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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#57 龍

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 龍が存在していたのは、アジアやヨーロッパだけではない。南米大陸では神として扱われ、アステカでは、ケツァルコアトルという名で毛がある獣であった。このように世界中で多発的に龍が存在したのは、その原型として当然大蛇が考えられると思うが、実際に龍そのものが現在も存在していて、チャネリング次第で可視化されるような気もしている。DNAに刻まれた人類共通の古い記憶に龍と共存していたページがあると想うこともできるだろう。


 ヨーロッパでは悪者とされ、アジアでは聖なる生き物、南米では神とされた龍は、本当はいったい何者なのだろうか。


 歴史はどうであれ、現代の世界で最も龍を敬っているのは、日本だと言われている。元々中国では、皇帝などによって権力の象徴として扱われ、信仰色は薄かった。その典型的な例として爪の数がある。皇帝御用達の龍は5本爪であるのに対し、一般向けのそれは4本爪で身分を反映していた。皇帝はいわば龍の威を借りていたのであり、龍はその権力の象徴であった。この例について面白い話があるのだが、先日訪れた長崎県壱岐島にある龍光大神という神社にある龍には7本も爪がある。皇帝の5本よりも2本も多いのだ。地元のスピリチュアル好きな女性によれば、世界有数の力がある龍がそこにはいるということだ。その真偽は分からないとしか言えないが、その場所自体は素晴らしい気に満ちているので、信仰と対象になるのも良くわかるのだった。


 さらに個人的な体験談になるのだが、その壱岐島での滞在中に、42社巡りを2日間で敢行していた時に、ある神社の上に龍の形をした雲が二つあるのに気付いた。雲はそもそも見ようによっては無限の想像力を掻き立てるものなので、こじつけ気味になりがちだが、その雲は自分にとって見た瞬間から龍に見えたのだった。これまでもふと見上げた青空の中に龍の形をした雲を見つけることがよくあったが、その旅の中で、龍光大神や、別の龍蛇神社を参拝したあとだったので、やおらその気になっていたのだろう。見事にうねった龍の形をした雲にしばし見とれてしまった。そうなったら完全にドラゴンモードである。タトゥやら誕生日やら息子の名などが、ひっくるめて必然に思えてきて、普段買うことのないお札まで連れて帰ることになった。その後、龍に関する書物をいくつか読んでさらに龍を身近に感じるようになった次第である。


 龍とはいったい何者だろう、という話に戻る。
 インドやオリエント、南米で、大蛇など実在の動物をベースに想像力で膨らませた過程を経て、それぞれの文化の中で悪者になったり聖者になったという物語とは別に、人類共通の記憶の原型として言語と文化を超えて、どうしても存在してしまう何かが龍と呼ばれているのではないだろうか。


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