NeoL

開く

天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.3 美術と建築 中編 ゲスト:光嶋裕介 

ay_5

光嶋「運が良かったのは、僕が初めて建てた建築がたまたま凱風館という多面的な複雑な内田樹先生の自宅兼道場だったことです。先生と合気道の門人たち、またそこから派生していくクラスターにもたくさんの人たちが集まってきて、凱風館を使います。多様なメンバーと建築の関係性が独特なんです。合気道はスポーツではないので、強弱勝敗を比較考慮しないんです。自分の生命力みたいなものを高めるためにお稽古をします。僕はまだ合気道をやり始めてから2年ですけど、確実に、見えないものに対して耳を澄ませようとするとか、自分の身体感覚が合気道を通して何がしかの形で変化し、設計にも活かされていると感じています。内田先生は凱風館という場所を通して、あるいは合気道というものを通して、異物を排除しない新しいコミュニティを形成していると思います。

僕は自著(『みんなの家。〜建築家1年生の初仕事〜』)で書いたんですけれども、タイトルを『みんなの家』と名づけたのは、凱風館は内田先生の合気道の道場という核をもった特殊解かもしれないけど、誰もがそれぞれの『みんなの家』を違った形で作れると思ったからなんです。家が大きい、小さいと比較する必要はなくて、それぞれ否応なしに近隣や家族・親戚、いろんな人と関係するのであり、そこには、いろんな物語が溢れている。建築家としては、それらをどう相互的に結びつけて建築に定着させられるかを考えるかが大事で。アートも今、創作という行為が自分の中にある美しいものを見出すという構図からどんどん多様になってる中で、どのように社会との邂逅を見つけるかというところに新しい可能性があるんじゃないかと思います」

 

天野「内田さんという学者は、それまで各々のジャンルでしか通じない言葉で話していた研究者たちに対して、誰しもにわかる言葉で伝えるということをして、まさに言葉を開いた人ですよね。さらにそこから自分の家も開こうとしている。ただ、もう一つ根源的なこととして、伊勢神宮が20年で遷宮するように、やはり20年経つと初期化していく、リスタートしていく感覚が日本にはある。伊勢の場合は宗教的な儀式であり、もちろんそういう意味だけではないけれど、未来永劫残そうとする欲望とは違う感覚を持っているというのはあるかなと。それで今の都会の景観はすごくごちゃごちゃしているわけだけど、法律を作って守ろうという感じでもない。一方で京都や伊勢のような美しくて、あんなミニマルなものを好きだという感覚もあるし、そのあたりの感覚が僕にとっても依然として謎なんです。光嶋さんはそういう感覚をどう捉えているんですか?」

1 2 3 4

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS