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text by Shiki Sugawara

韓国現代文学特集:キム・ヨンス インタビュー”表現の信条” /The power of”K”literature Issue:Interview with Kim Yeon-su

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1993年のデビュー以来世代や性別問わず多くの読者から愛され続け、本国では「私たちの時代で最も知性的な作家」と評されるキム・ヨンス。1970年生まれのこの作家は、韓国が民主化を遂げる1987年に青春時代をを送ったいわゆる”新世代文学”と呼ばれる世代を代表するひとり。韓国社会の民主化は文学にも多大な変化を及ぼし特に当時新星であった新世代文学は、長年にわたり政治的主張に重きが置かれてきた韓国文学ではそれまで見られなかったあくまで個人の世界に焦点を当て社会をあぶりだす現代的な作風を開拓した。そして、その影響はいま韓国文学界に吹く新たな風にも受け継がれている。『ワンダーボーイ』『世界の果て、彼女』をはじめとしたキム・ヨンスの著書では、逃れようのない変化の中で傷つき戸惑いながらも懸命に前を向こうとする登場人物たちの姿が繊細な詩的表現とあたたかいまなざしで捉らえられている。変化の著しい韓国社会とそこに生活する人々を、25年間にわたり真摯に見つめ、描き続けてきた彼にとって表現の信条とは。


――詩人としてデビューされたヨンスさんですが、小説作品の表現にも詩性を感じます。影響を受けた詩人をおきかせいただけますか?また、どのような点に影響を受けたのでしょうか。


キム・ヨンス「おっしゃる通り、最初は詩を書いていました。詩人デビューして間もなく長編小説を刊行し、小説家としての活動も並行していました。今は小説だけを書いています。母国語をもっとも自在に操るのが詩人ですから、小説家になった今も詩集は好んで読みます。詩人の白石(ペク・ソク)、徐廷柱(ソ・ジョンジュ)、金宗三(キム・ジョンサム)などに影響を受けました。彼らからは韓国語の美しい使い方を学びました。白石は話し方が独特で、徐廷柱は斬新であまり見たことのない表現が多いです。金宗三は言語では表現できないものを言語で表現する方法を見せてくれます。自分のこれまでの経験は何も私に限った話ではなく、人類普遍の経験なのだということを確認するために昔の詩もたくさん読みます。外国の詩も、だから読むようにしています。唐詩や俳句も好きです。それらを原語で読んでみたいという思いから漢字や日本語の勉強もしましたが、外国語で書かれた詩を理解するのはすごく難しいです」


――キム・ヨンスさんの作品にみられる、人物描写の多様さとそのまなざしの奥深さはヨンスさんが人文学に造詣が深いことと関係しているかと思われます。人文学的なアプローチで登場人物の人格形成を行われていますか?


キム・ヨンス「小説を書こうと思ったら、登場人物の欲望と執着を大げさに書く必要があります。現実の世界では、ちょっと大変なだけでも”えい、もうやめてしまえ”と言うであろう人も、小説に登場するときは、”どんなことがあっても、やり遂げてみせる”と誓う人じゃないといけません。そうすると現実を観察するだけでは物足りなくなって、人間の本性を暴くような本に助けを求めなきゃならなくなります。そんなときはギリシャ悲劇や、シェイクスピアの喜劇がとても役に立ちます。進化心理学、行動心理学、脳科学などもぴったりですね。その中でも、もっとも根本的なものが初期(原始)仏教の経典です。欲望と執着がどのような物語を生むのかを、これほどわかりやすく説明している本は他にありません。仏教の経典は人文学や科学の書籍よりも人文学的、科学的に人間を説明しています」


――あくまで個人の内包する世界に焦点を当てながら、社会や歴史があぶりだされる物語を書くのはなぜでしょうか。ストレートに社会を描かずに、個人的な物語を重視する意義とは?


キム・ヨンス「皆それぞれに欲しいものがあります。私たちはそれを手に入れるために行動しています。それが私たち皆の人生です。でも欲しいものは簡単には手に入りません。障壁がありますからね。それはライバルかもしれないし、互いの利害関係が衝突する相手かもしれないし、社会的な因習かもしれないし、法律のシステムや歴史的な事実かもしれません。この障壁を社会や歴史だと見ることもできるでしょう。だから私の小説で社会と歴史が、個人と絡み合うのは必然なんです。こうして長い物語が始まります。でも、私はここからもう一歩、前に進みたいと思っています。本来この世界は美しい場所です。私がなんの判断もせずに、ただ見つめているときは。でも私に欲しいものができると、この世界は私を妨害するもののように見えてきます。そうすると、この世界は不条理で悪い場所になります。だから物語の中に登場する世界は、常に不条理で悪い場所として映し出されます。私の小説の主人公も最初は不条理で悪い世界に立っています。でも最終的に彼らが手にするのは、自分たちの住む場所は本来の美しい世界だという認識です。その間、彼らにどんな変化があったから、そういう認識に至ったのかを明らかにするのが私の物語です」



――「言語芸術である小説を書くにあたり、他の人がしない表現を求めている」とおっしゃっていますが、フレッシュな表現、言葉をどんな方法で見つけるか具体的におきかせください。


キム・ヨンス「どのように眺めるのかによって表現は変わってきます。自分の中に閉じこめられたまま世界を眺めていると、淀んだ水のようにいつも同じことを言うようになります。自分の中から出て、さまざまな観点から世界を眺めなければ、新たな表現は作れません。そのためには詩と小説を読むのが一番です。もう誰かによって発見済みの驚くような表現から、新たな観点を学ぶわけです。外国文学もとても役に立ちます。この世界は一つですが、その世界を解析する観点は人それぞれ異なりますし、国ごとや、伝統ごとでも異なるからです。それから色々なジャンルの辞典を揃えていて、退屈なときに読み漁ります。服飾辞典、医学事典、軍事辞典などなどです。そうやって見つけた言葉を並べて置いてみます。夜の海とヘルメット。トンボとストライク。空とトウシューズ。こんなふうに単語同士が衝突したときに生じる炎に注目しています。まだ一度も目にしたことのない光が生まれる可能性を秘めています」


――なるほど。新たな表現を用いて情景や心情を表現することの意義は?


キム・ヨンス「言語は強い力を持っています。それは、私たちが言葉で世の中を規定しているからです。新たな表現で描写したら世の中は新しくなります。正確な文章を読んだら、眼球をごしごし磨いたみたいに世の中がくっきりと見えます。その反対も可能です。陳腐な文章は世の中を陳腐にするし、どんよりとした文章は世の中をどんよりとさせます。じゃあ、悪い文章を読んだらどうなりますか?悪い世の中になります。それが新しくて明瞭な言葉を使う、もっとも大きな意義なのです」

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――ランニングが趣味とおききしていますが、走っているあいだは何を思索しますか?物語のアイデアが思い浮かぶことはありますか?


キム・ヨンス「昔から走っていますが、最近の韓国はPM2.5がひどくて室内でランニングマシンの上を走る日が増えました。外を走っていたころも感じていたことですが、走りながら良いアイデアが浮かぶことはなかなかありません。走るときは頭を空っぽにするような感覚なんです。ただただ、ぼうっとしている状態です。放心状態とでも言いますか。もちろん、ふいに何かが浮かんでくることもありますが、昨夜の夢と似ていて、走り終わると、その良いアイデアが具体的にどんなものだったか思い出せないんです。走り終えるとすごく気分がいいので、それだけで十分に満足しています」



――他者を理解することは可能だということに懐疑的なヨンスさんが、それでも簡単に慰めず簡単に絶望しないことが可能だと思えるのは、「僕たちの内側に、燃え立つ炎があるから」だとおっしゃっています。その炎とは、例えばどんなものだと言えますか?自分や他人の内側にある、炎の存在を発見したのはどんな時でしたか?


キム・ヨンス「私が言う炎とは感覚の炎のことです。楽しさ。喜び。悲しみ。苦しみ。人生を生きながら個人は世の中と接触を持つことで、こうした感覚の炎を作り出します。でも、それを相手に伝えるのは前途遼遠です。指先をナイフで切ったとき、それがどんなに痛いか、言葉では表現の仕様がありません。そういうときの言語には限界があります。そんな言語で何かを表現しようとするわけですから、作家としては絶望的ですよね。でも幸いなことに、指先をナイフで切ったことのある人ならすぐに勘づくことができるはずです。それは、いつだったかはわからなくても、燃え上がった感覚の炎を体が覚えているからでしょう。作家としては、読者が自分の文章を読んで感動したと言うたびに驚きます。でも、だからこそ炎の存在を信じるようになりました。同時に、その部分を支えにした相互理解が可能なんだという事実も知りました」


――「いまこの時代をともに生きる人々が、同じ希望や理想を思い描いているであろうと信じるという嘘みたいな神話」というヨンスさんの言葉がありますが、その神話は創作のモチベーションのひとつになっていますか?


キム・ヨンス「どんな人間も今よりましな存在になろうとしています。だから、どの人生も同じ方向に向かって前進しているのだと思います。ですから終局を迎えたときのこの世界は、もう少し良くなっているはずだと信じています。この信じる気持ちがないと、文章を書いて出版するのはきついです」


――信じる気持ちを持ち続け、何かを変えようと筆をとるヨンスさんはじめ韓国の作家の声が国内だけではなく海外にも届いています。最近では韓国文学の邦訳化がさかんになり、大きな注目を集めています。1993年に登壇して以来、20年以上にわたり韓国文学界の中心にいらっしゃるヨンスさんからみて、今のこの状況をどうご覧になっているでしょうか。


キム・ヨンス「色々な面で私がデビューしたころと状況が大きく変わったのは確かです。当時の韓国文学は民族主義的な傾向が強かったです。韓国文学は韓国の読者だけを相手にする、そういう認識がほとんどでした。でも今はそういう小説を探す方が難しくなりました。最近の韓国小説は、ほんとうに多様なアイデンティティを持った人々が主人公として登場しています。以前に比べるとマイノリティに対しても寛容になりました。韓国文学の視点がこれほどに成熟して広がったわけですから、翻訳も活発になるのではないかと思っています」


――では最後に次作のご予定、テーマの構想などおきかせください。


キム・ヨンス「前に述べた詩人の白石は朝鮮戦争後、北朝鮮に残りました。叙情詩を書く詩人でしたが、共産政権によって粛清され、その後は詩が書けなくなりました。彼の人生を振り返り、ある優れた詩人が自分の文章を失っていく過程を収めた小説を構想中です」


text by Shiki Sugawara


キム・ヨンス(Kim Yeon-su)
1970 年、慶尚北道生まれ。成均館大学英文科卒。93年、「文学世界」で詩人としてデビュー。翌年に長編小説「仮面を指して歩く」を発表し、高く評価されて小説家に転じる。『グッバイ、李箱』で東西文学賞(2001 年)、『僕がまだ子どもの頃』で東仁文学賞(2003年)、『私は幽霊作家です』で大山文学賞(2005 年)、短編小説「月に行ったコメディアン」で黄順元文学賞(2007 年)を受賞し、新時代の作家として注目されてきた。2009 年「散歩する人々の五つの楽しみ」で韓国で最も権威ある李箱文学賞を受賞。韓国文学を牽引すると同時に、若者を中心に熱烈な支持を得る人気作家である。小説のほかエッセイ『青春の文章』『旅行する権利』『私たちが一緒に過ごした瞬間』、作家・キム・ジュンヒョクとの共著『いつかそのうちハッピーエンド』なども多くの読者に愛されている。


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