地元である神奈川県大和市を舞台とした『大和(カリフォルニア)』で知られる宮崎大祐監督が、信頼を寄せる4名の監督に大和市をロケ地とした短編映画を制作依頼。自身の短編を含む5作品を収めた『MADE IN YAMATO』が5月28日(土)より公開される。監督陣は、大和市で夏に開催される「こども映画教室」のために宮崎が声をかけ、講師として参加してもらっていたという山本英、冨永昌敬、竹内里紗、清原惟。大和市がロケ地として採用されていさえすればいいという条件のもと、それぞれの個性際立つ5作品が集った。NeoLでは、企画発案者であり、場所や人物を抽象化することによって多義的な視点を示唆する『エリちゃんとクミちゃんの長く平凡な一日』を送り出した宮崎大祐監督と、スポーツセンターの清掃員を務めるまき絵の生活を丁寧に描き、ミクロな目線からマクロの問題を想起させる『まき絵の冒険』を手掛けた竹内里紗監督による対談を敢行。現代社会を真摯に見つめながら異なる視座やアプローチで物語を紡ぐ2人の監督に、制作の過程や互いの作品への率直な感想などを聞いた。
――お二人のご縁は、宮崎さんが大和市主催の「子どもの映画教室」の講師として竹内さんに声をかけたことから始まっているとか。竹内さんに声をかけようと思ったきっかけは?
宮崎「知り合いの監督に講師をお願いしていたのが、用事ができて行けないから代わりの人を紹介しますという感じで会ったのが最初だったのですが、紹介される前から『みちていく』は観ていて、面白い作品を撮る方だなという印象はありました。卒業した学校(映画美学校)も一緒で、その界隈で話題になってる作品だったのですが、しっかり映画史的なバックボーンもあり、映画作りのことをわかったうえで、言語にできない時間を描いたり語りをやってるのはいいなと。優等生だけどなんかちょっと違うというような印象を受けて、面白いからまた新作が出たら観たいなと思っていたんです」
竹内「私は大和の近くに住んでいるので、『大和(カリフォルニア)』のことはもちろん知っていて。近しい場所で育った人がどういう映画を撮るんだろうなと思っていたのですが、講師のお話をいただいたタイミングで改めて作品を拝見して、すごく映画が好きな人だと感じました。でもそれをうまく伝えられなかったんですよね。講師をやるようになって1年くらい経ったタイミングで、宮崎さんの『TOURISM』の上映会があって、伝えたいことはたくさんあったのに『私も観光の映画撮りたいんですよね〜』という上からの言い方をしてしまって、『こいつ、なんだ?』みたいなバチッとした雰囲気にしてしまった(笑)」
宮崎「『私も観光の映画を撮るつもりなんで、参考に観れてよかったです』と言われて、どういう観光映画を撮るのか言ってみろよ、と(笑)。たまたま同日、『TOURISM』が高崎映画祭でやってて、同じ時間帯にシネマテークたかさきで『MIRROR』(『21世紀の女の子』内の竹内による短編作品)が上映されてたんですよ。そこで僕も竹内さんの映画のことを色々言ったりして」
竹内「今でもその光景を鮮明に覚えてます。映画館を出てきた時から宮崎さんの顔が曇ってて、ヤバいなって(笑)。でもそこでの“映画美学校的な映画”という指摘、つまり人の動かしやカット割りをやってるのはいいけど、そういうことを突き詰めていった先に何があるの? 何をやりたいの? という意見はすごくありがたかったし、今回のことにも活きているなと思います」
――テクニックを突き詰めるだけではいけないと?
宮崎「テクニックと言っても、あの学校で限定的に信じられていることを純粋化したような印象を受けて、あまり人が映ってなくて残念だなと思ったので、そんな話を映画館の裏のベンチでした気がします」
竹内「冷や汗をかいたけど、おっしゃる通りだなと思いました」
宮崎「今回のメンバーはそうやってバチッという緊張感があるうえで仲がいい人たちが揃っているんです。なんとなくで集まったりしないし、集まったらちゃんとそれぞれの作品に意見交換したり、非常にポジティヴな関係を築けているメンバーです」
――宮崎さんの指摘も活きているということでしたが、『まき絵の冒険』をご覧になってどんな感想を抱かれましたか。
宮崎「竹内さんはわりと器用だから、ここ数年はクライアントの意向を十全に踏まえつつ、そのスキルフルなところを活かして、かつちょっと映画っぽい作品を撮られていることが多かった印象があるんですけど、今回は本当に久しぶりに『みちていく』の頃の、語りえない何かを時間と画を用いて語るスタイルに戻ったかなと。商業的な面から見るとちょっと尺が長いかなと思うところもあったんですけど、自分がやりたいままによくわからないものをとにかく撮っちゃって、感覚的にいいと思ってる順番に並べたという状態が出てくるのが久しぶりな気がして、そこがとても尊い作品だと思いました」
竹内「私は1個のことから発想して映画を撮るのではなく、その時に思っていたいろんなバラバラのことから映画を作っていくところがあるんですけど、そういう作り方自体がクライアントワークではやりづらいんです。何を求められているかを考えてそれに対して応えるという感じなので、何個も自分が思ってることを詰め込んだり、こう思っていますということができない。でも今回の企画は全員が本当に素直にやりたいものを撮ってくるだろうし、それがどんな形であれ作品にできる人たちばかりだから、自分のグチャグチャさも受け入れてくれるという意識があって、学生の時に撮った『みちていく』系の作り方ができたなとは思っています。さらに、今まではどらちかというと一つの型というか、指摘されたような映画美学校的なものや映画史的なものを踏まえて撮っていたところから、もう少し自分の形を見つけたくて、思うままに撮ってみようと挑戦したのでいつになく長くなったというのはあります」
――竹内さんは本作について「見慣れている景色の隙間に見落としてきたものを見つけた時、新しい地図が自分の中に立ち上がる」とおっしゃっていましたが、まさしくその通りの作品になっています。どうしたところから着想して作り上げていったのでしょうか。
竹内「話の発想の一つは、自分の母親です。母親と彼女が長く住んでいる土地とが密接に結びついている印象を受けたことから、土地を題材とした今回のプロジェクトでは年配の女性を主人公にしたいと思いました。主演の兵藤(公美)さんも素晴らしい役者で以前から一緒にやりたかったので、そことも合致したんです。あと、宮崎さんが大和を案内してくれた時に、大和にはグラフィティが多いという話をしてくれて、その視点だと大和が全然違う見え方がしたことも入れたかった。それがまた、コロナ禍で散歩をすることが増えて、散歩してる時ってすごく孤独だけど世界を肯定できるというか、何もしてない私もいいなという気持ちになれたから、歩いていくシーンを撮りたいという気持ちと結びついていってーーそういう色々から作り上げていきました」
――『みちていく』でも街中の様々なものにシールを貼っていくシーンがあり、今回もステッカーがキーになっています。社会の中であまり見えない存在になっている人たちを描く中で、そのように公のものを私的なものにする行為が描かれているのはとても象徴的だなと思いました。
竹内「最後のシーンは、まき絵なりの精一杯の抵抗なんですよね。公のものに何かするのは悪いことだという意識が存在してしまっている人だから、これだったら許されるだろうというギリギリの抵抗。それは誰かに届くかもしれないし、届かないかもしれない、そういう寄り添い方をして作ったつもりです。彼女の母親は亡くなっているという設定で、娘でもなくなっていて母親でもない。友達はいるけど、(社会の中で)声が聞こえづらい存在です。自分自身もそのような存在に対してシンパシーがあるから、母親から発想を得つつも自分も投影していると思います。ただ一方で、これは短編ということもあって、そういう女性をイメージとして描きすぎたという反省もあるんですね。自分の中では誠実に作ったけど、世間が持ってるイメージのようなものを固定することにも繋がってるんじゃないかと考え込んでしまって。だから次は置かれてしまっている状況やシステムをもっとしっかり描かないといけないなと思いました。もっと細かく書けるし、もっと強く、その状況を強いてるシステムなどに関しても言及していきたいです」
宮崎「僕はそこは気にならなかったです。ただやはり道具立てとしてはそうだと思うので、おしゃってたように次は多少ずらしてもいいのかもしれない」
竹内「実はステレオタイプの道具立てに抵抗しなきゃいけないなと思って長回しをしたんですよ。身体というフィジカルなものに集中させることで、そこにいる一人の人間として見てほしかった。でも人に集中させて、長回しに耐えうる1カットを撮ることの難しさを知りました。私は今回『観て! ささやかな存在かもしれないけど、いるから!』というすごく暴力的な気持ちでその長さを入れたんですけど、長く感じる人がいることは否めないなと。映画として耐えうる長回しにするにはどうしたらいいんですかね」
宮崎「個人的な感想としては、冒頭が普通の映画っぽい割りだから、そういう作品のリズムだとお客さんが思ってしまう。その後でドカッと長くなるから、余計に長いと感じてしまうのかもしれないです。最初から、『この作品は存在を見せていくんです』というカットがいくつかあれば違うのかも」
竹内「最初に編集したヴァージョンは全体がドカッと長かったんですよ。そっちの評判もすごく良かったんですが、50分もあったから5作品の中で見せるのは難しいということで、あの構成に変わったんですよね」
宮崎「長編のバージョンは自分で上映したらいいんじゃないですか」
竹内「そうですね。またリズムを変えて」
宮崎「あとは人を置く場所かも。人にしか目が行かない場所に置いてるから、人以外にも目が行く場所に人を置いたならもっと短く感じるかもしれないとは思いました」
竹内「それを些細な風景の中で作るのがすごく難しいと思ったんですよ。特別なものがあるわけではない、どこにでもあるような景色の中で作るということが。宮崎さんはそれがすごくうまいですよね。普通はロケハンもしっかりとした手順を踏むのに、宮崎さんはそれこそ日々の散歩の中で見つけてしまうし、ただの自販機の前やショッピングモールの前の階段とか、『そこで映画が撮れるの?』ってところですぐに映画を撮れてしまう。景色と人をどうやって見てるんだろうと思います」
宮崎「何かが出てくるまで待ってますね」
竹内「待ってから置くんですか」
宮崎「置くんですけど、そこで待ちます。釣りみたいな感じですね。光が差し込むタイミングを待っているのと一緒で、ここは多分面白いことが起きるなというタイミングがあって、それを待ってカメラを固定してスタートして、しばらく待ってたらやっぱり来たって感じです」
――その何かが起こりそうな気配はどうやって掴むんですか。
宮崎「敏感でいるということじゃないでしょうか。竹内さんも自分の授業でおっしゃってたけど、面白いものが映りそうなところや予想外の何かが起きそうなところにカメラを向けておく。今回で言うと、例えば2人が土を掘っているところで引き絵に行った時に飛行機の音が入るんですけど、あれは同録なんですよ。掘ってる時に何かあるんじゃないかと待ってたら、ちょうど飛行機が飛んで。今回の短編には基地的な要素がなかったところに、絶妙なタイミングで飛行機が通ってくれたので、よし!と思って、後からかぶせることもなくそのまま使っています。前半は短いカットが多いんですけど、そうやって風や太陽、雲、役者の一瞬気が抜けたタイミングとかをずっと待ってから次のカットに行くということをやっていました。
後半は店内になるので、顔の寄りをどのサイズで撮るかと何種類もテストでやってみて決めて、顔の表面や瞳に何が起きるかがよく見えるという、何かが起きるのを待つ代わりに起こしにいったパターンです。でもそれも結局は、役者の顔や身体に起きる何かを待ってるんですよね。その予想だにしない何かーー僕がやりたいものと役者がやりたいもののさらに上にある想像しなかったようなものが出てくるのを待つという作業。あそこでは、いい加減に撮ってると言われるのもシャクだったので普通のドラマのようなカット割りもしてみました」
竹内「(笑)。一度『適当に撮ってますよね』という感じのことを言って、またバチッとされたことがあるんです。何をどう撮っても映画になりそうだという意味で言ったんですけどね」
宮崎「竹内さんは言葉選びがちょっと特殊なんで」
竹内「誤解を生みやすい(笑)。宮崎さんの作品は偶然の瞬間とそういう作為的なものが混じっていてすごく面白いですよね」
宮崎「作為的なことはCGで作れるので、そこに今の興味はないかもしれないです」
――今作ではiPhoneでのセルフィー然り、コロナ禍でのマスク姿もあり、今日性が全面に出ていたのも特徴です。
宮崎「いろんなメディアで撮るのもそうなんですけど、『映画って何なんだろう?』ということを年々考えるようになっているんです。もはやなんでも映画と言える時代ですけど、あらゆる映像の中で時の流れに打ち勝って残り得るものが映画なんじゃないかという理想主義的な視点に立つと、映画は人への希望をしたためた手紙でもあるし、未来の人に対するタイムカプセルみたいなものでもある。少なくとも自分はそういうものを撮りたい。だからこの映画のどこか断片でも未来に届いてくれないかなと、ああいう感じにしています。また、マスクはそれによって目の芝居に集中させられるという意図もありますが、目しか見えない状況で人を見分けるのは難しいという抽象化にも繋がっています」
――抽象化は、場所である大和にも及んでいますね。
宮崎「大和という撮れる場所があっていいねといろんな方に言われてきたんですけど、見れば分かるように、基地はあるけどそれ以外特に何もない場所なんです。そこをどうにか映画にしよう、映画的空間にしようというのがこの10年間の僕の格闘だったのですが、その固有性を打ち消していった場合に、それは果たして僕の映画になるのか、それでもまだ大和と言えるのだろうかと考えて、どこにでもあるような場所や室内をあえて撮るという選択をしました。ただ、関東からはどこからでも富士山が見えると思うんですけど、手前に飛行機が入ってしまうのも大和ならではだし、店内に恐竜が置いてあるのもそうだし、匿名化していったところで結局は何かしら残ってしまう。それこそが今興味があるところなんです」
――なぜそうした部分に興味が出てきたんでしょう。
宮崎「コロナになって味覚と嗅覚が変わってしまって、肉の匂いが果物の香りに感じたという体験などから考えたこともあります。普段感じているおいしそうな匂いやいい香りというのは全て人間の思い込みで、その思い込みを抜きにしたら想像ができない何かだったという体験をしたので、それを活かしたというか。景色も映画も同じように、見方や切り取り方、アングルによって解釈も変わる。そういう世界に今の興味があるので、それを映画でやってみたかった。
あと、自分はすごく論理的な人間だと思うんですが、ここ数年、特に東日本大震災以降は人間として論理的に理解できないようなことが多く起こっている気がして。わかりやすいところではコロナがそうでしたし、ウクライナ侵攻も自分には全く理解できない。理解はできないけど起きたとしても不思議ではないという出来事や存在が勃発している流れの中で、自分の認識や予想とは、西洋的な、聖書やギリシャ神話的な範疇での価値観で育まれていたものであり、そうではないものも確実にあるのだと感じる機会が増えました。だからこれは西洋的なロジックの外に挑もうという第一弾だとも思っています」
竹内「宮崎さんの作品はいつも生きてることを肯定していこうとするものですよね」
宮崎「長期的には楽観主義で、短期的には悲観主義なんです。長期と言っても人間は60、70年でどうせ終わってしまうので、せっかくだったらやりたいことをやって、みんなが少し前向きになってくれるようなものを作っていきたい。昔はすごく悲観的で暗い話ばかり書いてたんですけど、関わってきた人たちからいい影響を与えられて、自分がこれだけ変わっていけてるんだったら、自分もポジティヴな力を与えられたらちょっとは世の中が良くなるかなという風に変わってきたのかもしれないです。力の向きが外向きになったというか。時代としても世紀末感が尋常じゃない中で、もうダメだとか世の中終わってると叫び続けるくらいなら、それでも僕はやるよと胸を張って作る人間が一人くらいいてもいいんじゃないかと」
竹内「宮崎さんの姿勢に観客としても作り手としてもいつも励まされていて、私もそうなりたいなという気持ちはありますが、今はポジティヴに向かえない状態ですね。どうやって生きていったらいいか、どうやって映画を撮っていったらいいか、モデルとするものが一切ないなと思っていて。具体的には、セクハラ、パワハラ、搾取みたいなことを、自分が受けることもあるけど映画を作る限りは自分がしてしまう可能性もあるという現状の構図があって、そうならない環境を作ろうと思っても、形すら見えないし、あまりにも障害が大きくて、どうしたらいいんだろうと毎日考えています。自分が絶望しているから、希望や、こういうことを信じてますということを描くのも難しい。かと言って、システムがこうなっていて、こういう苦しみがありますとただ描くことも現状の追認でしかないから映画の役割としては違うと感じる。だから、絶望していることも含めて、良いことも悪いこともあるという提案くらいしか今はできないですね。この現状に、抵抗する力すら奪われていっている。それでも映画を撮るのは諦めたくないというか、映画を撮って、自分がこう思っているという状況を描くことで、誰かが観た時にちょっとでもマシな気分になってくれるかなという気持ちはまだギリギリある。その気持ちだけで次も映画を撮ろうと思っているけど、ずっと葛藤は続いてます」
text Ryoko Kuwahara
『MADE IN YAMATO』
5月28日(土)より新宿K’s Cinema、横浜シネマリン、6月4日(土)より、シネ・ヌーヴォ、京都みなみ会館、元町映画館 、6月11日(土)より名古屋シネマテーク、6月18日(土)より愛媛シネマルナティック、以降シネマテークたかさき、ほとり座、KBCシネマほか全国順次公開
https://voiceofghost.com/archives/category/made-in-yamato
https://twitter.com/madeinyamato528
監督 山本英、冨永昌敬、竹内里紗、宮崎大祐、清原惟
2021/ 16:9/ 5.1ch./ 120分
企画 DEEP END PICTURES 製作 大和市イベント観光協会 配給 boid/Voice Of Ghost
(C)踊りたい監督たちの会
Story1『あの日、この日、その日』
監督・編集:山本英 出演:村上由規乃 山崎陽平 小川幹郎 ほか
市役所で働くユキは退職する太田さんのために職員たちのビデオレターを撮っている。ある日の休日、ユキは友人の山崎とピクニックに出かける。何でもない特別な日を見つめる物語。
●今回はキャスト、スタッフ全員揃っての事前顔合わせが状況的に難しかったので個々でのやりとりを行い撮影当日にやっと「はじめまして」というようなやり方になりました。ですが、その断絶が今回の「私の知らない個々の話をしていく人たち」というテーマに繋がっているように思います。(山本英)
Story2『四つ目の眼』
監督・脚本・編集:冨永昌敬 出演:尾本貴史 福津健創 円井わん
麻子は別居している父親にある人物を紹介するために、喫茶フロリダへ誘い出す。そこではその3人と彼らを取り巻く人々の過去や想いが錯綜し……。名物喫茶店を舞台に繰り広げられる奇妙な対話劇。
●(舞台となった喫茶店に)はじめて足を踏み入れた瞬間、ここをお借りしたいと思いました。膨大な夜景の写真に埋め尽くされた店は悪だくみに熱心な男たちの巣にピッタリで、魔都のコピーをかき集めたかのような幻想的な内装には大いに刺激を受けました。(冨永昌敬)
Story3『まき絵の冒険』
監督・脚本・編集:竹内里紗 出演:兵藤公美 堀夏子 加賀田玲 石山優太
清掃員のまき絵は街中に貼られている同じステッカーに気付き、写真で収集を始める。一体それは何を意味しているのか。ある夜、中学の同級生に再会し、彼女の連絡先を書いた紙を渡される。まき絵の冒険が始まる。
●元々まき絵は図書館司書の設定でしたが、市立のスポーツセンターが面白い場所だったので、スポーツセンターの清掃員に書きかえることにしました。多くの人が運動をしにやってきては去っていく、通り過ぎていってしまう中で、まき絵だけはこの広大な空間で掃除という運動を繰り返しているという姿が浮かびました。(竹内里紗)
Story4『エリちゃんとクミちゃんの長く平凡な一日』
監督・脚本・編集:宮崎大祐 出演:柳英里紗 空美 本庄司 小川あん
バンド仲間のエリとクミはある日、タイムカプセルに入れるため、大和での生活の動画を撮り始める。その後訪れた恐竜レストランで、右目で見た世界と左目で見た世界の違いを語りはじめるエリ。二人は次第に両目の間の世界へと迷い込んでいく。
●今回は人称や時制、ジェンダーを解体する狙いがありました。その結果、未来に向けているのか過去に向けているのか現在に向けているのかわからない無時間的なタイム・マシンとしてこの映画が立ち上がってきて欲しいと。(宮崎大祐)
Story5『三月の光』
監督・構成・編集:清原惟 出演:小山薫子 石倉来輝 田中真琴 南辻史人
高校を卒業したばかりの莉奈は川辺に佇む。同級生の男がやってきて莉奈にしつこく付き纏うのだが、莉奈は相手にする気もない。「海に行きたい」と莉奈は言う。やってきたバイクに乗せてもらった莉奈は海に行けるのだろうか。
●今回、脚本を事前につくらず撮影を行いました。俳優のふたりと話したり、大和を散歩しているなかで積み重ねた時間やアイディアを元に、現場にはいってから実際の環境に反応しつつ、即興的につくっていくという試みをしてみたかったからです。(清原惟)