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text by Daisuke Watanuki
photo by Yudai Kusano

食堂物語:綿貫大介「人生というドラマの舞台となる食堂の、“おいしい”の話」下総屋食堂



「趣味は食べることです」という人に、悪い人はいない。愛せる。なにもミシュランの星付きレストランで高級料理を食べまくるフーディーじゃなくたっていい。食いしん坊としてキッコーマンの提供のもと郷土料理を食べまくる松岡修造じゃなくたっていい。ただ純粋に、食べるという行為を愛してさえいれば誰にでも「趣味は食べることです」と名乗る資格はある。それに「おいしいものが食べたい!」は誰しもが思う人生の喜びだ。でも。おいしいものってなんだろう? 悲しくて、疲れていて、元気を出したいときに思う「おいしいものが食べたい!」というあの気持ちって。その答え、実は「食堂」にあります。これから書くのは、人生というドラマの舞台となる食堂の、「おいしい」の話です。

食堂、それはドラマが起こる現場。なぜって、僕たちはなにかを食べる場所で物語を動かしているから。ドラマの主人公たちに「いきつけのお店」があるのも、食堂でのやりとりが展開のカギになるのも、そこにはどうしようもなく物語が生まれてしまうからだ。

ドラマにおける「食堂」の必要性は、おもにふたつ。ひとつめは、場所としての機能。食堂 は主要キャストが集まるサンクチュアリ。同じ時間を共有する場面を描けば、話の展開がスムーズになるメリットもあるしね。ホームドラマに家族みんなが集まる食卓のシーンがあるように、家族以外のメンバーが集まる自然な場所として食堂は使われる。
印象深いのは大学生の友情、恋愛、就職の葛藤を描いたキャンパスライフの決定版『オレンジデイズ』に出てくる学食だ。学食に行けば、いつものメンバーがきっといる。そんな日々が実は特別でかけがいのないものだったことは、多くの人が知っているはず。思えば僕も学食にはたくさんのくだらない思い出を残してきた。学食のおばちゃんには、ありがとうを伝えられないまま卒業してしまったけど。
ほかにも、『ロングバケーション』の町中華「萬金」、『地味にすごい!校閲ガール河野悦子』のおでん屋「大将」、『家売るオンナ』のBAR「ちちんぷいぷい」、『獣になれない私たち』のクラフトビール店「5tap」、『HERO』のなんでも「あるよ」のBAR「St.George’s Tavern」などなど。やっぱドラマの主人公に行きつけのお店が必要不可欠!







ふたつめは、食事中の人の会話、身振り、視線が重要な意味となる心理的な機能。そもそも口はひとつしかないのに、その口で人は食事のときに、「食べること」と「話すこと」を両方をこなしているんだからすごい。食べるという行為は個人的だけど、しゃべるという行為は、ほかの人とその場で会話をつくっていく共同的なものだ。
思い出すのは、殺人事件の加害者家族の双葉(満島ひかり)と被害者家族の洋貴(瑛太)が悲劇を乗り越え懸命に生きる姿を描く『それでも、生きてゆく』10話の、因島の食堂。妹を殺された洋貴が、殺人犯であり双葉の兄の文哉(風間俊介)と対峙し、葛藤の末に彼を許そうとする場面。12分にもおよぶ食堂でのせつない長回しのシーンに胸打たれた。感情的ながらも言葉を尽くし歩み寄る洋貴に対し、人間の心をなくした文哉は紙ナプキンをいじくり始めてしまう。どんな言葉も、文哉には届かない。そのことを理解し、洋貴は運ばれてきたオムライスを口に含みながら「ハハハ、ハハハハ」とかなしいほどに大きく乾いた笑いを続けるしかなかった。つらすぎる。笑うことと泣くことが同義になった瞬間だった(そして絶妙なタイミングで流れる小田和正の主題歌)。これまさに「泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます※」案件じゃん……。みんな泣きながらご飯を食べた経験はあると思う。そしてなにがあっても『それでも、生きてゆく』しかないのだ。







僕らは食べるとき、味覚以外にも五感をフル活用している。漂う香りや湯気(嗅覚)、箸やスプーンの質感(触覚)、噛んだときの音(聴覚)、料理の色合い(視覚)。食べながら五感をバランスよく刺激しまくっている。つまり、食事中の印象や会話は、五感の感覚に結び付いて記憶に残りやすいってことだ。食事をする場面にはどうしても、思い出が残ってしまうもの。テレビドラマの中でも、もちろん僕らの人生の中でも。





僕が食堂に惹かれるのは、あるときそこに完璧な風景があることを知ってしまったからだ。それは古くて汚い外観を「味のある店構え」と表現したら許されてしまう行きつけの食堂で、しゅうまい定食を待っていたときのこと。店内のテレビから流れるお昼のワイドショーではコメンテーターが怒っていて、世界が透明に透き通るような日差しが窓から差していた。新聞を読んでいる人、話している人、テレビに視線だけ送っている人。店内ではいろんなお客さんがそれぞれの過ごし方をしている。世界にはさまざまな人生の形のあるんだ。座ったカウンター席から見える厨房では店主のおじちゃんが餃子鍋に火をかけ、油が威勢よく跳ね返っているのが見える。麺類を茹でる寸胴鍋から大きく立ち上がる水蒸気と、餃子の油が光に反射してきらきらと輝いている。
あ、この光景。やばいものを見てしまった、ととっさに思った。この生きづらい世界って、本当はすごいきれいで素敵で素晴らしいものなのかも。愛も勇気も平和もこの世界にあると思えばきっとあるのかも。その日突然、世界のとんでもない秘密を知ってしまったのだ。ちょうどいいタイミングでおばちゃんが定食を運んでくれ、大ぶりのしゅうまいの湯気が顔全を包んだときが、幸福のハイライト。胸が熱い。感受性がぐらついて涙が出そうになってきた。あれ、ここは刑事ドラマの取調室で、目の前に突き出されているのはカツ丼? こんなの出されたら、今まで犯した罪を洗いざらい白状しちゃうじゃないか……。





元気に働く店主、変わらない定食の味、お客たちが作り出す適度な雑音、創業からの歴史を感じる店内の雑然さ、このなんでもないシチュエーション、なんでもない食事に、今とても救われている。そう思った。変わらない確かなものがあると思えるだけで、心はこんなにも安心するんだ。この、人と場所と料理と、今日に至るまでのあたたかな時間の蓄積が作り上げた食堂の空気感、最高だ。大好きだ。今までつらいときに「おいしいものが食べたい!」って思ってたけど、本当に食べたかったのは、この「おいしい空気」だったのかもしれない。食堂が醸し出すほかほかの空気。この中なら、寒さや空腹をやさしく満たし、笑顔や落ち着きを取り戻すことができる。そしてこの空気に触れると、必然的に子供の頃の、クーピーで描いた淡い記憶のような心象風景を思い出しそうになる。この感覚、「3.11」を経験したみんななら、なんとなくわかってくれると思う。
決して華やかでなく、ぼんやりとして、やわらかくて、やさしくて、おいしい空気がみせる心象風景を、みんな心に持っている。そして普段は忘れているけど、それに似た空気に包まれた瞬間に、一気に思い出す。写真に写せないから誰にも共有はできない、あの空気。でも映えないからこそ、食堂はいつまでもみんなのサンクチュアリとして存在してくれる。


昔から日本人の3大無料(タダ)モノだといわれていた「空気・水・安全」だけど、今ではそのどれに対してもお金がかかる時代になってしまった。にもかからず食堂はずっと、それらすべてを無償で提供しつつ、料理代しか受け取らない。
今回訪れた、数々のドラマのロケ地として使われる下総屋食堂もそうだ。ストーブに置かれた大きなやかん、木彫りの熊、本棚一面のマンガ、ブラウン管テレビ、切り花、壁のシミ、ポスターの跡、ウルトラマンの怪獣人形、すりガラスから漏れる光……すべてがこの店を守る結界の役割になっているんじゃないかと思える完璧なバランスでこの世に留まっている。
納豆をまぜれば涙があまり出ない飽和した悲しみを思い出すこともあるし、味噌汁をすすれば見上げた月のしみいるような美しさを思い出すこともある。そのように、記憶と現実を行き来しながら食べる、ほかほかの空気とご飯が好きだ。どんなにテクノロジーが進化しても、まだ電子レンジは心までは温めてくれない。愛はコンビニじゃ買えない。だから僕は今日も食堂に行く。大きな歓迎も、疎遠による気まずさもない、なんの特別感もないあの場所に。それになんだか「いただきます」と「ごちそうさま」を、作ってくれた人に向かってちゃんと言いたい気分なんだ。





※「泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます」…『カルテット』の3話で、すずめ(満島ひかり)が目から涙を落としながらもがつがつとカツ丼を食べている様子をみて、真紀(松たか子)が放つ珠玉の名言。

下総屋食堂
両国駅徒歩4分
営業時間 だいたい9:30〜だいたい17:00
定休日 日曜と祭日 他の日もたまに休みます
東京都墨田区横綱1-12-33
tel 03-3622-3861


綿貫大介/Daisuke Watanuki
編集者。2016年に編集長としてインディペンデントカルチャーマガジン『EMOTIONAL LOVE』を創刊。近著に『もう一度、春の交差点で出会う』『ボクたちのドラマシリーズ』。そのほか安易な共感に頼らないものを精力的に制作している。
https://watanuki002.stores.jp/
https://twitter.com/watanukinow
https://www.instagram.com/watanukinow/



ph Yudai Kusano
text Daisuke Watanuki
edit Ryoko Kuwahara & Shoko Mimbuta

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