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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#53 肩凝りについて

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 手を抜くではなく、手を緩める。そうしながらも成果は保つことができるイメージはあった。何事も大切なのはインパクトの瞬間の心身の使い方であって、強張りからは力がうまく伝えられず、無駄な緊張となるだけだ。こういうことは、経験してきた様々なスポーツから得ていた実感でもあったので、非効率と言い換えてもいいだろう。まあ、若かったということだ。
 こういう経緯の後、私のテーマは、肩の力を抜いて暮らす、ということに定まった。走り続け、立ち止まり、自分の状態を確認し、今後へと意識を新たにする。その上での、脱力指向であったのだが、実際は数学の公式のようにはいかない。肩の力を抜こうとしても、依然として肩凝りはひどく、仕事のペースも少しは緩くなったとはいえ、相変わらずの多忙であった。いつも首を回したり、片手で揉んだりしても、治し難かった。方向は分かっているのにそこへと行き着けないもどかしさの中にいた。ネガティブなイメージから回避しようとするのは、行動のきっかけとして消極的で灰色がかってしまうので、逃げるというよりも、健康へ、明るい未来へと向かうイメージ付けをしていたが、それでも事はうまく運ばなかった。
 依頼される仕事はどれもが興味深く、取捨選択が難しい。何事にも楽しい部分を見つけて取り組むという基本姿勢が災いしてか、依頼を断れないということも、要因となっていた。これは贅沢な悩みともいえ、こういう状態に至ることをある種の目的としてきたわけなのに、一旦をそこに立ってしまうと、健康問題が全く思いがけない方向から顔を出してきたのだった。
 きっとこういうことは誰にでもある程度の年齢に達すれば生じてくるのだろう。ようやくやりたいことが出来てきた時に、それを阻むように立ち上がってくる諸問題というのがある。ある人にはそれが人間関係であったりするだろう。私の場合は健康問題である。幸い大病する可能性を示唆されただけで、そのまま突き進むこともできただろうし、それを選択する人、せざるを得ない人もいるだろう。たとえ来世があるとしても、今生はこの一度きりである。それをどう過ごすかは個人の了見にかかっている。


結局私がとった行動は、東京を離れて葉山へと住所を移すことであった。2005年のことである。今から13年前のことで、今でこそ郊外に住むというスタイルは一般化されたが、当時はある種の一線から遠ざかるようなイメージを周囲には持たれたようだ。ちょっとした「お先に上がります」な感じがあった。現在の状況とはちょっと違うのかもしれないが。
 しかしこれは仕事量ということでは、功を奏したようで、変わらず忙しかったとはいえ依頼数は落ち着き、は1日3本という撮影はなくなった。事務所は依然として神宮前三丁目にあり、そこへと日々葉山から往復していたのだが、ほどなくしてビルの老朽化と耐震設計の新基準への不適合という理由から立ち退き勧告があったのをきっかけに、事務所も葉山へと移した。正確には横須賀市秋谷という場所だったのだが、そこは秋谷海岸から数本道を入っただけの一軒家で、ビーチまで30秒という場所であった。風呂場には外から直接入れるようにドアが付いていて、夏にはひと泳ぎしてから作業に当たることもあった。常時2、3人いたアシスタントを1人だけに減らし、なんとなく身軽になった気がした。



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