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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#51 歴史巡り

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 装飾古墳に描かれている色や線には、そういう時分と同じ何かに突き動かされて得られたものを感じる。不慣れな線であり、色であり、と言ってしまえばそれまでだが、そこに感動してしまうのは、私の中の何かが同調するからであろうし、多くの人の心の何かと同調するからだろう。
 感動するということは、心が動かされ、時に涙を流すことである。涙は心身のデトックスの一つであるから、感動することは立派なヒーリングなのである。そして感動の種子は至る所にあるのだが、同時代の表現物や芸術作品、料理、会話、など比較的近しいものだけでなく、時に遠くの事物と交流することで、感動の枠組みが広がり、その分デトックスできる機会が増えることになる。たとえば、いつも悲恋の物語だけを読んでいると、心が硬直してやがて涙が乾いてしまうように、感動する対象も広げておくといい。
 古墳というのは、日本の各地に無数にある。調べてみると、意外と近い場所にあったりすることに驚くだろう。通勤途中に実はあったりすることもある。
 1400年ほど前の人々が無心で描いた線や色には、形だけが残っているわけではない。それだけを確認するならば、わざわざ現地に赴かなくても、スマホがあれば確認できる。私が現地を訪れる理由は、壁画に残っているエネルギーを感じたいがためである。有名な画家、たとえばピカソの絵も、実物を見るのとは感動が違うように、そこには描いた人のエネルギーが残っている。
仏像しかり、建築しかり、やはり現物のエネルギーに触れることこそ、鑑賞の醍醐味である。
 装飾古墳の壁画を通して、1400年ほど前の人々と精神交流することは、得難い経験である。とはいっても、難しく考える必要はなく、なだリラックスして眺めればいいだけだ。想像力をフル稼働させて、目の前に描いている人の姿を浮かび上がらせる必要もなく、ただ、心を透明にして透明な眼球から、絵を入れればいい。私は実際そのようにして、古墳の絵画を体験している。
 ただ、実際現地に行って、ヒーリングという観点から新たに気づいたこともある。
 古墳というのは中部が自由に見学可能ではなく、保存上の理由から年に数日しか公開されていないのが普通である。内部はカビやすく、1400年前の姿を良好な状態で留めているものはほとんどないに等しい。そのため、原寸のレプリカを作り、常時見学可能にしてある博物館がいくつかある。


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