光嶋「森村さんがマリリン・モンローそっくりになってそれを作品にするのも、モンローになりたくてなってるんではなくて何が本当のモンロー、アンディ・ウォーホルと違うのかというところの問いかけをずっとくれるわけですよね。それが形式として、アートの歴史に残るバトンになる。
コミュニケーションの形式ということで言うと、先日聞いた話が、ある高校生が学校に行けなくなって、人と対話できなくなったと。最も身近にいる親とも話せない。そういう高校生にカメラを渡して親にインタビューを取って来てと頼む。そうすると、しゃべるのは嫌やけど『オカンちょっと頼むわ』ってカメラを向けた時点で、まず息子からお母さんに対して何かを聞きたいですよっていうメッセージが生まれる」
天野「カメラが介在することによって」
光嶋「そう、そして親の方も何か語らなければならない。カメラがなくたって親子関係で対話が生まれればそれでいいんですが、僕に何かを語ってほしいという行為がカメラ一つで創発されるんですよね。それが形式だと思うんです。
美術館においてはアートを見せるというそもそもの行為がある。だからコミュニティに開くといっても無料にして誰でも入れればいいって話じゃないと思うんです。もしかしたら一つの切り口かもしれないけど、誰でも入って何をしてもいいとなったら、それはもう美術館という形式そのものが破壊されてしまう」
天野「お互いストレスがなくなるとまずいんですよね」
光嶋「そうですね、その緊張感は絶対必要だと思います。だから形式を残したうえで開くということで僕が可能性を感じるのは、最初にも述べましたがクロスボーダーという部分ですね。どう接続し、相互扶助な関係をつくれるかですね。例えば下北沢にできたB&Bという本屋さんがあるんですけど、ブックストアとビールを結びつけている。それぞれの頭文字を取った名前も、コンセプトも単純だけど、素晴らしいなと思うんですよ。
彼らは下北沢でふらっとビール飲みながら、『ああ最近どんな本あるんやろう』と見れる店は絶対に必要とされているはずだというその発想一点勝負で成功してるわけです。実際に本を売る行為としてトークイベントも工夫しながらやったりして。そのトークイベントの利益で本が売れなくたって店が成り立つかもしれないし、ビールが売れれば飲み屋的に成り立つ。本を売る、トークイベントをする、ビールを売るというシンプルな3本柱がある。一つ一つやったら成り立たないけど、合併したら強くなるというのは何かヒントになるなと思うんです。
すべてタッグを組めばいいってわけじゃないけれど、美術館が果たして何とタッグを組むか。例えば幼稚園と養護老人ホームが合体するっていうのは素晴らしいと思うんですよね。死に近い人と生まれる生命の最初に近い人間同士が同じ場所にいるっていうのはすごくいい」
天野「現にそれに近い施設がありますが、本当にいい作用があるらしいですね」
光嶋「形式さえ残っていれば、美術館と、もしかしたら学校という組み合わせはあり得るかもしれないですよね」