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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#51 歴史巡り

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 ここ数年、北九州を訪れることが多い。
 地名を列挙するなら、対馬、壱岐、五島などの島々から、福岡、長崎、熊本あたりを巡っている。
 偶然仕事が重なったということもあるが、わざわざ滞在を伸ばして、個人的に興味がある場所を訪れているのは、ありきたりな言い方ではあるが、「呼ばれている」からだろう。
 前述した対馬、壱岐、五島は長崎県に属しているが、それぞれか異なる個性を持った島で、五島はキリスト教との関係がやはり気になるし、同様に対馬は半島や大陸との関係が、壱岐は神道との関係が気になる。
 福岡でも宗像神社や太宰府などの神社仏閣ジャンルを辿ることも多いし、熊本では装飾古墳を中心に訪れている。
 結局全ての地に共通するのは、歴史への興味だと言える。
 「サピエンス全史」のヒットが象徴するように、世界史が静かに注目されている。
 現代の混沌とした世界の政治・宗教・民族問題を理解するには、人類が辿ってきた世界史の知識がないと読み解けないのは周知のことで、このことは何も今改めて騒ぎ立てることでもないのだが、振り返ること、過去を体験することによって未来に起こり得ることを先回りして仮体験できることはメリットの一つとしてまず挙げられる。
 そこからさらに深く立ち入るならば、歴史を学ぶことは、人類とはいったいどういう生物か、どういう行動パターンを持っていて、長所と短所はどこにあるのか、と俯瞰的に私たちの種全体を捉えることができる。そして人類と個人としての人間との間には、どのような差異があるのか。集団行動と個人行動では、別の人格が生じるように、その差異もしっかりと観察し、冷静に理解することで、個人が集団になる時の長所短所、集団が個人になる時の長所短所を知っておけば、個人の認識力にも余裕が生まれ、無用な絶望や、危険な楽観を避けられるだろう。
 つまり歴史を知ることは、個人の生活においても、安寧とした精神状態を保持するための一助となるのは間違いない。
 まあ、少し、大袈裟かと思いもするが、夜道で懐中電灯を持つことを想像すれば、納得しやすいだろう。歴史の知識とは懐中電灯であり、未来ばかりでなく、今日を照らしてくれるのだ。
 そういう角度を持って、歴史と向き合えば、その知識の増加は、ヒーリング効果をもたらすとも考えられる。見通せることで、不安や迷いを消せるというのは、ヒーリングの目的と合致するからだ。


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