前出の「冷えとり手引書」中の著者の体験エピソードとして印象深かったのは、40℃ほどの発熱時にも半身浴をたっぷり試したとあり、二度とも熱が翌日に下がったとあった。一般的には発熱時には入浴は避けるべきとされているのだが、発熱というのは体が冷えているのでそれを高めようという作用とみなし、ならばそれを補助しようという考えがあっての行為なのだ。
理屈的には、なるほどと思う反面、全面的に納得できないような違和感がわずかに残るだが、その理由は私にも分からない。これは自分で体験するしかないだろう。
靴下を注文する前に、少しだけ雰囲気を味わうつもりで、中綿入りのアンクルブーツを室内で履き続けて、上半身は薄着気味にして過ごしてみた。靴下自体は毛と綿の混紡を履いた。
これだけで体がポカポカとなり、ちょっとした半身浴状態になった。確かに体全体が温かく、風邪を引く気がしないし、心と体がエネルギーに満ちてくるのを感じられた。もしかしたら絹の靴下と綿の靴下を重ね履きしなくても、これで足りるのではないかとさえ思えるほどに。アクリルなどの化繊ものは一番外側なら重ね履きも認められていて、それに類しているので、これでもいいのかもしれない。
この靴下重ね履きは、夏でもやるようにと勧められていて、つまり夏も体が冷えているということだ。冷えているというのは、言うまでもなく、上半身と下半身との約5℃の温度差であるということ。それが夏でも起こるのだ。さすがに夏にアンクルブーツはないだろうから、もし冷えとりを続けるのであれば、いよいよ専用の靴下を買うべきかもしれない。しばらくこの冬は様子をみてみようと思う。
しかし、この冷えとりを継続するには、常に足を何かで温めなくてはいけないということが生活全般に、つまり大きく言うなら人生に求められるということでもある。排毒は一度済ませればいいわけではなく、日常的に摂取してしまう毒素を随時排出することが最も心身に良いはずで、常に足元から下半身を温めておくことが足枷のように求められる。冷えとりの効果への評価とは別に、人間とはそのように出来ているのであろうか、という疑問が素朴に思い浮かぶ。もし、そのような持続的な保温を必要とするならば、私たちはちょっとした欠陥を持ってしまっているということになる。なぜレッグウォーマーのように、いっそ足首に毛がふさふさと生えていないのだろう?もしかしたら現在は進化の途上の未完成状態で、しばらくしたら子孫の足首にうっすら毛が伸びてくるのかもしれない。