—歌詞は後から付けたんですか? かなり本音を語ってる気がするんですけど。
川上「後ですね。Dメロで『僕が死んだって 何も残らないから』ってありますけど、俺は何でこんなこと書いたのかなって思ってて。俺はこんな弱気じゃないはずなのになって。取材が始まる前にこれをどう答えようかなって思ってたんですけど、多分この曲には主人公を一人置いてるんですよね。僕じゃない誰かを置いて、最後の『生きているそのうちは 死んでたまるか』というところで自分の考えにそいつを引っ張り込んでしょうね。そこは珍しくストーリーっぽいかもしれません」
—でもそれも川上さんの中にいる人なのかもしれないですよね。普段は見えないだけで。
川上「精神的には変なときがあったんですよ。このシングルを作ってるときは、ツアー中だし、みんなすごかったですよ。メロディラインはセッションで作ることが多いから、ギターを流したりとかする中で声を張ってそこでメロディを模索するんですよ。ライブと同じくらい、もしくはそれ以上に声を張り上げないといけない。そうすると次の日がライブだと声出なくなるからウィスパーでやるしかない。だからメロディが出来るまですごく時間が掛かったんですよ。なかなか思いつかなくて。キーも最後まで定まらなかったし、そういう理由もあります」
ーそんな状況で生まれた曲だったんですね。でもただ力強いだけじゃなく、逆に情緒が生まれたというのはいいことですよね。
川上「結果的に良かったと思います。ライブでもちゃんと歌えたから」
—“Oblivion”も全く声が違いますよね。こういう声で歌ったのは初めてじゃないですか?
川上「ほぼ初めてですね。ここまで低いのはないです。これこそ今回の制作の象徴的な曲で。声を張り上げちゃうと駄目だから、低い声でデモを録ったんですよ。そしたらマーくんが低いままでいいんじゃないって言い出して、最初は『えーっ!』って思ってたんですけど、おもしろいし、珍しいからいいかなってそのままにしたんです。そういうとこから実は生まれました」
—それもツアー中だったから?
川上「そうですね。仙台のツアーだったんですけど、ライブが終わった直後、楽屋で“Run Away”と“Oblivion”のキーとかを決めて、楽屋で汗だくのまま歌ってました。声を変えて、そのまま朝からレコーディングを始めて」
庄村「キーが決まって、さらに仙台から東京へ戻る車の中で曲構成も変わっていくっていう」
川上「AメロBメロどう? じゃあAメロなしでって(笑)」
磯部「車の中でマーくんのPro Toolsとかカタカタいじって。じゃあ次はBメロって」
庄村「“Oblivion”に関してはリフレインが入る予定だったんですけれど、そこをばっちりカットしたのがレコーディングの6時間前とかになるわけですよね、時系列だけで言えば。まさにその東京へ戻る車内です。かつそのデータ上ではデモ音源の切り貼りだったので、実際にスタジオでバンドで合わす間もなかった。細かいフィルとかベースのラインとかもレコーディングブースに入って、手数出しながらみんなに聴いてもらってっていう作業でしたね。“Oblivion”に関してはブースの中でのアドリブと言って差し支えないですよ」
磯部「Bメロのベースラインも当日その場ですね」
川上「一番過酷なスタジオレコーディングでしたね。ずっと集中してました、そのレコーディングに向けて。寝たとしても2,3時間くらい。でもこの先もこの繰り返しなんで、そこの感覚はミュージシャンとして持つべきだし、ミュージシャンじゃないと尖っていかない部分じゃないですか」
磯部「とは言え見直す時間があればそれはそれでいいものが出来るとは思うんで、そういう時間はあっていいと思うんですけどね」
(後編へ続く)