韓国の名門出版社の元編集者にして詩人であるユ·ヒギョンが立ち上げた詩集専門の書店「,wit n cynical」。自身も詩人であるがゆえの愛情とプライドをもってセレクトした詩集たちが並ぶこの専門店は、若い読者たちを引きつけ、そこで行われるワークショップにてさらなる詩の深い魅力を探求でき、詩作に至る体験ができるという、好循環をソウルの詩のシーンにもたらしている。
――もともと編集をやられていたということでしたが、文学と知性社は名だたる詩人の詩集を刊行している名門です。そこでの思い出はありますか。
ユ·ヒギョン「文学と知性社(문학과지성사)は大学卒業後、初の職場でした。 5年間在職して、その間に本当にいろんな事がありましたが、記憶に残るものだけを書いてみると、まず在職中に登壇(朝鮮日報新春文芸2008)を通じて詩人になって、初詩集を出版したことです。それだけではなく、一生の仲間である詩人たちの“ジャクラン(チョン·ハンア、ユ·ヒギョン、ソ·ヒョイン、オ·ウン、キム·ソヒョン、ソン·スンオン)”が結成されたことです。 そういえば、結婚もしましたね。 文学と知性社は、おっしゃったように韓国文学の主要出版社の一つです。 編集者として働く間、本当に多くの作家、詩人、評論家たちに会って一緒に仕事をしていました。 私にとっては素晴らしい財産になったキャリアです」
――出版社から独立し、本屋をはじめたきっかけは何ですか。
ユ·ヒギョン「左目の視力を失ったのです。当時はウィズダムハウスという総合出版社で編集者生活をしていたのですが、かなり仕事が大変でした。 自然と、この仕事をしながら一生を過ごせるのかという懐疑が生じました。 一方では、もっと楽しいこと、やりたいことをやってみようという気もしました。 私が好きなのは、眠りたい時に好きなだけ眠り、好きな時にご飯を食べ、文章を書き、自分のアイデアを自分の手で具現化するということでした。 私は文学を想像して本を作る人間なので、出版社じゃなかったら本屋を開くことが自然に思い浮かぶようになりました。 それで編集者よりもっと面白そうだったので書店を選んだんです」
――なるほど。今の書店は隠れ家のようで素敵ですが、移転された理由は?
ユ·ヒギョン「移転にはとても複雑な事情があります。 簡単に申し上げるのは難しいですが、以前の場所の賃貸条件に問題が生じたという程度にしておきましょう。 ここへ移転して来た理由は1階の書店“東洋書林”です。 ある日、東洋書林のチェ·ソヨン代表が私を訪ねて来て、一緒に書店をやりたいと話をしてくれました。 東洋書林はソウルで最も古い書店です。 しかし、最近の出版界の不況の影響が売り上げに出てきてしまっていたので、私が役に立つことができるのではと思いました。うちの書店には若い読者さんがたくさん来てくれますからね。一方で、うちの書店は詩集だけを販売しているので、東洋書林で詩集さえあきらめてくれたら共生も可能です。 書店と書店という不思議な組み合わせですが、共生は難しくはありませんでした」
――書斎があったり、家具も素敵な空間でした。インテリアやレイアウトのこだわりも教えてください。
ユ·ヒギョン「こだわりというものは特にありません。もともとの目的に忠実であることを望むだけです。書店の原型というのがあれば、なるべくそれに近くしていきたい。 書店とは、ぬくもりが要るし、本の個性がよく表れていなければならないし、自由に探求できるべきだと思います。 一旦入ってくると気楽で少し不思議な所を作ってみようとしました。ここは屋根裏というコンセプトを持っています。全部を木で作れたらよかったのですが、現実的な環境が許さなかったのでそうはできませんでした。 とにかく、屋根裏にある書店が持つべきものを(ほこり抜きで)出来るだけ持てるように努力しました」
――訪問した際にみかんの箱に置かれた言葉が印象的でした。階段から上がってくるときに書かれている言葉や、リレー筆者テーブルもそうですが、訪問したお客さんが「言葉」にハッとする瞬間がたくさん作られている空間ですね。空間作りの際に意識していることは何ですか。特に空間の中における言葉の使い方についてどのように考えていますか。
ユ·ヒギョン「私たちは空間を“場所”にすることを目指しています。人々が訪れ、それぞれに成すことを見つけるとき、空間は場所になります。 私たちは最低限の提案(もしくはミッション)を伝えていると思います。うちに来る読者(私たちはお客さんと呼びません)たちはテキストなどの提案に従って何かをします。そうやって本を買ったり読んだり食べたりしながら、詩を考えるのです」
――,wit n cynical店名の由来は何ですか。
ユ·ヒギョン「すごく長い話であまりにもよく言ったので、以前私がどこかに書いた文を引用しますね。
“ウィット·アンド·シニカル”という碑文があることはすでに知っていた。 にもかかわらず、このような名前をつけたわけがあった。何人かの詩人と会話をしているところだった。
私たちはある詩人について話しをしており、私が言った“その詩人はウィットのある詩を書くから” という言葉に、ある詩人が”ウィット·イン·ザ·シニカルって何?” と聞いてきた。げらげらと笑いが吹き出した。 私の良くない発音と彼の良くない聴力が合わさって作られたその奇妙な構文が、とても面白かったからだろう。その夜、その場にいた詩人キム·ソヨンがメールを送った。 “ヒギョン、君が準備しているという本屋の名前でウィット·イン·ザ·シニカルはどう?”って。
すぐに気に入った。 “これより適切なものはなかった。詩にはウィットもあるし、シニカルもあるから。それだけでなく、その過程も極めて詩的だ。私が書いたAを相手方がBだと解釈したからといって問題になることは一つもないだろう。 むしろそのようなものが詩ではないはずがない。それなら、その差から発生したのが、詩の想像力であり、詩の美しさになるだろう。かくして私はこの名前に決めた。 ただし、長すぎるから、前置詞inと定冠詞theを抜いて勝手に接続詞andを(略してnに)入れた。 共になることこそ、書店の運命だから”」
――本当に詩的ですね。コンマ , やカッコ()、空白を用いたレイアウト/デザインが多いはどうしてでしょう。
ユ·ヒギョン「詩は空っぽの美徳をもっています。話すことより言わないことの方が重要でもあり、重要だと思ったりもします。全部がとてもぎっしり詰まっていたから休止符を入れました。話さないことだって、ぎっしりなっていると息が詰まるでしょう。息をする穴、世の中からでも詩からでも、そういう穴を作りたいという抱負のようなものです」
――ご自身も詩人ですが、書店での経験がご自身の詩作にフィードバックされることはありますか。
ユ·ヒギョン「すごく多くはないですが、一日中ここで過ごしているからどうやらここでの経験は染みついていくようです。そんな詩の中で、気に入ったものもあればそうでないものもありますが、それは必ずしも書店の話だけではないと思います」
――詩人(アーティスト)と経営者(ビジネスサイド)という2面を持つことで苦労することもありますか。
ユ·ヒギョン「私にビジネスマインドのようなものはありません。そういうのがあったら、詩集の本屋はしないでしょう。ただただ運営していて、その運営に緻密な計算もありません。節約しながら、ただ誰にも迷惑をかけないようにはしています。苦労はありますよ。詩は、いつも書きにくいものだから苦労していますしね」
――経営者の立場で、書店を長く維持するために気を遣かってる部分は?
ユ·ヒギョン「書店を運営することと詩を書くこと、そして生きていくことはすべて同じ脈絡に置かれていると思います。どちらか一方が崩れると、バランスを失った船のように危険だらけになるでしょう。全部上手くなろうとしていますが、全部上手くはできません。でも、そうできるようにどれも同じように努力をしています。 まじめに読み書きをし、書店を守り、イベントを企画し、そしてぐっすり寝て、よく食べるのです」
――日本では日常で詩に触れる機会はあまりないのですが、韓国では詩がもう少し生活に根ざしている気がします。そうした詩への関心の高さはどこから来ているのでしょうか。また時代の変遷で需要に変化はありますか。
ユ·ヒギョン「韓国でも日常で詩に接する機会はほとんどありません。生活に関わらず、詩が好きな人の数がある程度いるのだと判断しています。詩に対する関心はいろいろな方向から来ていると思います。SNSで接したり、大学入試の準備をしながら好きになったり、関連の専攻だったり。韓国文学界は、たゆまず若い詩人を発掘し、彼らは同年代に支持されます。それはとても特別なことですが、社会的現象までではありません。 時代の変遷によってその数が減るほどでもないですし。販売実績が良いとしても、10,000部前後です。特別な人気を博している詩集を除いてですね。その数は変動なく今まで続いています」
――とても興味深いです。こちらではワークショップでは詩の魅力を伝えるためにどのようなことを行われているのですか。力を入れたいことは?
ユ·ヒギョン「黙読以外の体験を与えられたいです。そのために、うちのワークショップは主に朗読会を開催しています。3年の間に50回くらい行いました。読むのと聞くとは違いますしね。特に詩はリズムを持っていると言うでしょう? 音楽性のある文学です。もちろん私もそう思います。その他にも討論や授業やいろんなワークショップを行います。そんなに多くはありませんがね」
――注目している作家はいらっしゃいますか。オススメの作家、詩集があればご紹介ください。
ユ·ヒギョン「当店は不特定多数を対象にしたおすすめはしていません。しかし、最近の20~30代の若者たちに多くの支持を受けている詩人たちの紹介ならできます。もちろん、その詩人たちも同じ年頃です。パク·ジュン、ファン·インチャン、オ·ウン、ペク·ウンソン、アン·ミオク、ユジンモク……書いてみたら多すぎますね」
――ご自分の出版レーベルSnow shovelingに動きはありますか。もしかしてこの出版社の名前は村上春樹の小説の言葉から名付けられているんでしょうか。
ユ·ヒギョン「村上春樹とは無関係です。訳すると“雪かき”と言いますが、大きな意味は入れませんでした。誰かがしなければならないこと、すれば気持ち良いこと、する途中に他のことをしてしまうことが、雪かきということですからね。私たちの仕事がそれに似ているから。 という話は後で作ったものです。今は各自の仕事で忙しく、しばらく止まっています。しかし、すぐ新しい本を出したいですね」
――韓国では日本以上にペーパーレス化が進み、出版業界が危機に瀕し、大型書店の存亡が危ぶまれるようになったことで逆に独立系書店が増加した印象です。今後の韓国の独立系書店の動きはどうなると予測されていますか。
ユ·ヒギョン「韓国は大型書店といえるところがあまりないのです。日本とは違った生態系を持っていると見なければならないですよね。依然として資本の大部分は書店のほうに流れていますし。独立書店が大型書店の仕事を代替していると見るのも難しいです。誇張な表現ですが、 ほとんどすべての独立書店がパンチドランクにはまっていると言えます。独立書店が増えたのはペーパーレス化のためではなく、好みの多角化と年間出版物数の増加のためだと考えています。その理由も非常に長い話になるなので省略します。とにかく、当分の間、独立書店の数は小幅ながら増加するだろうと思います。その分、なくなる所も多くなるでしょうし。見通しはあまり明るくはありませんが、同じ旗印の下に動いたわけではないですから、そこにはそれなりの意味があるでしょう」
ーー現在の目標、予定や企画していることを教えてください。
ユ·ヒギョン「すべての小さな書店のように私たちも生き残ることを望んでいます。そのために空間を広げる計画を持っています。プロジェクト名は“理解空間”です。ここでより積極的なワークショップ、イベントなどが行われるよう企画していくつもりです。人々がもっとたくさん書店を訪れるようにしなければならないからです。もしまた今度いらっしゃることがありましたら見物に来てください」
photography Ryoko Kuwahara
text Sunkyung Ahn/Shoko Mimbuta/Ryoko Kuwahara
,wit n cynical 시집서점 위트 앤 시니컬
271−1 Changgyeonggung-ro, Hyehwa-dong Jongno-gu, Seoul, South Korea
Tel: +82 50-71409-6015
Opening hours: 13:00-21:00 Saturday 13:00-20:00 Sunday 13:00-18:00
Instagram:https://www.instagram.com/witncynical/