最近の習慣として、毎朝3冊の本を少しずつ併せて読み進めている。
良い波動を持つ本、言葉を、1日の始まりに読んでいる。インドの人々が夜明けにガンジス川で沐浴をするように、それには身を清める効果があるようだ。
ベトナム人僧侶ティク・ナット・ハンさんは、その影響力から故国ベトナム政府に疎んじられ、帰国を認められず、長らくフランスを拠点に世界中を講演して巡る生活をしている仏教者である。その名は知りつつも、近づく縁がないままであったが、熊本の長崎書店で数冊が平積みされているのを目にするに至り、ようやく彼の言葉と縁を持てたのが2年ほど前である。
「瞑想」「歩く瞑想」「呼吸」などのキーワードを挙げることは出来るが、彼のシンプルな言葉使いによるメッセージ、波動こそが、まず素晴らしいと思う。翻訳を経てもなお伝わるその力にまず驚きを覚える。詩はときに音楽のような効果があるから、原語の持つ響きは重要だと思う。だが、ハンさんの言葉は、やはりメッセージの波動力が強いと感じる。原語の音楽的な響きを超えた場所から読者の心の深い場所にまで届く。その力はどこから来るのだろう。ハンさんの魂からだろうか、宇宙からか、神からか。おそらくその全てからであり、さらに加えるなら、読者の奥深くからハンさんの言葉を経て現れるのだと思う。
「怒り」「和解」「恐れ」。確か、その日は雨が降っていたと記憶している。アーケード街にある長崎書店の奥まった場所に並んだ3冊のタイトルの強さにちょっとたじろいだが、シリーズ最初の一冊である「怒り」を手に取りレジに向かった。
その書店は数年前にイベントをさせていただいた縁がある店で、レジには村上春樹さんのサイン色紙が飾られてある。村上さんはサインをしないようなイメージを勝手に持っていたので、ちょっとした驚きでその色紙を見つめていたら、レジ担当さんから一言二言挨拶された。挨拶を返しながら「怒り」と大きく書かれた本を差し出すのにちょっと照れたので、その場面を割とはっきり覚えている。
「怒り」というのは、多くの人が抱える問題ではないだろうか。怒らない自分を探して、いったいどれだけ多くの人が、日々の後悔を重ねているのだろう。その悔いの重みを海に浮かべたら、世界の水位が1メートルほど上がってしまうのではないか。
著書「怒り」から、いくつか引用しようと思ったが、あいにく机の辺りには見当たらず、本棚からも去っている模様。いったい「怒り」はどこに隠れているのか。この部屋のどこかに居るはずなのだが。どうせなら本当の怒りも、こんな具合に、気づけば無くなっているような存在であってほしい。
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