ーどんなことを念頭に置いてセックスのシーンを撮影しましたか?
オゾン「セックスシーンはリアルに描きたかったが、下劣にならないように心掛けたし、不道徳という判断が下されないように気をつけた。ご覧の通り、イザベルの顧客の中には少し変人もいるが、要はイザベルが行為に適応する様子を見せたかった。イザベルは、まだ自分の欲望が何なのか不確かな時に、他人の欲望を受け止めなければならない。ある面では、他人が彼女のもとで欲望を感じることは、彼女にとって意味のあることだと思う。僕は現実に尾ひれをつけるつもりはないが、ある意味では、イザベル自らがそういう方向を欲したのかもしれないね」
ー顧客の1人のジョルジュは、ほかの顧客と比べて異色です。
オゾン「そうなんだ。イザベルとジョルジュには、互いに通じ合うものがある。彼女は彼との関係を快楽とさえ感じているかもしれない。彼が彼女を見つめたり、体に触れたりする様子は、特別なものだ。2人の関係には優しさがあふれ、他の顧客との間にある実務的な側面がない。ジョルジュは高齢にもかかわらず、とても魅力的だし、セクシーで、女性が誘惑されやすい男だ。それを踏まえて、僕はヨハン・レイゼンをキャスティングした。観客が見た時、本当にイザベルに魅力をアピールしていると信じるに足る役者が必要だった。レイゼンは、美しく彫りの深い顔をしているし、人をうっとりさせる声やアクセントを持っている。さらに、クリント・イーストウッドなどアメリカ人俳優のような体つきをしているしね!」
ーマリーヌ・ヴァクトをイザベル役に選んだ理由は何ですか?
オゾン「『危険なプロット』の主人公役を演じた若者のように、成熟さや達観したところを持ち、演じる役よりも少し年が上の女優と仕事をするべきだと思った。マリーヌのことは、セドリック・クラピッシュ監督の『フランス、幸せのメソッド《未》』で見ていた。会った時に、とてつもないもろさを感じてびっくりしたが、彼女には力強さもある。スクリーン上で見栄えがするし、内面からにじみ出るものも見えるんだ。彼女と仕事をしながら、『まぼろし』で撮影したシャーロット・ランプリングを思い出したよ。イザベルの顔や、皮膚感を見るにつけ、その内側には何か特別なものがあると思わざるをえない。彼女の肉体的な美しさは神秘や秘密といったものを内包しているよ。だから、僕たちの好奇心がそそられ、もっと彼女について知りたいと思うようになる」
ー彼女にとって初の主演作品です。
オゾン「しかも重みのある役だね。事前に徹底的に話し合ったし、他の役者と本読みやリハーサルも重ねた。脚本の改訂も踏まえながら、彼女が役作りに没頭できるように気を配ったほか、彼女自身にもイザベルにふさわしい衣装を考えてもらった。彼女には僕を信用してもらいたかったし、僕たちが作ろうとしているものを理解し、ジェラルディン・ペラスやファンティン・ラヴァなど他の演者との絆を深めてほしかった。彼女がモデルの仕事をしているから、体を道具のように自由に使えるという利点もあったね。ほかの女優が同じ役を演じていたら、彼女みたいに自分の体に心地よさを感じることはなかっただろう」
ーイザベルの母親役もとても重要です。
オゾン「そうだね。作品のある時点で、焦点をイザベルから母親に移すべきだと思った。娘の恋愛ではなく性生活に対する彼女の反応をきちんと描写するためにね。もちろん、売春がそこに関わると極端な例になるが、どの親も直面する問題というものがある—-子供の性行動は、どういう影響を親に及ぼすか、親が抱える恐怖や不安とはどういうものなのか、親は子供の私生活についてどの程度知るべきなのか、そしてどの程度介入するべきなのか、といった問題だ」
ー娘と母親の関係について、どう描こうと思いましたか?
オゾン「母と娘が友達みたいに見えるのを避けつつも、年齢を近づけようと思った。そして観客には、良い母親と映るように心掛けたーー母親との関係から、イザベルが売春に手を染めたと受け止められるのを防ぐためにね。僕たちの世代の多くの母親のように、イザベルの母親はとても現代的な女性だ。近年の多くの映画に見られるような母と娘のライバル関係を避けるために、この作品の母親はとても美しく、性的にも満たされている女性にした。2人の関係はライバル関係とは程遠いものだ。母親が、娘が夜遅く義理の父と話をしているのを見てしまった時でさえ、彼女は別に脅威を感じない。この作品は、娘が母親の居場所を乗っ取るような映画ではないんだ。だが、イザベルには悪魔的な側面がある。それは、母親の友人が、夫が彼女を家に送ることに反対するシーンでも描かれている」
ーその友人は、イザベルの振る舞いそのものよりも、欲望のメカニズムに対して恐れを抱いているわけですね。
オゾン「まったくその通りだ。イザベルの周囲にいる人間の頭の中にだけ、彼女が売春婦のような振る舞いをし、みんなをその毒牙にかけるという考えがある。イザベルは、そうは考えていない。周りの人がそう考えている。イザベルの美しさや官能性により、周囲の人間は、欲望に対する自らの偽善に正面から向き合わざるをえなくなる」
ーイザベルは、母親に恋人がいることに対して怒っているというよりも、自分を信頼せずにそれを秘密にしていたことに対して怒っています。
オゾン「思春期というものは、子供が両親のことをいろいろと発見するため、難しい時期だ。親は子供が思っていたようなヒーローではないし、物事を子供から隠すし、嘘もつく。ティーンエイジャーには真実や誠実さを持って接するべきだ。子供たちは、大人の世界は偽善やウソに満ちていることを突き止めるし、信頼を失った親に対して敵意を持つことになる」
ー母親が娘をぶつシーンに、衝撃を受けるというよりも、感動を覚えました。
オゾン「僕はそのシーンについて、複数の女友達と長い時間をかけて話し合った。イザベルの母親のように、娘が売春をしていると知ったらどうするか聞いた。大勢の意見は『そんなことが起きると考えたら、ゾッとするわ。自分を責めるでしょうね。どうしてそうなったか理解しようとするわ』といったものだった。多くは、前向きで、娘に理解を示す姿勢を見せていた。だが、ある女性が、娘が薬物に手を出したことが分かった時、彼女をなぐったと打ち明けてくれた。僕にはそれが自然に思えた。親が、ムスッとして内にこもったティーンエイジャーに対し、どうしていいか、何を言っていいか分からない時、衝動にかられてなぐってしまうことは、ありえることだ。ジェラルディンは母親として、たたくという行為に理解を示してくれたが、感情にまかせた悪い行為だということに気づき、すぐに謝ることも大事だと感じていた」