女性の数だけたたかい方がある。
未来編では様々な分野で自分の生き方に真摯に向き合う女性たちと腹ごしらえをしながら、これからのたたかい方を模索していきます。
第一回目に登場してくださったのはずっとお話してみたかったファッションデザイナーの津野青嵐さん。
haru.「食といえばポジティヴだったり健康的なイメージがあると思うんですけれど、私は高校時代にご飯が食べれない時期があったりしたので、食って必然なものなのに向き合えない時があるなと思うんです。青嵐さんはそういう時期がありましたか?」
津野青嵐「めっちゃありましたし、未だにありますね。私は過食になってしまうタイプなので体形の変動も凄くて、高校のときなんか30~40キロ動くこともありました。ストレスですぐに食べ過ぎてしまう。でも、考えれば本当においしいものって有難く食べるじゃないですか。でも、悩んでいることがあるときってそうではないものを食べてしまいがちだなあって」
haru.「うんうん、わかるなあ」
津野青嵐「それでも、すっごくおなか一杯になると満たされるんですよね。その閾値にたどり着けるのであればそこそこ美味いものであればいいやって思ってしまう」
haru.「なんでもいいってなってしまいますよね。私も食べられなかった時期にある日突然“なんでもいいから食べたい!”ってスイッチが入ることがありました。リミッターが外れてしまって、部屋に飾ってあるサンタクロースのとても大きい、本来はインテリア用で食べるためのものではないチョコレートを全部食べてしまって。食べたあと“今のはなんだったんだろう?”って」
津野青嵐「私は食べることとても好きですけれど、食に向き合ってきたかと言われるとそうではなかったなあと思いますね。ウチの両親は飲食店をやっているんですよ。なので小さいころから美味しいものばかり食べさせてもらっていたし、今でも母は溢れんばかりの量のご飯を出してくれます(笑)いつもそうだったので腹八分目なんていう考えは家族みんな無かったから、一食一食の有難みって私は薄いのかもしれないですね」
haru.「毎日する行為だからこそ、気を付けなければならないような気がしています。繰り返しすぎて、良いものを体に取り込もうという意識が無くなっていたなと自分で気づきました。今でも食べ過ぎてしまうことはありますか?」
津野青嵐「たまにあります。ダイエットするときもあって、そういうときは体に良いものを食べようとしますけれど……」
haru.「ご自身で料理することもありますか?」
津野青嵐「料理しますね」
haru.「私はあまり食に対して興味がなくて。両親も、父はすごく料理好きだけれどお母さんは全然好きじゃない。味付けにも興味ないみたいで、“ご飯作ったけど、味ついてないから自分たちで味付けしてね”と言ったりするので(笑)。食に対する思いって本当に人それぞれなんだなと思いますね。たとえば、“食べ過ぎ”だと思う量も人によって全然違うし。ドイツで仲良くしていた女の子で本当に小食なんだけれど肉付きの良い子がいて、その子が私に“あなた私の5倍くらい食べるけどなんでこんなに体形が違うの”って言っていました。代謝量も個人差が大きいですよね」
津野青嵐「代謝は遺伝が大きいみたいですよね……体形についても思うことが沢山あります。私、この年齢になるのに体形に対する考え方がきっと中学生くらいで止まっちゃっているんですよね。痩せたいし、太ってる自分めっちゃ嫌だとかまだすごく考えるし」
haru.「中学生の頃くらいにダイエットしようと思ったのですか?」
津野青嵐「そう。それで一気に20~30キロ痩せて。1日800キロカロリーと腹筋・背筋・ランニング生活を半年くらいやっていたんですよね。もう、フラフラしちゃって……あれはまずかったと思います。でも、痩せたらやっぱり凄く変わるんですよね。自分自身の気持ちも全然違うし、市販の服が着れることが嬉しくて」
haru.「そういえば、お洋服をおばあさまがオーダーメイドで頼んで作ってくださっている方に、青嵐さんも頼んでいらっしゃるとか」
津野青嵐「そうなんです。私とおばあちゃんは体形が似ているから“お前もこの先生に頼んで作ってもらったらいい”と言われて大学生くらいからですね、作っていただいています。私すごくコンプレックスがあって、高校から大学に入ってみんなファッションに敏感になっておしゃれなブランドの服とかかっこいいストリートファッションとかしているのに、私は着れる服がないから無関係なところにいるような感じがしていたんです。街歩いていてもデパート入っても、私に関係がないものだと感じられていたんです。今は少しずつ増えているけれど、当時は太っている人用の服だとだらしがないような見え方のするものしかなかったから凄くイヤだった。その後、色々あってダイエットしてその時初めて市販の服が着られるようになったんですよ。で、憧れだけだったブランドのショップとか行って服とか見るじゃないですか。すると“あっ!自分に関係ある!着たりできる!”って(笑)感動したんです。皆、市販の服を着るのって当たり前じゃないですか。私の場合は今までそれが無かったので」
haru.「今まで関係ないと思っていたファッションの世界に行かれたのはどういう経緯があったんですか?」
津野青嵐「おばあちゃんの服しかなかったんだけれど、じゃあ服は仕方なしとして肩から上はいけるんじゃないか?と思ったんですよね。常にメイクとか髪とか研究して。体形を考えて髪のボリュームの比率とか考えたり。ひたすら頑張って頑張ってやっていたら、だんだん、モードの世界に憧れてしまうようになりました」
haru.「ヘッドピースを作っていた時はそれに合わせるお洋服はどのようにして決めていたんですか?」
津野青嵐「大体、私はワンシーズン3枚くらいしか服を買わないのでそれに合わせてヘッドピースで変化を付けていました。でも、周りの痩せている子たちに比べるとやっぱり肩から下の意識が薄かったなと思います。選択肢がなかったので。ただ、ファッションについて学んでいく中でどんどんとその意識が肩より下へ下がっていきました」
haru.「あの3Dのドレスもすごく変わった形ですよね。体にフィットしているというよりは浮遊しているような」
津野青嵐「あれはかなり実験をした結果、新しい提案として作りました。何でこれを作ったかというと、これまで私は頭につけるものを意識していたので体のことを全然考えていなくて。それで、ボディーへの意識を持って作るという課題を与えられて作ったのがあれだったんです。めっちゃボディーを意識しようとボディーの型ごと作ったんですよ。頭への意識からの次のトライという感じでした。それから自分のクリエーションの根本にあった“目に見えない世界との交信”といったテーマや、幽体離脱のイメージからあの形に行きつきました」
haru.「モデルで着られている方って、おばあさまとかお友達が多いじゃないですか。ボディーを意識するなかで、いわゆるモデル体型と言われる人たちに着せるというよりはもっと身近な人をイメージして作られたのでしょうか?」
津野青嵐「私自身、そもそものコンセプトが、誰でも着ることができることでした。つまり体型や姿勢や状況にかかわらず着られることを大切にしていたので、そういう意味では祖母が着られることが絶対条件だったりもして」
haru.「青嵐さん自身、自分が着る服をこれから作りたいなと考えていらっしゃるんですか?」
津野青嵐「それはね、自分のことに関してはあまり考えてなくて今作っていただいている先生に頼みたいなって(笑)」
haru.「お友達でもファッション関係の方がいらっしゃると思うんですけれど、その方に頼もうとは思いますか?」
津野青嵐「いやぜんぜん。だってみんなやっぱり細い人が着る服を作りたいでしょう。勝手にそう思ってて、申し訳なくて頼めないですよ。それに、普段痩せてる人のための服を作っている方に、太ってる人のための服を作るというのは技術的にも感覚的にも難しいと思います」
――ご自身の現状を肯定していらっしゃるイメージだったので、「まだ痩せたいです!」という言葉には少し驚きでした。
haru.「確かに、私も意外だった」
津野青嵐「全然、やっぱり痩せた方が違いますよ。自分の考え方が変わってきます。私がもっと自信を持って生きていれば、みんなも体形とか関係なく接してくれると思うんですけれど」
haru.「傍から見たら青嵐さんがコンプレックスを抱えているだなんて全く感じませんでした」
津野青嵐「“太ってて最高でしょ!?”なんて思ってないです。デブであることを魅力的だとは思っていないんです」
haru.「“どの体も美しい”みたいなメッセージがあるじゃないですか。あれは疑問に思うことがあります。体って別に“美しく”ある必要ないですよね。普段生活していて体を見て美しいと感じることはあまりないです」
津野青嵐「私もない。体って情けないものだと思う」
haru.「毎月生理がきて血を垂れ流して、なんで全部美しくなきゃいけないんだと毎回思っています」
津野青嵐「でも、堂々としている人間のカッコよさみたいなのはあると思う」
haru.「そうそう。自分を肯定することで見える世界も変わってくるし。でも、“どんな体も美しい”と謳うのはなんか嘘っぽい」
津野青嵐「たしかに。だって、すっごい太っている人が雑誌に載ってて“めっちゃカッコいい!”とか言っている人も実際にそれになりたいかと言われたら絶対になりたくないと思うんですよ!結局、自信を持って堂々としている姿、その人間性が美しいということだと思います」
haru.「人種によっても体形の基準って違いますよね。私もドイツにいたときは“ガリガリすぎ! もっと太りなよ”とすごく言われたけれど、日本に帰ってからはそんなこと言われないし。やっぱり国によっても見られ方が違いますね。あと、日本って“人になんて言われようと私は私だ”という精神性って好かれない気がします。アイドル文化とかもそうだけれど、権力ある人たちが自分の手を加えて変化させられるものを好むというか」
津野青嵐「変化させられる余地があるものね」
haru.「そう! 余地(隙)があるものが評価される。自信をもってありのままの自分を祝福するということがなかなか難しい。身体が自分のものではなくて社会のものになってしまっているんですよね。テレビなどのメディアで女性が自分の意見を言っているだけで、“でもブスだろ”とか“でも太ってる”とかそういう言葉が上がる、そのたびに私は“でもって何?”ってすごい思います」
――それが刷り込まれてしまって自分の考えになってしまっている女性も多いですよね。
haru.「はい。女性同士でも“あの子はブスなのに”とか言ったり。その子が自信を持っていることに対して周りが外見で何か言ったりするのって本当になんなんですかね?」
津野青嵐「自信を持っていることに対して日本人は違和感を感じがちなのかな。謙遜の文化だから」
haru.「大和撫子みたいな“自分なんて”という考え方を美学だと思っているから何か文句を言いたくなるんでしょうか。自信を持っている人に対して羨ましい気持ちもあるだろうし。そういう考え方が逆に自分をも苦しくさせている気がします」
津野青嵐「謙遜していると本当に生きやすいんですよ。病院で看護師やっていたんですけれど、すごく上手いなと思ったのが中途採用で入ってきたおじさんが“私なんて”と物凄い謙遜モードで、そうすると皆人当たりが良いねって言うんですけれど、若手が“自分はこうなんで”って言って入ってくるといちゃもんつけられるんですよね」
haru.「美大でも本当にそうだったなあ。私が入っていたゼミは学科で唯一の女性の先生でした。作家の教授が多い中その方はキュレーターだったのですが、私が在学中に現場に戻ってしまいました。大学院の受験のときも“ジェンダーのこと学びたいです”と言ったら“どうやって学ぶの?本でも読むの?”と男性の教授に言われたり。男性教授ばかりというこの状況自体がジェンダーについて考えなくてはいけないことなのに。私は大学の外で友達を作って活動していたので、大学の中ではけっこう孤立状態でしたね」
津野青嵐「私は看護系の大学だったがらまさに女社会で、そういう体験はありました。看護大学だったからもともと人のために生きたい、社会貢献をしたいという心を持った方が多くて自分がそういう感覚が薄かったのもあってすごく居心地が悪くて……。学校の外の友人と過ごす時間が多かったです。特に、アーティストを目指したり美術を学んでいるような子たちは自分にとっては新鮮でした。自分が生きる上で直面する様々な事に疑問をもって生きて、表現していて、それまで結構ぼーっと生きていた自分にはハッとするような関わりが多かった。それこそジェンダーについて、そこまで意識していなかったせいもあって無意識のうちに昔ながらの差別的考えが根付いていました。だけど学校外で出会う子の多くがLGBTQだったり、友人がテーマに作品を作っていたりして少しずつ考えたり学んでこられた。知らないことで傷つけたり嫌な思いをさせて、それから学ぶような事もあった。それでも、無意識のうちに私は女なのに女性差別的な言葉がふと出てしまう時もある。今までの蓄積があるからいくら考え方を変えようとしても出るイヤなものがあるんです」
haru.「わかる。私もジェンダーの本を読んだりして絶対によくないってことは分かっているはずなのに、場の流れで超ナンセンスなギャグで笑ってしまったりして、その後すごい自己嫌悪に陥るんですよね。凄い腹が立ってきたり」
津野青嵐「そうそう、あれ撤回したいってことよくある」
haru.「でも、ちょっとずつは変わってきているなとも感じています。今も、体形の話からこの話題になったりするのもそうだし、周りの男友達が上野千鶴子さんの祝辞について話していたりだとか。ただ、こういう会話がされる場ってまだまだ一部に限られていますよね。自分の周りではこういう話題があがるけど、日本全国レベルでみたら全然共通ワードじゃないんだろうなあ」
津野青嵐「すごいショックなのは、自分の家族と話していた時にゴリゴリの差別発言が出てくるときですね……」
haru.「すごくありますね。おばあちゃんと話していた時も、私の親友のレズビアンの子の話をしたら“レズビアンって病気と同じでしょう”と言われたときがありました。かなりショックでしたね。その時かなり話をして一旦はわかってくれた様子だったのですが、また次の週には同じ発言をしてました」
津野青嵐「“病気だ”“いつか治る”とか、明らかに間違ったことを言っている人に対して、説明して怒っている自分も暴力的かもしれない。私はたまたま直面しやすい時代に生まれてこう感じているのを、そうでない環境で生きてきた人に怒れるようなことかと思ったり。そういう時代と社会の背景からさらに学ぶことがあったり」
haru.「親やおばあちゃんの世代にも“絶対に正しい何か”ってあったはずじゃないですか。私たちも孫が出来たりして私たちの当たり前を“それは違うよおばあちゃん!”って言われたとき、じゃあ今まで私が思ってきた正義っていったい何だったのか、って凄いしんどくなってしまうと思うんですよ。でも、前の世代が持っていた差別的な考え方をちょっと否定するみたいなムードがどんどん拡がれば、それが新たなスタートになる。“これ言ったらアウトだよ”というのを定着させるまで持っていくのが最初の難関なのかな。それを達成できれば、上の世代も“自分はこう思うけれど今これ言ったらアウトだしな”って思ってもらえると思うし」
津野青嵐「そうですね。そうやって、少しずつ体感として学んで変化していければいいな。差別といっても様々だけど、私はやっぱり自分がずっと関わって直面しているのが精神障害とそれを取り巻く社会的環境についてで。同じ障害の中でも特に精神については当事者だけでなく働く身としても差別を感じることがある」
haru.「精神疾患の人たちは街中でも差別的な目で見られるんですよね。一度友達が一緒にいるときにパニック障害の発作を起こしてしまったことがあって、その時に周りの人から投げかけられたことのない視線を投げられたんです。“あ、こういう目で見られている人たちっていっぱいいるんだろうな”ってその日初めて想像しました」
津野青嵐「街ではよくありますよね。昔は、それこそ50年以上まえまでは精神障害の方を自宅に小屋作って閉じ込めないといけないという法律があったんですよ。それが病院で隔離するようになっていって、今はようやく病院ではなく地域へと時代が変化してきました。日本の精神障害の方を取り巻く社会的環境って、欧米や欧州に比べてかなり遅れているんですよね。先進国なのに。こういうところで国の人権意識の違いとかが見えてきて、それが今の日本の生きにくさにつながっているのかなと考えたり」
haru.「青嵐さんは患者さんたちとメゾンを作りたいとおっしゃっていましたよね」
津野青嵐「そう。私は大学卒業後5年以上精神科病院で看護師として働いていたんです。そこで統合失調症の患者さんとの関わりから多くのインスピレーションを得ていました。病院勤務時代は妄想や幻聴に対して投薬治療がメインだったのですが、それで症状が落ち着く方もいれば全く変化なく苦しんでいる方もいて、その家族や支援者も苦しんでいて。そんな中で看護師としての役割を日々模索していました。今はファッションを学んだからこそ、別の視点で一緒にできる事があるのではないかと考えています」
haru.「最近読んだ脳科学者の本では、夢の中にいる状態と実際に精神が錯乱してしまった状態は同じで、夢の中では動作に繋がらないけれど、現実世界でパニックを起こして精神が錯乱してしまっている状態となんら変わりがないと書いてあったんです。現実で錯乱してしまう時は投薬するけれど、それは根本的な改善にはつながっていないという」
津野青嵐「そうですね。例えば私が出会った患者さんの多くに“悪の組織に狙われてる”という妄想がありました。妄想って簡単に言ってしまうけど、彼らにとっては現実なんですよね。病院ではこういった訴えに対して精神薬で症状を抑えたりはするのですが、完治するのではなくて寛解といって症状が落ち着いた状態を維持する事までしかできないそうです。なのでその“悪の組織に狙われてる”状態で何十年も生きている方がいるんです。病院では医療者が症状としてその状況を認識して関わっているけど、退院した地域では一体どう生活していくのか……。そんな中、北海道べてるの家と呼ばれる福祉施設で20年前から始まった 当事者研究というアプローチに強く惹かれています。“悪の組織に狙われてる”という方が、仲間たちと一緒に悪の組織について徹底的に研究するんです。病院で症状について掘り下げることは症状を助長するとしてタブー視されていた関わり方です。だけど、ここでは仲間と共に積極的に掘り下げていくんです。UFO研究や電波攻撃の研究などもあって、ユニークでとても魅力的なアプローチだなと思います。そして何よりクリエイティブだなと思いました。あと実際、自分が悪の組織に狙われていたとしたら、それを否定せずに一緒に考えてくれる仲間が沢山いるって、一番安心だし心強いですよね。そして何より孤独じゃなくなるし」
haru.「問題と向き合わない限り根本的な解決に結びつかないですよね」
津野青嵐「うん、これは精神障害だけの話じゃなくてもっと普遍的なことだと思います。人生に悩んだり、仕事や家族、友人関係で困ったり生きづらさを感じてる人はたくさんいると思います。困りごとがない人なんて、なかなかいないですよね」
haru.「私がこの特集をやろうと思ったのもそれで、私自身がコンプレックスだと感じていたものに対峙しようと思った。当時の傷と向き合うことで、今の自分になるまでにその経験がどのように作用したのかとか。文章などを使って他人に発信することも自分にとっては大事な作業で。もしこれを読んでくれた人の中で、自分と向き合ってみようと思ってくれる人がいたら嬉しいです。さっき話していた差別の話も、それぞれ自分の問題と対峙することが必要なことですよね」
津野青嵐「そうですね。発信することで、それを受け取った読者の中には共感したり、自分だけじゃないんだと安心できたりする。リアルでなかなかセンシティブな会話ができる環境って少ないと思うし、haru.さんのような方がそういう発信をする事って、とても勇気のいることだと思うけど、だからこそ読者にとってものすごく大きな救いになると思います。リアルであれネット上であれ、自分の困りごとや悩みに対し、共感して一緒に考えてくれる仲間の存在があることは、時に薬以上の効果、安心があると信じています。しかもそこには、自分ひとりでは気づかないような新たな発見や、感動もあると思いますよ。
今回のテーマ“たたかい方”で、自分と向き合うことが戦うことだとすると、まず安心してからたたかっていきたい。自分のすべてを共感してくれる人はいないかもしれないけど、声を出せば話を聞いて一緒に考えてくれるような人は必ずいます。私もそうやっていつも周りに頼って、なんとか生きてます」
haru.「大切な人たちがその人らしく生きているっていうだけで生きる活力になりますよね……また腹ごしらえをしながらたたかい方を考えましょう」
津野青嵐「健康的なたたかい方をね」
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感想文
「一人じゃないよ」と言われても、その言葉は風船のように頭上をかすめていってしまう。誰かを支えたいと思うこと以前に、相手に対して関心をもつということは案外難しいのかもしれない。津野さんはそれができる人だと思った。紡いでいく言葉、クリエイションのひとつひとつに嘘がない。普段は息を潜めているコンプレックスという悪魔に突如として襲われることがあっても、自尊心がずだぼろになっても、私たちはまたたち上がる。自分にしかできないことが必ずあると信じて。
津野青嵐
1990年長野県出身。看護大学を卒業後、精神科病院で約5年間勤務。大学時代より自身や他者への装飾を制作し発表。病院勤務と並行してファッションスクール「ここのがっこう」へ通い、ファッションデザインの観点から自身のクリエーションを深める。2018年欧州最大のファッションコンペ『ITS』にて日本人唯一のファイナリストに選出。
https://www.instagram.com/seirantsuno/
haru.
1995年生まれ HIGH(er)magazine 編集長 株式会社HUGチーフプロデューサー
https://www.h-u-g.co.jp
photography Mariko Kobayashi
interview haru.
text Ryoko Kuwahara