ホラー映画は、スリルで私たちを楽しませるのみでなくその時代の社会性を映す鏡としても機能する。ローバジェットで製作するに相応しい題材から先鋭的な作品も多く、また人々にとって恐怖の対象というのは時代により変容していくからである。「ゾンビとは、我々自身」だと語った巨匠ジョージ•A•ロメロ監督は、ゾンビ三部作にて68年公開の一作目でベトナム戦争と人種対立の宿怨、78年代公開の二作目では物質主義社会への警鐘、85年代公開の三作目でレーガン政権下アメリカの貧富格差についてをそれぞれ社会風刺的に描いた。このように多くのホラー映画がその枠組みを使って社会に潜む恐怖を目に見えるものに変換させることで、分かりやすくも的確にその問題点をあぶり出していった。さて今回の特集テーマである90年代にはどんな恐怖が存在していたのだろうか、三作品で振り返ってみよう。
まず紹介するのは、1997年公開『ファニーゲーム』。
ある裕福な家族を見知らぬ男性二人組が訪れ、「ファニーゲーム」という遊びのもと監禁を始める。そして繰り広げられる彼らの暴力は一貫して理由なきものである。本作の「ハリウッド的ホラー映画のパロディ」とも言われる徹底したメタ構造はもの言う暇なく見る者をその惨劇へ引きずり込むが、その不条理は不快感と同時に、これまでに描かれて来た多くの「都合のいい暴力描写」とははっきり一画をなした人間の悪意を肌で感じさせる。90年代に入り開戦した湾岸戦争は史上初めて生中継放送された戦争だった。人々はブラウン管に生き生きと映し出される空襲の光景を、どこか現実味のないバーチャルな気持ちになって見ていた。しかしながら本作内で語られる「虚構は現実だ」という言葉とあるように、暴力とはTVの中に存在するものではない。そのメッセージが映画そのものの構造を借りて体現されたホラーである。
そして、1999年公開『ブレアウィッチプロジェクト』。
主人公の主観に視点を置いて進行するPOVという手法や宣伝や書籍•HPを利用したメディアミックス商法、また探し出した映像という前設定をベースとしたファウンドフッテージというジャンルは2000年代に入ってホラー映画界にて群発するが、そのブームの火付け役となったのが本作。そもそも源流としては60年代に起こったモンド映画というジャンルでフェイクドキュメンタリーの手法をとったものがあるが、このジャンルはあくまで対象を「好奇の目」で描き出すものであった。しかし本作はファウンドフッテージ及び記録映像という設定を借りストーリー内で繰り広げられる「恐怖」の実態が最後まで明かさないというあえて不鮮明な姿勢をとった点が人々の目に新しくも現実的に映ったのは、分からないということ自体が恐怖たるからだ。
最後に紹介するのは、1990年公開『ジェイコブス•ラダー』。
精神的後遺症を負うベトナム帰還兵ジェイコブの夢と現実を行き来する混乱の旅路を描いた作品。終始本作を覆う不穏な空気、フランシス•ベーコンからインスパイアを受けている異形の幻覚は彼の精神状態でもあり、その恐怖は見る者にも共有される。彼の名前、ジェイコブは旧約聖書「ヤコブの梯子」からきており、ヤコブが夢で見た天使が上り下りする階段を彼もまた同じく登る。死とは何か、ひいては生きるとは何かということを、足下の梯子を一段一段踏むように、着実と突き詰め提示されている。本作の白昼夢的世界観は後にデヴィッド•リンチ作品(『ロスト•ハイウェイ』『マルホランド•ドライブ』)や『サイレントヒルシリーズ』にも大きな影響を与えた。
90年代のホラー映画において恐怖とは、先述の「虚構は現実だ」というファニーゲームに登場する言葉に集約されている。恐怖とはホラー映画の中だけではなく、私たちの身の回りや私たちの身体にまで内包された存在だということを見る者に訴えかけ、そのため様々な新演出が生まれた。フィクションと現実とのメディアミックス的演出は、アンビバレントな恐怖対象が付きまとう2016年公開『イット•フォローズ』など様々な作品に今も大きく受け継がれている。また、2016年公開の『ライト/オフ』や同年作品『ドント•ブリーズ』のフェデ•アルバレス監督といったYouTubeが誕生地となるケースも多くなっているのが近年ホラー作品の傾向である。
text Shiki Sugawara