久々に会った友人が、煮詰まった職場の人間関係に悩んでいた。ストレスのはけ口を聞いてみると、図書館に通って様々な偉人の伝記を片っ端から読んでいると言う。どうしてそれがストレスのはけ口なのかというと、伝記というのは成し遂げられた数々の偉業の中で必ずどれも普通の人っぽい失敗エピソードも書いてあるのでその箇所を読む、すると希望が持てるのだと。要するに彼女は、「こんな希有な存在にも平凡な側面はある」というところだけにスポットを当てているというのだ。
「エジソンはえらい人 そんなの常識」ではあるが、偉くて凄い人の平凡さという側面に鼓舞される彼女の心理というのは分からなくもないなと思う。
さて、デヴィッド•リンチも凄い人である事は彼の作品に触れた者なら誰もが知るであろう。美しい悪夢のような世界へと誘う彼の創造物たちは、これまで見てきたどんなものとも違う。そして悪夢のトンネルから抜けて我々はこう思う、「この人頭の中どうなってんの?」と。たとえ頭の中を覗いたところで分からないのだろうけど、そう思わせるところが彼の作品の凄いところだ。
「ツイン•ピークスThe Return」の放映はまだ記憶に新しいが、私は毎土曜の21時ぴったりにテレビの前でスタンバイをして観ていた。全ての予定をテレビ番組に合わせるといった習慣は思えば久々で、それほどワクワクしていた。しかし始まってみれば序盤から何が起こっているのかさっぱり、リンチが作ったものに関しては徹底して「考えるな、感じろ」精神で今までやってきたにも関わらず回を重ねるごとに「•••これどうやって終わるの?大丈夫??」と心配するほど全てが縦横無尽に動いていた。しかし、結果的にはそんな思いは完全に余計なお世話にすぎず見事に収束する圧巻の展開。夢を見ているようであった。「ツイン•ピークスThe Return」を見終わった後に頭によぎった事は、「心配なんかして舐めていました、ごめんなさい」という悔いと、アーティストとしての優れたバランス感覚への気付きだった。分からないけどもっと見たい、分からないけど何故か心が動かされているのは分かる、そんな風に感じさせてくれるアートのバランス感覚。
本作『デヴィッド•リンチ:アートライフ』の冒頭シーン、椅子に深く座ったリンチは目を瞑っている。アメリカン•スピリットを吐きながら何かに思いを馳せるその姿は、さながら海に糸を垂らし魚をじっと待つ老いた釣り人である。厳しさと穏やかさを含んだ顔。
子供の頃、世界の両端といえばアイダホはボイシの食料品店と2ブロック先の友人の家。信じられないほど狭い世界の中、正しく子供思いの両親の下で明るい毎日を過ごしたと話す。そんな毎日が陰り始めたのは、進学のためバージニアに越してからである。悪い友達と一緒に遊びまくり、親の心配を重責に思っていた。次第に恐怖が立ちこめていったという。
そして「前々からなんとなく嫌なイメージしかなかった」というフィラデルフィアでの生活。交際相手の妊娠が分かり、結婚してドラッグストアで週5勤務のルーティンの中創作活動に割く時間もなくなり「もう終わりだ」と感じていたと言う。
なんと、あんなにも完全に分からない人だと思っていたリンチの、理解しうるいたって平凡な苦悩。自分もどこか経験したような事もあるし、誰かから聞いたような話もある、こんな自分の身近にもあるような経験がまさかデヴィッド•リンチの過去だとは。
そして彼のこの平凡な苦悩の過去こそがあの優れたバランス感覚の源泉なのかもしれないな、と感じた。これまでリンチを語る上で常識的に置かれていた、凄い人を見る好奇な目とは対照的に、ある種平凡な側面を我々は見つめていた。「アートオブライフ」とタイトルにあるが、あくまで1人の人間としてリンチを見据える事で結果的にアーティストとしての彼の源泉が浮き上がっていた。
これは悩める友人に何としても薦めたい一本だな、と観賞後真っ先に思った。きっと彼女はこれを希望と捉えるかもしれない。
text Shiki Sugawara
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映画『デヴィッド・リンチ:アートライフ』作品情報
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リンチが紡ぐ「悪夢」はどこから生まれるのか?
『ツイン・ピークス The Return』で再び世界を騒がせる、
映画界で最も得体の知れない監督――その「謎」が「謎」でなくなる、かもしれない。
映像作品のみならず、絵画、写真、音楽など様々な方法で表現活動を続けている
デヴィッド・リンチ。「その頃の僕の世界はとても小さく、近所の数ブロックに全てがあった」
ハリウッドにある自宅兼アトリエで語られる過去。
「恐怖が垂れ込める意地の悪い街」フィラデルフィアでの日常。
その中に潜む「恐怖」「苦悩」は、まるでリンチ作品の登場人物のような姿で
私たちの前に現れては消えていく。
アメリカの小さな田舎町で家族と過ごした幼少期、アーティストとしての人生に
憧れながらも溢れ出る創造性を持て余した学生時代の退屈と憂鬱。
後の『マルホランド・ドライブ』(2001年)美術監督である親友ジャック・フィスクとの友情。
生活の為に働きながら、助成金の知らせを待った日々。
そして、当時の妻ペギーの出産を経てつくられた長編デビュー作
『イレイザーヘッド』(1976年)に至るまでを奇才デヴィッド・リンチ自らが語りつくす。
監督:ジョン・グエン、リック・バーンズ、オリヴィア・ネールガード=ホルム(『ヴィクトリア』脚本)
出演:デヴィッド・リンチ
配給・宣伝:アップリンク
(2016年/アメリカ・デンマーク/88分/英語/DCP/1.85:1/原題:David Lynch: The Art Life)
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『デヴィッド・リンチ:アートライフ』
2018年1月27日(土)より、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
©Duck Diver Films & Kong Gulerod Film 2016