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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.3 美術と建築 後編 ゲスト:光嶋裕介 

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天野「そうですね。今、横浜のトリエンナーレの準備をしてるんですけど、ディレクターは森村泰昌さんで、タイトルが『華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある』なんです。新しいものが出来たときにそこにあったものをみんな忘れてしまう。忘れ去られたものの中に、無言の価値が実はあるのだという姿勢です。これまでも、例えば、美術家のゴードン・マッタ・クラークは、ポンピドゥーセンターが出来る前、壊される寸前のタウン・ハウスに乗り込んで行って穴をあけて、インスタレーション作品を作ったりしています。これもある意味では、忘却へのある種の抵抗ですね」

光嶋「えっ、そんなことやってらっしゃるんですか!?」

天野「やってるんですよ。ちょうどくり抜いてるときにポンピドゥーの外枠の足場がもう出来てて。NYの埠頭のスクラップ・アンド・ビルドのところにも穴をあけてます。彼は大学が建築科で、スクラップ・アンド・ビルド嫌いで、痕跡を意地でも残したいんですね。楔というか、どこかこう爪垢でも爪痕でも残したい。そうするとみんながその前に何があったかくらいは思い出せるんじゃないかと。

日本人って忘れるのが上手い民族だし、人間にとって忘却は必要なことなんだけれど、これからは前に何があったかという痕跡くらいは残すとか、何か残したいというのは必要なんとちゃうかなと思って。光嶋さんの建築がそうであるように、美術でもそれは意識される必要が出て来ているんじゃないかと思います。過去を辿れということではなく、みんなが何となく思い出せないようなものをひょっとしたら思い出させる、そういう引っかかりがあることが大事じゃないかなと」

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