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text by Ryoko Kuwahara

自分のペルソナと向き合うーー『Break the Silence: The Movie』



“Dynamite”がビルボードで2週連続1位を獲得(そしてまた今週1位に返り咲いた)するなど、もはや世界的人気も不動のものとなった感のあるBTS。そのワールドスタジアムツアー「LOVE YOURSELF: SPEAK YOURSELF」に密着したドキュメンタリー『Break the Silence: The Movie』が公開中。

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BTSのドキュメンタリー映画シリーズとしては3本目となり、『Burn the Stage: the Movie』『Bring the Soul』という成長過程やその苦悩を描いた前2作に比べ、本作はより成長した彼らのそれぞれのアイデンティティとの向き合い方がテーマであったように思う。それは副題として”Persona”が用いられていることからも、冒頭の自己紹介をBTSのメンバーとしての自分と本名での自分として行うシーンからも読み取れる。
前2作で描かれた苦悩の末に掴んだ成功というわかりやすいカタルシスはない。メンバー同士の絆や青春の傷つきやすさも、それぞれのメンバーの言葉や眼差しに浮かび上がるものの、ここでは一層“個”にフィーチャーし、自分とは何かを考えることに重きが置かれているのだ。
あるメンバーは、本名の自分を分離させたいと語り、あるメンバーは自分の青春をBTSにすべて捧げたために本名の自分では自己紹介すらできないかもしれないと語り、またあるメンバーはなりたい自分について語り、あるメンバーは失くしたものと得たものを語る。
“Dyonisus”から始まるダイナミックでパワフルなスタジアムツアーの様子と対照的な彼らの静かで内省的な語りは深く私たちに染み渡る。


振り返れば、「自分は何者か」という問いは、BTSの活動に常に伴うものだった。
ラッパーであるRM、SUGAを軸とした構成で始まったヒップホップアイドルという立ち位置は、ラップのスキルがいかに高くとも、ソングライティングの能力がいかに優れていようとも、ヒップホップシーンからの謗りを免れなかった。練習生システムで訓練をうけた大量生産のようなアイドルに、ストリートの言葉を語る資格はないというように。アイドルとヒップホップという2つのアイデンティティを持ったその時点から、問いは始まっていた。(”IDOL”のリリックは必見)
アイドルとしても、広く知られるようになればなるほど、韓国国内ではBTSはK-POPなのか否かという議論も繰り広げられていた。
2015年に『WINGS』でビルボード200に26位という記録を残し、その後に続くアメリカでの快進撃の際にも、POPなのかK-POPなのか、本物なのか単なるヒップスターなのかと、常にその存在は他者によって厳しくジャッジされていた。
家父長制が依然として根強い韓国のみならず、国を超えてヒップホップの中に内在するある種のマチズモ的な観点からも、化粧をした男性アイドルとして軽視されることは決して少なくなかった。





その問いかけの中で彼らは常に偽ることなく自分自身でい続けた。
ヒップホップへの深遠な愛情を曲にし、慎み深くも嬉々としてそれらのアーティストと交流し、真摯に曲を作り、熾烈なほどの努力でパフォーマンスを作り上げ、アーティストとしての評価を確実に上げていくと同時に、自らの傷つきやすさを誰しもが持つ痛みとして吐露し、完璧じゃなくていい、ありのままの自分自身でいていい、それだけで十分に価値があるのだと、繰り返し繰り返し様々なツールを用いて伝え続けた。音楽、映像作品、SNSを通して語られる言葉、それらのどれもが彼らの一貫したメッセージを伝えている。


「BTSは若者を「N放世代」(厳しい経済状況によって、恋愛、結婚、出産などをあきらめる若者たちを挿す造語)と呼ばれることに反発します。なぜならそのようなレッテルは、「あきらめる」という行動を過度に強調してしまうから。社会の被害者であるはずの若者が、「彼らが失敗する原因は努力と意志が足りないこと」と誤解される可能性があるからです。」(キム・ヨンデ『BTSを読む』)
家族や学校、集団という社会と対峙する中で、自分を小さなとるに足らない存在だとほとんどの人が感じたことがあるはずだ。
そんな人々にBTSはこう呼びかける。


Be Yourself
Speak Yourself
Love Yourself


BTSの魅力を文字にして限定することは難しい。極めて複雑なレイヤーが幾重にも折り重なり、ファン一人ひとりが好きなポイントも違うことから、一つに括ることはできないけれど、自分が体感したことだけで語るなら、彼らの音楽、パフォーマンス、映像作品、言葉、それら全てに私はシールドを剥がされた。私たちは普段からなにかしらシールドをはりながら傷つかないように生活している、それが当然の状態になってる。
けれでも彼らは自らのシールドを可能な限り取り除くことで、こちらにもここでは大丈夫と呼びかけ自由にさせてくれる。自分たち自身がそれを体現し、自分のコンプレックスを曝け出し、「今日はパフォーマンスがよくなかった」と正直に述べ猛省する姿も映す。7人それぞれが互いの個性を認めあい、信頼しあい、その個性を強みに転化していった。そしてその壁のない状態はファンダムの間でも拡大され、お互いをありのままで尊重し合うというメンタルヘルスをコントロールするためのより良い環境作りを促進する。アイドル文化に伴う「消費」ではなく、互いを支え合う絆として機能する。
社会から課される「こうあるべき」という役割は知らず知らず私たちを蝕むから、彼らは常に声をあげて届けようとしてくれる。私自身も彼らにどれだけ救われてるかわからないなと思う。音楽という力を借りて安全な(Bulletproofな)場所を与えてくれてありがとうと思う。そして心の中で、役割に押しつぶされた兄を偲ぶ(彼は大学卒業間際、家業を継ぐ直前に人生を閉じた)。人々が自由であれと願う。
3年前に誘ってもらって行ったライヴで衝撃を受け、それから度々足を運ぶ中で出会うARMYたちは一様にオープンマインドで、親切で、自分たちがいかに彼らを愛しているかを自分の言葉で語ってくれる。
本作に出てくるスタジアムツアーにも何本か参加しているのだけど、特に印象深いのはやはり海外で(上記の写真はパリでのもの。撮影可能なライヴであった)、「アジア人があんな大きなスタジアムでやれるわけないから情報が間違ってるよ」と言う人もいたが、スタジアムや美術館で話しかけてくれたティーンのARMYたちはみんな優しく、人種になんて一言も言及しなかった。その代わりに、自分のBias(推し)を描いたイラストなどをプレゼントしあい、幸せな時間を共有できる仲間がいることを喜びあった。

ARMYは彼らの声を聞き、自分たちも声をあげる強い能動性を持つファンダムだ。
有名な「White Paper Project」然り、『LOVE YOURSELF 轉 ‘Tear’』リリース時にアーティストの意向をくんだ民主化運動や社会への発信然り、Black Lives Matterでの連携然り。はたまた、日本でBTSが秋元康と組む可能性が示唆された時の反対運動然り。
沈黙を破る(Break The Silence)ことを体現してきたBTSの姿を見てきたARMYにとってそれはごく自然の行動だ。
映画の最後に彼らがARMYに向けたメッセージは感動的だ。ぜひスクリーンで。



text Ryoko Kuwahara




『Break the Silence: The Movie』
全国上映中
https://breakthesilencethemovie.jp/

グローバルに活躍する韓国の7人組男性グループ「BTS」のワールドスタジアムツアー「LOVE YOURSELF: SPEAK YOURSELF」に密着したドキュメンタリー。韓国アーティストで初となるロンドン・ウェンブリースタジアムでの単独公演をはじめ、ロサンゼルス、シカゴ、ニューヨーク、サンパウロ、パリ、大阪、静岡、リヤド、そしてソウルまで、世界の全10都市をめぐったツアーに密着。パワフルで華麗なパフォーマンスを繰り広げるステージ上での姿はもちろんのこと、公演を終えた舞台裏で秘めた思いを語るメンバーの姿などが収められる。


2020年製作/89分/G/韓国
原題:Break the Silence: The Movie
配給:エイベックス・ピクチャーズ
監督:パク・ジュンス

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