観る者を釘付けにする独創的なパフォーマンスで、ストリートから世界へと飛躍した驚異のダンサーの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『リル・バック ストリートから世界へ』が8月20日より全国順次公開される。全米有数の犯罪多発地帯としても知られるメンフィスで貧しい少年時代を過ごしたリル・バック(本名:チャールズ・ライリー)は、地元で生まれたストリートダンス“メンフィス・ジューキン”に没頭するように。やがて、本格的にダンスを学ぶようになり、一本の動画をきっかけに世界的な注目を集めるー。フランス出身のルイ・ウォレカン監督がメガフォンを執った本作は、メンフィスの街を背景に、貴重なアーカイブ映像やゆかりのある人物たちのインタビューなどを交え、リル・バックという稀有な存在を立体的に描き出す。ぜひ大画面で堪能したい、本作でしか観られない撮り下ろしのダンス映像も必見だ。映画の日本公開を前に、リル・バック本人にリモートインタビューを行い、メンフィス・ジューキンの魅力や映画の誕生秘話などをたっぷりと語ってもらった。(→ in English)
――昨年公開されたショートフィルム『Nobody Knows』で初めてあなたのダンスを観たのですが、これまでに見たことのないような独創的なパフォーマンスに圧倒されました。ご自身の言葉で表現すると、メンフィス・ジューキンはどんなダンスですか?
リル・バック「(メンフィス・ジューキンを)一度も見たことのない人に、視覚的にどのようなダンスなのかを説明するとしたら、『マイケル・ジャクソンの10倍』とかかな(笑)。たくさんのグライドやスライドやバウンスで構成されているんだ。基本的にメンフィス・ジューキンは、僕らが耳にした音楽に反応して発するバウンスから生まれた。メンフィスのアンダーグラウンドのラップミュージックから生まれたんだ。バウンスから始まって、ギャングスタ・ウォークを経て、みんながいろんなステップやグライドやスライドを加えて、メンフィス・ジューキンや現在のスタイルへと発展していった。でも、一度も見たことのない人だったら、『メンフィスという街で生まれた、スライドやステップやトゥスピンやグライドを多用する、音楽性に基づいたダンススタイル』とだけ伝えるかな。一つのリズムから別のリズムへ、また別のリズムへと踊るというか…これで伝わるといいけど(笑)」
――あなたの人生において、ダンスが大切な存在となったきっかけを教えてください。
リル・バック「物心ついたときから姉が踊るのを見て育ったから、ダンスは僕の人生における大切な存在だった。姉はいつもダンスに夢中で、それは僕が日々ハッピーでいられる一つの要因となっていた。僕は非常に貧しい環境で育ったので、子どもの頃は何もすることがなかったんだ。僕らには何もなかったからね。ダンスは何も買わなくてもできるし、踊っていれば楽しいと感じられた。姉が幸せそうに踊っているのを見て、自分でもやりたいと思うようになったんだ。姉と一緒にダンスすることで、仲間意識を共有しながら成長できたのもうれしかった。僕のダンスへの愛と情熱は、そのようにして生まれたんだ」
――ずっとダンサーを目指していたのですか?
リル・バック「子どもの頃から、実はアートが大好きで、アニメの絵を描くことに夢中だった(笑)。『ドラゴンボールZ』や『トライガン』や『カウボーイビバップ』とか、あらゆるアニメの絵を描いていたんだ。ずっとアーティストになりたかったんだけど、ダンサーになりたいという気持ちの方が強かった。姉からはダンスへの愛や情熱を学んだ。でも、それからメンフィスに引っ越して、そこで目撃した地元のスタイルが、自分の野心や目標とするダンスに近かったんだ。僕はマイケル・ジャクソンのような動きができるようになりたいと思っていたんだけど、ストリートダンスのスタイルであのような動きは見たことがなかった。もちろん、マイケルが多くのダンスムーブを学んだスタイルであるポッピングもあったけど、メンフィスにはなかったからね。僕らにあったのはジューキンだけで、キッズはみんなスニーカーを履いてグライドしていた。僕はそうやってのめり込んでいったんだ。初めてメンフィスのストリートでジューキンを見たのは、12、3歳の頃。駐車場に停めた車の外で踊っている子がいて、まるで水上でグライドしているみたいだった。僕はそのときにメンフィス・ジューキンとそのスタイルに惚れ込んで、彼を見てダンサーになりたいと思ったんだ」
――この映画はどのような経緯で生まれたのですか?
リル・バック「4年ほど前、LAに引っ越したばかりの頃に、振付師でLAダンス・プロジェクト(クリエイター集団)の創設者でもあるバンジャミン・ミルピエと出会ったんだ。彼はヨーヨー・マとのパフォーマンスを観て僕のことを知り、僕らは一緒に何度かコラボレーションした。本作『リル・バック ストリートから世界へ』のルイ・ウォレカン監督は、僕とバンジャミンのプロジェクトにビデオグラファーとして携わっていたんだ」
――そうだったんですね。
リル・バック「彼はそのときに撮ったショートフィルムのインタビューなどを通して僕のスタイルを知り、メンフィス・ジューキンについて学び始めたんだ。当時から興味はあったようだけど、転機となったのは、メンフィス・ジューキンが徐々に世界的な人気を集め始めたこと。それは多くの人が知りたがり、学びたがるダンススタイルとなり、僕がこのカルチャーのためにやってきたことも手伝って、メインストリームでも人気が急上昇した。僕が大きく関わっていると知ったルイ・ウォレカンは、僕が初めてジューキンを見たときと同じように心を動かされ、実際に何かしたいと考えたんだと思う。当時の彼は劇場用映画を監督をしたいと思っていて、ムーブメントを映像に収めるという点でも、メンフィス・ジューキンが大きなインスピレーションとなったんじゃないかな。僕もずっとメンフィスのカルチャーやメンフィス・ジューキンのストーリーを伝えたかったし、世界規模で上映したいと思っていた。だから、メンフィス・ジューキンやこのスタイル全般についての映画を世に出したいという気持ちが、お互いに一致していたんだ」
――今回のドキュメンタリーを製作するにあたって、監督に提示した条件はありますか?
リル・バック「監督には、ロケをする際は僕たちの意見を聞いてほしいと伝えた。外部から来る人間が完全な信ぴょう性を求めることはわかっていたからね。これはあくまでもストリートダンスなのだということを知ってもらいたかったんだ。誰かと一緒じゃないと、強盗に遭わずには行けないような場所がまだあるんだよ(笑)。監督はこのカルチャーを尊重し、それが尊重する価値のあるカルチャーであることを知った上で参加していたし、僕らもその考えを共有していた。彼にはジューキンについて学びたい人や、ジューキンを通して何かしたい人、あるいはジューキンを搾取したがる人もたくさんいることを伝えた。このカルチャーを安心して彼の手に委ねることができるように、必要な場合はいつでも僕たちを頼ってほしいし、編集にも参加させてほしいと頼んだんだ」
――リアルな作品にするために。
リル・バック「そうだね。メンフィスの人々の話し方から、監督が特定の人たちに投げかける質問まで、信ぴょう性が感じられるようにしたかったんだ。僕らにはお互いに対するリスペクトや理解があって、それは僕自身よりも大きなものだった。それは監督よりも大きなものであり、僕ら2人の野心よりも大きなものでもある。それは一つのカルチャーなんだ。カルチャー全体なんだよ。ジューキンはメンフィスが所有する数少ない財産の一つであり、この街が生み出したポジティブなものなんだ。僕らにはブルースがあり、音楽シーンがあり、ロックンロールがあり、エルヴィスがあり、バーベキューがある(笑)。メンフィスというと、そういうものしか思い浮かばないよね。でも、今はメンフィス・ジューキンがあるんだ。メンフィス・ジューキンは僕らにとって最もポジティブなものの一つで、それはメンフィスの街全体に深く根付いている。僕らはそのことを大切に思っていて、監督にはそれをリスペクトしてほしいとだけ頼んだ」
――劇中では、メンフィス・ジューキンにゆかりのある伝説のローラースケートリンク、クリスタル・パレスが登場します。若者をトラブルから守っていた場所でもあるそうですが、閉鎖されてしまったそうですね。現在のメンフィスの若者を取り巻く状況はいかがですか?
リル・バック「まず第一に、君がクリスタル・パレスを知っていること、メンフィス以外の人があの魔法のような場所について知っているということが、すごくうれしいよ。クリスタル・パレスのことをそんな風に語ってくれるなんて感無量だ。この映画が役目を果たしているということだね。クリスタル・パレスは、若者がトラブルに巻き込まれることなくダンスやローラースケートを楽しめる場所だったんだけど、残念ながら閉鎖されてしまった。でも今、このダンスは進化し続けている。僕がこの業界でやってきたことや、メンフィス・ジューキンを世界に紹介したこと、ジューキンでも生計を立てられるのだと地元の仲間たちに示したことが、その理由だと思う。それに誘発されて、メンフィスでは多くの人々が自分たちの手で自分たちのための機会を生み出し始めているんだ」
――たとえば、どのような変化がありましたか?
リル・バック「今はメンフィス・ジューキンを習ったり、練習したりできるダンススクールがあるんだ。僕がかつて所属していたサブカルチャー・ロイヤルティもあるし、ダンサーのラディア・イェーツが最近オープンしたLYEスタジオとかね。彼女は僕と同じように幼くしてメンフィス・ジューキンを習得し、それによって人生が変わったからスクールをオープンしたんだ。僕もメンフィスのダウンタウンにジューキンが学べるアカデミーをオープンする予定。ちょうど今、準備しているところなんだ」
――それは楽しみですね。
リル・バック「それに、次世代のキッズは賢いんだよね。彼らはダンスに対する好奇心や向上心が強くて、このダンススタイルに付随する楽しさや喜びにだけ目を向けている。僕たちは、本物の系譜をキープしつつ、これがストリートダンスであることを知ってもらうようにしている。でも、彼らは僕らが経験してきたような様々な課題や苦労を経験する必要はないんだ。なぜ昔は違ったかというと、ジューキンに与えられた機会が文字通りゼロだったから。でも今はYouTubeやSNSなど、いろんなプラットフォームが存在する。自分の個性を発揮して、目の前で君のダンスを見ているイトコだけでなく、他の人にも自己表現することができるんだ。今の僕たちにはそれくらいの大きな影響力があるから、このダンススタイルの中で個性を分かち合えるようになった。それによって、多くの子どもたちがトラブルに巻き込まれずに済んでいる。正直なところ、彼らはこのダンスにとても惚れ込んでいる。彼らには彼らなりの願望があって、いつかは僕を追い越したいと思っているんだ」
――この作品を通して、ご自身についての新たな発見や驚いたことはありましたか?
リル・バック「僕は今でも自分が学ぶ側だと思っているし、メンフィスの仲間たちのファンだと思っているから、帰省するたびに自分の影響力の大きさに驚かされるんだ。僕にとってのダンスの神様はダニエル・プライスやDr.リコなど、子どもの頃から崇拝してきた人たちだからね。彼らこそメンフィス・ジューキンの最高峰だった。今でも大ファンだから、みんながこの僕に影響を受けているなんて違和感を覚える。クレイジーだよ。いまだに驚いているんだ。僕はまだ、この夢から覚めていないような気がする。今でも自分で自分をつねっているんだ(笑)」
――今度は本作を通して、日本の観客にもインスピレーションを与えることになります。映画の日本公開を前にして、どんな気分ですか?
リル・バック「呆然としている。言葉を失ったよ。だって、僕は日本の文化が大好きだからね。さっきも言ったように、僕は子どもの頃から大のアニメファンで、『カウボーイビバップ』を観ながら日本語を学んでいるんだ」
――そうなんですね。
リル・バック「僕はずっと日本や日本の文化、それに日本のあらゆるシーンが大好きだった。この映画が日本で公開されるなんて…わからないけど、なんだか圧倒されてしまうよ(笑)。今すぐにでも日本に行って立ち会いたいくらいだ。素晴らしい気分だね。人として、一個人として、僕は日本の文化から深いインスピレーションと影響を受けてきた。僕の動き方やダンススタイルだって、日本のアニメや文化から派生したものがたくさんある。だから奇妙な形で、これは僕にとって原点に戻ったという感じなんだ。興奮しているよ」
――日本に来たことはありますか?
リル・バック「日本には何度も行ったことがある。僕の妻は日本人なんだけど、『私よりも日本に行っているよね』って、からかわれているんだ。22、3歳の頃、CMの仕事に恵まれて大金を得たんだけど、僕は文字通り、そのお金を全部費やして、1ヶ月おきに日本に通っていた。ファッションもカルチャーもアニメも食べ物も大好きだから、日本のカルチャーを大いに体験したかったんだ」
――また安全に移動できるようになったら、ぜひ日本に来て、日本のキッズにもダンスを教えてほしいです。
リル・バック「絶対にね。妻は日本人でダンサーでもあるから、実は今、一緒に計画しているところなんだ。日本のスタジオに行って、2人でダンスを教えたいと思っているよ」
text Nao Machida
『リル・バック ストリートから世界へ』
8月20日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開
http://moviola.jp/LILBUCK/
原題:LIL BUCK REAL SWAN|監督:ルイ・ウォレカン|2019 年|フランス・アメリカ|85 分|DCP|カラー 字幕:大西公子 配給:ムヴィオラ