天野「美術が基本的に宗教的な対象であったのと同じように、食べることっていうのもある種の宗教的な儀式でしょう?」
平野「でも普段はおいしいもの食べたいって思ってるじゃないですか」
天野「もちろん。それがまずあって、普段は何を食べようかっていうのがあるんだけど、その時もある種の倫理的なことが反映されるわけね。日本で言えば、箸の使い方だとか。言うじゃないですか、お箸で(皿を)引き寄せちゃだめとか」
平野「そうですね、寄せ箸刺し箸とか色々」
天野「結局それって、のど仏のお骨を最後お箸からお箸に渡すからだよね。だから普段はやっちゃいけない。“ハレとケ”みたいな。そういうのが食べ物に反映されてるってことがある、こんな日にはこれを食べちゃいけないとか。もちろん普段はおいしいものを食べたいって言ってるけど、よくよく見てみるとそんなに自由に食べてないんです」
平野「確かにそうですね」
天野「中国やヨーロッパの市場はカエルは当たり前、ウサギ、鹿とかもある。ところが日本のスーパーは肉の種類はものすごく限られている」
平野「うん、食べれるものが制限されてる」
天野「豚のスネなんか欲しいんだけど売ってないんですよ。色んな選択肢が日本にはないけど、他所の国では色んな人(人種)が住んでるからチョイスが増えてくんだろうと思うんですよ。だから日本って、ものすごく不自由」
平野「冒険心がないというか、保守的になっちゃう。やっぱりおいしいものを食べたいからかな」
天野「コントロールされてるよね。例えば、いつのまにか曲がってないキレイな人参が好きにさせられている」
平野「曲がってて、何がいけないのって思いますよね」
天野「消費者のみなさんの要望でまっすぐにしましたって言うけど、お互いにお互いの首を絞めちゃったというか。美術の世界からすると、それもすごくおもしろい。わざとひん曲げたりだとか、小沢剛(アーティスト)みたいにベジタブル・ウェポンを作って、機関銃のように構えさせてさ、最後には鍋にして食べちゃう人もいる」
平野「すごい! 最後は食べちゃうっていうのがいい」
天野「だから美術と食べ物世界って表裏一体というか、切っても切り離せないんだけど、それはさっき言ったように美術の世界とか宗教の世界だからっていうんじゃなくて、実はものすごく染み込ませられてるから。それが、ものの考え方にも反映してるんちゃうかなって気がします。その国々によって美しい食べ方があるし、マナーも違う。倫理的なことを刷り込まれて食ってるんだよね」
平野「うんうん」