所作を整えると聞けば、堅苦しい決まりごとを沢山覚えて、1ミリのズレもなく全うするような、古臭いものに思えるかもしれない。いわゆる、道がつく習い事を学ぶお稽古事などを連想しがちだが、今回ここで言う所作は、もっと気楽なものである。気楽とはいっても、道や流派の決まりからは自由だというだけで、真面目に向かい合うべきものである。
禅語に「行住坐臥」というのがある。行は歩く事、住はとどまる事、坐は座る事、臥は寝る事を意味し、生活場面の全てが修行だとする。修行とは自分を高めていくことだが、生活の場面全て、つまり今の今を十分意識して、美しく没頭して生きる事を説いている教えである。
私は、常々この言葉を意識するように心がけているが、実際は忘れている事の方が多い。だが、この教えを心の何処かに掛けておくだけでも随分と違う気がしている。時々行住坐臥を思い出しては、心と身を正し、その時の行いに清々しさを呼び込む。
禅と聞けば、坐禅を連想する人が多いと思う。その坐禅において、大切にされていることに、調身、調息、調心という三語がある。
まず、調身だが、これは姿勢を整えること。調息は、呼吸を整えること。調心は、心を整えること、である。順番通りに整えることが大切とされ、姿勢を整えることで、呼吸が整い、呼吸が整うことで、心が整う。まずはしっかりと形を作ることが大切というのは、意外かもしれない。精神的な教えだと、まず心を整えてから外側へと意識を向けるものだと思いがちではないだろうか?だが、ここが禅の深いところでもある。実際、姿勢を整えると胸が開き、複式呼吸がしやすくなる。猫背だと、胸も内臓も圧迫され、圧迫された部位は当然のこと、体全体の血行もが悪くなる。
血行を良くするというのが、健康や美容の大前提でもあるから、まずは姿勢を整えるというのは、科学的にも辻褄が合う。
呼吸が整うと心が整うというのも、ほとんどの人が経験済みだと思う。
緊張した場面で深呼吸して冷静になろうとするのは、誰もが試みることだ。また、怒っている時、興奮している時には、呼吸が浅くなっていることからも説明がつく。心の安定には、呼吸の安定が必要なのだ。
幸福とは、心がゆったりと落ち着いている状態だとすれば、幸せであるためには、まずは姿勢を整えることが必要なのだ。
だが、人は動物なので、ただ姿勢を正してじっとしているわけにはいかない。日頃から、歩いたり、しゃがんだり、座ったり、登ったり、様々な複雑な動きをしている。それを姿勢良く行うためには、何か軸が必要である。それに当たるのが所作ではないだろうか?