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text by Ryoko Kuwahara

TIFF :「毎日生まれて、そして死んでいく」 キム・ボラ監督 & 橋本愛「アジア交流ラウンジ」by 是枝裕和監督

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11月に開催された東京国際映画祭にて、アジア各国・地域を代表する映画監督と、第一線で活躍する日本の映画人とのオンライン・トークを毎日発信する「アジア交流ラウンジ」が発足。この新たな取り組みは、世界的に活躍する是枝裕和監督が発案し、検討会議メンバーとともに企画したもの。当初は、各国の映画人が自由に交流できるリアルなラウンジを構想していたが、今年はオンライン形式に。国を越えた移動が制限され、映画の製作、上映、そして映画人同士の交流や協働のあり方が従来と全く異なる状況にあるなか、アジアの映画人たちは今、何を思うのか、何処を目指すのかを語り合う。ライヴ配信の特性を活かし、世界中からの質問も受け付けた。第一回目を飾ったのは、長編デビュー作『はちどり』にて、釜山国際映画祭NETPAC賞・観客賞、ベルリン国際映画祭(ジェネレーション14プラス部門)審査員大賞、韓国版オスカー「青龍映画賞」最優秀脚本賞など、世界中の主要映画祭で50を超える賞を獲得したキム・ボラ監督と、『リトル・フォレスト』(14/森淳一監督)『ワンダフルワールドエンド』(15/松居大悟監督)にてベルリン国際映画祭に参加した女優・橋本愛、そしてモデレーターを是枝監督が務めた。死生観や物事への鋭敏な感覚という共通項がある二人による、魂の響き合うような対談をお送りする。



是枝「なぜこの二人を出会わせたかったかというと、キム・ボラさんは『はちどり』が本当に素晴らしくて、キム・ボラさんも韓国のチョン・ジェウンさんの『子猫をお願い』がとても好きだという風にインタビューで答えられていたけれども、僕も『子猫をお願い』を観て衝撃を受けたし、ユン・ガウンさんの『わたしたち』も大好きで、あまり性別にこだわるのはよくないかも知れないけれど、時折、本当に韓国から鮮烈に女性監督が登場する。『はちどり』もまたこういう繊細な素晴らしい作品を撮る監督が登場したんだなと思いまして、ぜひこういう形ではありますけでもお会いしたいなと思ったのが一つきっかけです。橋本さんに関していうと、先ほど裏でお礼を申し上げましたが、『#SAVE THE CINEMA ミニシアターを救え!』というこのコロナ禍で起きた一つの動きに賛同していただいて、ご自身の映画館への愛を語っていただきました。僕もそれに賛同して参加をしましたけど、こんなに大きな形で大きく広がるムーヴメントになると思っていなかったので、金額が思った以上に大きかったというのももちろんですけども、本当に多くの映画ファンの方たち、映画人たちがミニシアターを愛して、育てられてそのことに恩返しをしたいと思っていただけたということが何より嬉しかったので、橋本さんにもそのお礼を伝えたかったというのもありますし、本当に映画が好きでたくさん観られているし、そういうのもインタビューで読んでいたんですけれども、キム・ボラさんの映画をもしご覧になられていたら気に入っていただけるでしょうし、もし今後キム・ボラさんが日本で日本の役者で撮ったりすることがあるとすると、僕は橋本さんがそれに出たりするといいなと勝手にプロデューサー気分で思いまして、こういう機会で良い出会いになればいいなと思ってお二人を引き合わせました」


橋本「はじめまして、橋本愛と申します。今日はよろしくお願いいたします」


キム・ボラ「こんにちは、紹介してくださってありがとうございます(日本語で)。本当に嬉しく思っています。私は『はちどり』を監督しました韓国に住んでいるキム・ボラと申します。まずは『アジア交流ラウンジ』シリーズを作っていただき、お招きいただきましたことに感謝を申し上げます。そしてこのイベントを作ってくださいました東京国際映画祭、国際交流基金アジアセンターの関係者の皆様にもお礼申し上げます。私の作品『はちどり』は喪失をテーマに描いた作品でもあるんですけれども、この作品を撮るに当たって参考にしていた映画がまさに是枝監督のデビュー作である『幻の光』で、そこに描かれた感情を参考にしていましたし、それ以外にも『誰も知らない』などで描かれていた都市の風景からもインスピレーションを受けていました。そして是枝監督の静けさを称えた演出の仕方にもインスピレーションを受けてきたので、モデレーターとして是枝監督が進行されるこの場に参加できて本当に光栄に思っています。
橋本さんの『リトル・フォレスト』を拝見させていただいたのですが、本当に微妙な感情を表現されていて、橋本さんの顔から伝わってくる繊細な感情の動きを拝見してとても印象深く感銘を持っていました。今日このようにお二人とお話しできるということはとても嬉しいことですし、緊張しています。改めましてお招きいただきましてありがとうございます」


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橋本「私は『はちどり』を残念ながら映画館では観れなかったけれど、先日家で拝見しまして、素晴らしい映画で、長編を初めて撮られたということもすごいし、好きなポイントとかあげたらキリがないくらい本当に感動しました。喪失をテーマに作られたというのを先ほどおうかいしたんですけど、主人公のウニはいろんなものを失うというより、急に別れが訪れたり、急に相手も自分も気持ちが変わったり、そういう風に急に何かが起こるということにすごく翻弄されながら、懸命に生きている。その姿を見て、私も今はもうちょっと落ち着きましたけど、ウニと同じ年齢の頃とかは確かに毎秒毎日自分の気持ちが変わっいて、昨日好きだったけど嫌いになった人もいたし、今まで失ってきたものもあるし、傷つけてきたことも傷ついてきたこともあるけれど、今この世界に対してすごく希望を持って生きていて、映画の最後の『世界は不思議で美しい』という印象的な言葉に、ものすごく自分の今の感情とか感覚と重なって、ふわーっと勝手に涙が溢れてきました」


キム・ボラ「心からの気持ちがこもった言葉でフィードバックをしていただいてとても感謝しています。私は生と死を常々映画のテーマに考えていて、私たちは毎日生まれて、そして死んでいくという風に考えているんです。太陽が昇って沈んで、月が昇って沈むということもまた新しく生まれてまた新しく死んでいくものではないかと。人生もそのように絶えず様々なものが生まれて死んでいく。それが繰り返されているのではないかと考えていて、それを映画に中に込めたいと思っていました。橋本さんの言葉を聞いていると、そのような私の気持ちを受け止めてくださったんだなと感じて、とても嬉しいです。『リトル・フォレスト』二部作の二部の最後で、伝統的な舞を踊られていましたが、その時の橋本さんが決然とした表情をされていて、多くのことを経験した後の成長した、まるで螺旋を回りながら成長した後の表情を表されていたので、そのシーンにとても感動したんですね。先ほど『はちどり』のエンディングの話をしていただきましたが、『リトル・フォレスト』の二部作の最後のエンディングが重なったような気がして、今とても感動しています」





橋本「ありがとうございます。質問するということに慣れていなくて難しいんですけど、私の感想と共に話を膨らませていけたらと思います。辛い時に指を見るという、塾の先生がウニに教えてくれた生きるための方法というか救いのようなことがとても印象に残っているんです。ありきたりだけど辛い時には空を見るとか、辛い時こそ笑うとか、そういうことは聞いたことがあるけど、指を見るというのは初めて聞いて。パンフレットを読んでも監督は心理学や文化や映画いろんなことに博識だということを感じて、あの言葉が監督ご自身の経験や思想から生まれたものなのか、それとも何かから得た発想であの言葉だったり、手法ができたのかをお聞きしたいなと思いました。自分が指を見て何を感じるかというと、身体と心が解離しているということ。いつもはすごく繋がっているんだけど、辛い時にも指は動くというので、解離しているからこそ、どうしようもなく心は重くても身体は動くんだということで、必死に身体を動かしていればいつか前を向けるかも知れないと希望をもらって。だからあの言葉がどうやって生まれたのか聞きたいです」

キム・ボラ「そのセリフに関しては10年くらい前に知り合いのお姉さんから聞いた言葉でした。そのお姉さんは自分の知人から聞いた話だと言って聞かせてくれたんですが、印象に残っていたので、お姉さんに許可をとって映画のシナリオに溶け込むように書きました。その言葉を聞いた時になぜ印象深かったかというと、人々は辛い時にややもすれば巨大な助言が必要なのではないかという気になるような気がしますが、実際は小さくても日常的な助言が力になることがあるんだと、この『はちどり』の準備をしている時にも感じたんですね。この準備中に、とても憂鬱になる時期がありました。ベッドから起き上がるのも辛いくらいの時期があって、1日を始めるのがこんなにも辛いのかという気持ちだった時に、人が辛い状況に置かれた時に与えられる助言というのが指を動かすという小さいなことであっても、いかに大きなことなのかと気付かされました。そしてこんな風に1日をもう一度スタートできるのは大きなことだと感じられた時に、とても嬉しくなりました。それそのものが、自分という存在を覗き込むことだと思いましたし、小さなものが大きくなり得るということをその時に体験しました。先程のお話にもあったように、私は心理学にも関心があり、瞑想も20代の頃からしてきました。瞑想で最も大事にされているのが、息を覗き込むことなんですね。吐く息と吸う息をひたすら観察して覗き込むということを瞑想では教えられます。最初は難しく感じられたんですけど、この息をすること、息を覗き込むことがなぜ大事なのか実際自分でも後になって役に立っていたと感じるようになって、自分で体験をして実感することができたことがありました。瞑想を通してその小さいことがとても大きな革命にも繋がりえることだと実感したので、これは映画の中にもぜひ取り入れたいなと思ったんです」


橋本「私も身体が起き上がれないという経験もあったし……、その時に監督が感じられたことやその言葉から受け取られたことに今すごく感銘を受けました。私は親戚を亡くしたことはあるものの、本当に身近な家族や友人だったり、いつも向き合っている人たちを亡くしたことはないんですが、先ほどおっしゃっていた毎日人は死んで毎日人は生まれてという死生観が全くと言っていいほど同じで、今日撮った写真は今日の遺影だと思っているし、本当に毎日毎日生まれているという感覚がなぜかあります。映画の最後には橋の崩落が描かれていて、それは監督ご自身が経験されたことだと思います。最後に大きな出来事として橋の崩落が描かれているけれど、ウニの日常には小さな橋の崩落がたくさん描かれていたと思うんです。その小さな小さな崩落が積み重なってまさにああいう出来事が社会の中で起きるんだけど、個人の体験が積み重なって成長していくというのを見て、聞いていいのかわからないのですが、実際に監督があの出来事を経験されて、それが自分の心に残した傷跡もあるでしょうし、それこそ死生観に影響もあるんだろうなとも思います。当時どういうことを感じて、それが今の自分にどう繋がっていると思われたか、すでに映画の中で描かれていることだと思いますが、監督のお言葉で聞きできたら」


キム・ボラ「聖水(ソンス)大橋崩落事故は、韓国に生きている全ての人々にとって共通するトラウマとして記憶に残っている事件だと思います。私は身近な愛する人を失ったという経験はしませんでしたが、子ども心にもその日の夜、敗北感のようなものを感じ、言葉ではうまく説明できない気持ちに襲われたことを覚えています。その後にその事件を忘れて生きてきたわけですが、『はちどり』の準備をしながら聖水大橋の当時の写真を探してみました。真っ二つになってしまったその橋の写真を見ながら、身体が痛みを感じたんです。私たちは日頃忘れて蓋をして生きていますけど、身体の中にはある種の身体の記憶としては間違いなく残っているのではないかと思いました。初稿を書いていた翌年に韓国ではセウォル号の沈没事件が起きました。セウォル号の事件が起きた時にデジャヴを見ているような気持ちになったんです。繰り返しこのような事件が起きているんだと感じました。この映画のストーリー、構造というのは橋本さんからお話があったようにウニの内面で起こっている様々な小さな崩壊がありますが、それが社会の中で起こった大きな事件とどのように繋がっているのか映画的に表現してみたいという気持ちがありました。この映画が韓国で公開された後に、様々なコメントが寄せられたのですが、その中で特に聖水大橋の事件に関連したコメントで記憶に残っているのが、『自分の子どもが生まれた日に橋が崩壊したので、子どもの誕生日になるといつも事件のことを思い出すんです』というもの。 読んで以降ずっと心の中に響いて残っていたんですけど、自分の身近なこととして直接起こったことではなかったとしても、他人の涙や苦しみ、死というものが自分涙や苦しみ、死のように感じられたり、繋がっているということを知ることがまさに生きていくということではないかと感じたんです。私は事件の当時、その橋の近くに住んでいました。実際に家族や親しい友人を失ったわけではありませんでしたが、私の中で何かが死んでしまった、何かが失われてしまったということを当時強く感じました。それは言い換えると、他人と世界が繋がっているということではないかと思うんですね。だからこそ同じように苦しみを自分のことのように感じたんだと思うんです。私たちは連結されている、繋がっているからこそ、その事件の苦しみや悲しみを感じとったのではないかと思いました。


個人的には『はちどり』を書いている時期に、とても身近な人を失うという経験をしました。当時は悲しみよりも、その時に自分の中にあった感情というのは映画の中でおじさんを失った母親に対してウニが『おじさんが死んでしまってお母さんはどんな気持ちだった?』と訊いた時に、母親がじゃがいものチジミを焼きながら『おじさんがいないのは不思議な気がする、変な感じがする』と答えるシーンがありますが、まさにあれが
私の心境だったんですね。身近な人がある日突然いなくなるということはとても不思議なことで、何か馴染みのないおかしなことのように感じられました。その後に悲しみが襲ってきたんですけれども、そのように人生において人の死を実感して経験したことによって本当にいつ何があるかわからないものなのだなとも思いました。だからこそ今日自分が感じている、愛する気持ちや心の中にある感情、愛していますという言葉を思う存分に表現して生きていきたいと思うようになりました。シナリオを書いている時に体験した個人的な喪失が私の人生では目覚まし時計のアラームのように、私の中で絶えず音を鳴らすようなきっかけになったんですね。喪失を通じて人生を覗き込むようなきっかけがあったわけですけれども、この映画ではその人生をじっくりと覗きこんでいくこと、そしてどう生きるべきかということも伝えて表現したいと思いました。ウニはヨンジを失いますが、そこにはその人が残していった温もりがあります。その教訓や残された温もりがこれからウニが生きていく上での力になっていくのではないかという希望的なメッセージを込めたいと思って、あのようなエンディングにしたんです」

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橋本「監督が描きたかった、人と繋がっているということを私は本当にそのまま感じ取って、ウニが崩落した橋を訪れて涙を流すシーンで、先生は亡くなってしまったんだけど、ウニは『殴られるな、立ち向かえ』という先生の言葉によって初めて家族に自分の気持ちを爆発させて伝えられたり、塾長さんに大人の理不尽さだったり、わかってないということをぶつけられるという感動もあったし、それがあったからこそ橋に行って、追悼するように涙を流すシーンで、もういないのだけどウニの中に先生の魂があって、天と地が線になって繋がるような、その線が見えて、言葉によって人が精神的に繋がるという、それが無数に散らばっている世界なんだなという風に感じて、その希望と美しさに私もウニと一緒に涙を流して感動しました。話は変わるのですが、どうしても聞きたいことがあります。ウニがチジミを食べるシーンがあるのですが、食べ方が本当に印象的で、まだ噛んでないのに次から次へとチジミを運んでいくその様がはちどりが蜜をパタパタと吸うようで、愛くるしさも生命力も感じたし、あの食べ方がウニを演じられた役者さんから発せられたものだったのか、監督がああいう風に食べて欲しいという演出を意図してされたのかが気になりました」


キム・ボラ「私もやはり人との関係によってお互いに影響を与え合っていると思います。愛し合った人との関係を通じて、様々な影響があり、そこから人がいなくなったとしても魂はずっと私たちのもとに残っていくと考えています。ウニが事故があった橋に行くシーンは私も好きなシーンです。ヨンジは今そこにいないけれど感じているというシーンにしたいと思いました。誰かからかけられた親切な言葉だったり、あたたかな眼差しだったり、関係を分かち合っているんだなと感じられる人との関係性における温もりというのは、人が生きていく上で一人の人生の柄を作り上げる過程だと思っています。その人がどんな柄をしているのかというのはその人がどんな人たちと出会ってきたのかが反映されるものだと。私はウニの1年間の旅路を通してそういったものを表現して描いてみたいと思いました。あのシーンで天と地が繋がっているように感じたと橋本さんはおっしゃっていただきましたが、私もまさにそういうことを表現したくて、特に朝方のシーンで撮りたいと思っていました。朝方に撮ることをこだわったのは、あそこで亡くなっているんだけれど新しく何かが生まれてくるような胎動する感じをあのシーンで表現したいと思ったからです。あの事故そのものはとても辛いことではあるけれど、直面することによってまた何かが生まれてくるということを朝方特有の青白さとともに表現したかったのです。


食べ方についてですけれど、俳優のパク・ジフさんは実際にはチジミをあんな風には食べません(笑)。もっと落ち着いて食べるんですけど、私はあんな風にむしゃむしゃもぐもぐと飲み込んでいるように食べて欲しいという話をしました。パク・ジフさんの解釈によってあのようにまるで噛みもせずに飲み込んでいるように食べてくれたのですが、『はちどり』には食べるシーンが多く登場します。食べるということは、寂しさや心の乾き、飢えを表すものであったり、家族が食卓を囲んでいる時は冷たい空気が流れているんだけれどもある種のあたたかさを見出そうとしている、繋がろうと努めている、それが何かの癒しとして感じられるようなそんなシーンとして描かれていると思います。ウニが手術をしなくてはいけなくなり病院に行く日は、母親がお肉のおかずをのせてくれますよね。そのお肉のおかずが持つ意味というのも描かれているようにも思いますし、ウニがとびきりの笑顔を見せるんです。そのように食べることと生きていく上で人の感情というのがどのように繋がっているかを表現してみたかったのです」








是枝「『リトル・フォレスト』は耕して収穫して作って食べるという行為だけの映画。だけどそれが決してただの日常ではなくて、おそらくその中にあの行為を繰り返していくということ自体が孕んでいるある種の一期一会や奇跡のようなもの、それは日常で片付けられるものではないのだということが作り手にも演者にもあると思っていて、まさに『はちどり』に対しての返答としてふさわしいものだったのではないかなと勝手に思っていたので、『はちどり』の食べるという行為についてお話を聞けてとてもよかったです。一つだけ最後の質問としてお二人にするとなると、これかなと。COVID-19の前と後で演じることや物語を作ることなどで変化した部分、またはここは変わらないということがあればどのようなことでしょうか」


キム・ボラ「いただいた質問については私もずっと考えていることでもあり、悩んでいることでもあり、とても難しい質問だと思います。映画館がなくなってしまうんじゃないかと多くの方々が心配されていて、そうならないことを望んでいますし、そうならないだろうと信じて希望も持っています。そのように外部の状況については前向きに希望を持っていたいと思います。これは少し抽象的な答えになってしまうかもしれませんが、新型コロナウィルスによってCOVID-19以前よりも人間の繋がりについて深く考えるようになったのではないかと思います。COVID-19というのは息を通じて感染していく病気でもあります。そのことによって呼吸すること、空気を共有しているということを改めて知るきっかけにもなりました。私が息をしているこの息が他の人にも影響を与えうるんだということ。それを身体を通して実感している状況だと思います。COVID-19以前よりも繋がっているということ、共通の問題意識というのを共に考える状況に直面していると思うんですね。クリエイターとしては繋がるということ、その重要な部分をこれまで見過ごしてきたんじゃないかということを改めて考えさせられました。もちろん映画館の運営ですとか現実的な問題をこれから処理していかなくてはいけないし、実質的な問題というのは様々なことがあって、それについては絶えず祈りを捧げているところですが、創作者としては私の行動一つ一つ、私の息一つ一つが人々に影響を与えうるんだということを忘れさせないようにするきっかけになったのではないかと考えています」 


橋本「物質的なことや物理的な変化はものすごく感じるんですが、生きている感覚としては全くと言っていいほどびっくりするくらい変わらなくて、それはなぜかなと考えたら、いつからか毎日どこかで人は死んでいて、それと同時に人は生まれているというのを感じていて、いつ自分が死ぬかわからないという恐怖を感じながら生きているんですね。大切な人、自分にとって大切な人がいついなくなるか分からないという恐怖もずっとついて回っていて、そういう恐怖が今までと変わらないんです。COVID-19によってその恐怖が世界的に顕在化されているけれど、自分の中では通常と同じ。パフォーマーとしてのそういう感覚は隠そうとしても隠れないものだと思うから、お芝居をする上では変わりません。ただ唯一変わったなと思うのは映画を見る観客としての意識です。いつ映画館がなくなるか分からないという危機感と、今までは映画を享受している側として映画館をいつでも行ける、待っていてくれている場所として享受していたのが、映画館は作ったり受け継いで運営している人たちの血が滲むような努力で成り立っているということが身にしみて、今までは与えてもらっている側だと思っていたのが、足を運んでお金を払って存続に貢献しなくては本当に消えてしまうかもしれないという与える側の意識になって、今までもずっとそうだったのだけど初めて、改めて補完関係だったということが意識として強くなりました。先日半年以上ぶりに映画館に行けたのですが、とても快適だったのでこれからもたくさん映画館で映画を観たいという気持ちでいっぱいです」


是枝「橋本さんがウニの日常でも小さな橋が崩落しているという捉え方をされていたのが僕は非常に印象に残ったんですけど、それは決して14歳の少女の中でだけ起きていることだけじゃなくて、私たちが日々直面している状況でもあると思います。そんな中でこの交流ラウンジが誰かと誰かとの間で橋をかけるようなものになっていることを願います」


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キム・ボラ 映画監督
1981年ソウル生まれ。東国大学映画映像学科卒業、コロンビア大学大学院映画学科修了。短編『リコーダーのテスト』(11)は全米監督協会の最優秀学生作品賞をはじめ受賞多数、注目を集める。長編デビュー作『はちどり』(18)は釜山国際映画祭NETPAC賞・観客賞を受賞。その後、同作品はベルリン国際映画祭(ジェネレーション14プラス部門)審査員大賞、韓国版オスカー「青龍映画賞」最優秀脚本賞など、世界中の主要映画祭で50を超える賞を獲得した。


橋本愛 女優
1996年熊本県生まれ。映画『告白』(10/中島哲也監督)に出演し、注目を集める。『桐島、部活やめるってよ』(12/吉田大八監督)でキネマ旬報ベスト・テン新人女優賞、日本アカデミー賞新人俳優賞などを受賞。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(13)でエランドール賞新人賞を受賞。2015年、主演2作品『リトル・フォレスト』(14/森淳一監督)『ワンダフルワールドエンド』(15/松居大悟監督)にてベルリン国際映画祭に初参加。映画のみならず、テレビドラマやアニメ、演劇など多方面で活躍中。2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』に出演予定。


モデレーター: 是枝裕和 映画監督



撮影日:2020年11月1日
©2020 TIFF
https://2020.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3315ASL03


text Ryoko Kuwahara

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