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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#57 龍

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 龍は現在の世界の中で、特に日本において最も信仰の対象とされていることは先に記した。輸入元の中国では皇帝の権威づけに利用され信仰と対象としての存在感は薄れたが、一方、世界で初めて中国において神聖視されたのも事実である。
 中国に興った陰陽思想では、万物は全て陰と陽と、その中間の平に分けられる。龍は陽が最も極まったものとされ、太陽と同格とされた。中国では都などで東西南北に4神が配置され、西に白虎、北に玄武、南に朱雀、そして東に青龍が置かれた。東は太陽が登ってくる方角である。空高く上昇する日輪に、龍のイメージが重なり、陽のエネルギーの象徴として崇められた。
 また、龍脈、龍穴という考えもある。龍は海や川や泉や湖など、水のある所に棲み現れるとされ、つまり水脈の象徴とも考えられている。その拡大解釈として、気の流れである気脈の象徴ともなっている。気のいい所には龍が住んでいるといわれる所以である。そして龍穴とは気が大地から噴出している場所であり、神社や聖地などは龍穴に相当する例が多い。なので、聖地とは龍がいる場所とも言われているのである。


 気というのは、宇宙に満ちている目に見えないエネルギーのことである。地球上に生きている者は、中でもその地球発のエネルギーの影響を強く受けて暮らしている。地球の奥深くから龍穴を通って地上に出た気であるエネルギーは、気脈に沿って循環したり流れたりしているのだが、大きなビルなどで、それを遮断してしまうと、その土地に本来流れている気が逸れたり消失したりしてしまう。風水師は、その気の流れを活かしながら家や街を見るのに長けた人々で、宮大工もその職業上、気を読むのに長けた人々である。言い方を変えれば、彼らは龍が見えたり読めたりするのである。初めて訪れた土地に、なんともいえない心地良さや、力がみなぎってくる感じを経験したことはないだろうか?おそらくその土地は、気の流れがいい土地で、人間は本能的にそういう場所を選んで住み始め街を作ってきたのだと思う。だが、開発などで龍脈が破壊されて気が停滞、消失すると、街は斜陽へと傾き始める。血行の悪い部分が凝ってくるように、土地の活力が落ち、人の活力が落ちるのだ。
 人が神社などの聖地に向かいたくなるのは、龍穴から噴出する気を浴びて、気を元に戻そうとしたいからで、まさに元気になりたいからだ。社殿で手を合わせ、仏像に経文を唱えるのも、実は気浴となっている。だが、邪気という言葉があるように、気にも悪い気があって、どんな聖地でも人々の悪い気が集まれば、そこの気は乱され、もはや聖地ではなくなってしまう。もちろんそれは一時的な場合がほとんどで、一夜開けた人が少ない時間帯には清々しく参拝できる。
 気が合うという言葉もあり、自分と土地との気をうまく合わせるのが、聖地を訪れて、その土地のエネルギーと交感するコツである。身を頑なに力ませに願いばかりを唱えるのは、交感にはならない。自己暗示と発奮するきっかけにはなるが、それだけであり、気を合わせることは難しい。むしろ自分の気を整えてその土地にそっと置き、その置いた分だけを土地から受け取って縁を結ぶくらいが丁度よい。気をいただくというよりも、気を交換するのである。まず自らの良い状態の気を先に与えることである。本来はそれだけでいい。与えた分だけできた身体内の空白に自然と土地のエネルギーが流れ込んでくれるはずだ。自分の裡なる龍と、土地の龍とが入れ替わる感覚は、小さな転生のようで、愉しみになるのではないか。



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