちも全員そんな顔をしていてちょっと笑ってしまったくらいでした。10代って、時代によってアイテムや言葉などがどんどん変化していくと思うんですけど、あの年代特有の、表面張力で生きているような感覚自体はきっと変わらないと思うんですよね。だとすれば、年齢を重ねても、その時代の10代を書くことを怖がりすぎなくてもいいのかもしれませんね」
ーー朝井さん、中川さんそれぞれ「青春小説」「青春映画」の旗手として語られることが多いと思います。それを描く苦悩のお話もありましたが、 それぞれが抱く青春像も気になります。
中川「僕は石川県出身ですが小学生の頃に東京に越しているので、ほぼ東京人のつもりでいるんです。だからか、わりと『少女は卒業しない』の登場人物にシンパシーを感じるキャラクターはいなくて、どっちかというと『桐島、部活やめるってよ』の世界の中にいたという感じがします。映画版では東出昌大さん演じる帰宅部チームがいたじゃないですか、あの中の一員という感じでした。“汗臭い青春ってだせえ”みたいなことを言っている高校生で、ちょっと斜に構えたタイプ。だから今思う青春像は、当時感じていたものとは違うかもしれません。実は青春ってなんだろうという話を後藤を演じる小野莉奈さんと顔合わせの時にしたんですよ。そのとき僕は“青春って黒歴史じゃない?”という話をした記憶があります。失敗談とイコールな感覚があるんです。 世間を知らない、経験値があまりないからこその誤ちがある状態。今だったらあんなことやらないと思えるようなエピソードが、青春として思い出される気がします。だから大人になり失敗がなくなるに応じて青春を実感することもなくなるのは、理にかなっているのかなと思います。小野さんには響いていませんでしたが(笑)」
朝井「私の場合、とにかく“選ぶことができない”というのが青春を表すキーワードです。出会う人も、暮らす場所も、学ぶ内容も、とにかく“選ぶことができない”。あの選べなさは本当に過酷だと思う。振り返れば、自活できるようになるまではずっと、“なんとかこの空間、時間を無事に生き延びなければ”と思い続けていた気がします。大学生になって、本を出す機会に恵まれてお金を稼げるようになって、いろんなことを自分で選べるようになった。そのときにやっと私の中で青春が終わってくれた感じがしました。だから私が青春を描くと、選べない時代に生じる摩擦や苦しみみたいなものが物語の根底に流れがちです」
ーー本作は青春の象徴として少女の恋愛が描かれています。社会によって記号化されてしまう「女子高生」という存在の恋愛をいま描こうとする際に、原作から脚本につくり直す段階で工夫されたことはありますか?
中川「僕は今作に関して恋愛映画だという身構えでは臨んでいません。一つの要素として恋愛はありますが、それよりも絶対的な別れをどう受け止めて、どう落としどころ見つけて成長していくかということをしっかり描きたかった。だから観ていただくとわかるのですが、恋愛映画のような入り口をしていながらも、着地としては恋愛そのものから距離感のある描き方にしています」
ーー絶対的な別れである卒業自体が、青春の呪縛から解き放つ一つの役割でもあると思います。『少女は卒業しない』というタイトルについてはどう解釈しましたか?
中川「これは僕のいち解釈ですが、卒業は時期が訪れれば迎えざるを得ないものであって、そこに選択の余地はないものです。にも関わらず、“卒業しない”と表現してることに、卒業に対する強い拒絶感や、怒りに近い意志を感じました。だからこそ、みんなの意思表明として最後に題字を出しています」
朝井「本作は発売当初から読者の方に“……卒業していますよね?”と言われることが多いんです。もちろんそこに込めた私なりの意図はあるのですが、この解釈が正解ですみたいな差し出し方はしたくないので、私からは何も言わないでおきます。監督が示してくれた一つの答えとして、本作は本当に素敵な映画に仕上がっていますし。私、試写を観たあと、すごくご機嫌な気持ちになったんですよ。気分が高揚して、試写の会場に持っていった傘も忘れて、上がった体温を発散させるために歩いて帰ったくらい。どうしてだろうと改めて考えたのですが、すごく丁寧なものづくりに触れたから、だと思います。良い作品を作るという意思のもとにそれぞれの分野のスペシャリストが集ってくださって、そこに邪念や打算がない。そういうものづくりに触れると人はご機嫌になるんだと、今作を通して実感しました。高校の卒業式の話というと遠く感じる方もいると思いますが、なにより丁寧なものづくりに触れたい人にぜひ観ていただきたいです」
text Daisuke Watanuki(https://www.instagram.com/watanukinow/)
『少女は卒業しない』
2月23日(木・祝)より新宿シネマカリテ、渋谷シネクイントほか全国公開
公式 HP: shoujo-sotsugyo.com
出演:河合優実、小野莉奈、小宮山莉渚、中井友望、窪塚愛流、佐藤緋美、宇佐卓真、藤原季節
監督・脚本:中川駿
原作:朝井リョウ『少女は卒業しない』(集英社文庫刊)
製作プロダクション:ダブ 製作:映画「少女は卒業しない」製作委員会(クロックワークス、 U-NEXT、ダブ) 配給:クロックワークス
© 朝井リョウ/集英社・2023 映画「少女は卒業しない」製作委員会公式
Twitter/Instagram:@shoujo_sotsugyo
【STORY】今日、私はさよならする。世界のすべてだったこの“学校”と、“恋”と。 廃校が決まり、校舎の取り壊しを目前に控えたとある地方高校、“最後の卒業式”までの 2 日間。別れの匂いに満ちた校舎で、世界 のすべてだった“恋”にさよならを告げようとする 4 人の少女たち。抗うことのできない別れを受け入れ、それぞれが秘めた想いを 形にする。ある少女は進路の違いで離れ離れになる彼氏に。ある少女は中学から片思いの同級生に。ある少女は密かに想いを寄せる先生に。しかし、卒業生代表の答辞を担当するまなみは、どうしても伝えられない彼への“想い”を抱えていたー。
朝井リョウ
1989年、岐阜県生まれ。小説家。2009年『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2013年『何者』で第148回直木賞、2014年『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞、2021年『正欲』で第34回柴田錬三郎賞を受賞。2023年に『正欲』の映画が公開予定。
写真提供:文藝春秋
中川駿
1987年5月13日、石川県生まれ東京都育ち。大学卒業後、イベント制作会社を経て独立。イベントディレクターとして活動する傍らで、ニューシネマワークショップにて映画制作を学ぶ。自らが脚本・編集・監督した短編『カランコエの花』(16)はレインボー・リール東京 ~東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でグランプリを受賞したほか、国内の映画祭を席巻。現在でも多くの企業や教育機関研修等で教材として、LGBTQの理解促進に貢献している。その他、過去の監督作品は『time』(14)『尊く厳かな死』(14)『UNIFORM』(18)など。本作が初の長編作品となる。