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2014年2月公開 映画『17歳』フランソワ・オゾン監督インタビュー

ー映画は、イザベルの弟が双眼鏡で彼女を見ている場面で幕が上がります。彼女は、始まってすぐに、プライバシーが「侵害」され、盗み見られる対象として登場します。

オゾン「その通りだ。イザベルの振る舞いは、近くにいる人たちから強い反発を受け、強烈な反応を引き出してしまう。映画の中の四季は、異なる登場人物の視点で始まる。夏はイザベルの弟、秋は彼女の顧客、冬は彼女の母親、春は継父だ—どの季節のシーンもすぐにイザベルの視点に戻ることになるけどね。四季が移り変わる円のようなイメージで物語を展開したかった。『ふたりの5つの分かれ路』のように、ストーリーをより綿密に描くために、そういった特別な瞬間に集中したんだ」

 ー各季節にフランソワーズ・アルディの歌が使われています。

オゾン「そうだね。ある秩序立った枠組みを設けて、その中で完全な自由を手に入れたかった。僕にとって、物語が一学年度にわたり展開するということが大事で、歌で区切りをつけながら、成り行きをかたずをのんで見守る構成にしたかった。アルディの歌を使ったのは、『焼け石に水』の中に使った曲”夢を追って”、『8人の女たち』で使った曲”告白”に続いて3回目だ。アルディは、失恋や幻滅といった10代の恋愛の本質をとらえているから好きなんだ。良く知られる彼女の歌にのせて、若々しいイザベルを描写するのは面白いと思った。イザベルは、心の奥底では、そういう感傷的で理想化されたよくある思春期像を受け入れたいと思っていて、彼女の両親もイザベルにそういう思春期を送ってほしいと思っている。だが、イザベルは本当に誰かと恋に落ちる前に、まず本当の自分を見つけたり、心の中の葛藤を直視しなければならないんだ」

ーイザベルが顧客に会いに行く時、地下鉄のエスカレーターやホテルの廊下を繰り返し通ります。遊び心を持って、そういったロケーションをうまく使っていますね。

オゾン「人が秘密の経験をする時に見られるように、衣装や、繰り返し出てくるロケーションには、儀式的な意味合いがある。イザベルは、その儀式的な側面を好んでいるーーネットに接続し、相手がどんな人か想像し、料金を交渉し、会いに行く、といったような流れだね。イザベルは、実際に顧客と寝る時には、ほとんど何も感じていない、と彼女の精神科医に打ち明ける。彼女が売春をする理由は、冒険的な側面や、ともすれば退屈な10代の日常を突き破り、背徳を通してある種のすがすがしさを得られるからだ。僕の映画の多くの登場人物は、日常から抜け出したい欲求を持っている。観客の中には、映画の最後の方で、彼女は薬物中毒のよう

に売春がやめられなくなり、また顧客を取り始めると感じる人もいるかもしれない」

 ー10代の売春は大きな問題になっています。イザベルの行為を安易に現実の社会問題に置き換えて捉えられないように、どう工夫してこの物語を構築しましたか?

オゾン「社会状況は僕が10代の頃とは違うからリサーチをしたよ。特に性情報について携帯やネットが果たす役割などについてを。僕が10代の時はミニテル(註2)を使っていたからね! リサーチのために、非行少年・少女を担当している警察官や、新手の売春を専門に取り締まる警察官、問題を抱えるティーンエイジャーを見てきた精神分析医のセルジュ・ヘフェズと会った。この作品で僕が持っていた直感が正しいと確認し、それを掘り下げたかったんだけれど、一方で物語がフィクションとして受け入れられるように心掛けた」

 ーイザベルの父親が不在ですが、それと彼女の振る舞いを結びつけた説明はありませんね。

オゾン「そういう説明はしなかったが、観客が理解できるような手掛かりをいくつかちりばめたつもりだ。イザベルの行動を説明する理由はたくさんある。作品を見る人それぞれが、自由に解釈したら良いと思うよ。観客に、そういう自由裁量を与えたい。僕だってイザベルの理解できない点がたくさんある。いわば昆虫学者が研究している生き物の魅力に取りつかれるように、僕の方が理解しようとして彼女というキャラクターを追いかけていたね。イザベルは口数の少ない女性で、唯一、心を開いて話すのは、彼女が2回目に精神科医と話す時だ。そういう構成にしたのは、観客がイザベルに付き添うような感覚を持ったり、感情移入してもらうためだ。観客は、イザベルや彼女の両親が経験する多くのことに共感を持つことができる。それを達成できたのは、そういう登場人物の置かれた状況が現実に根差したものであり、出演者の演技がリアルだからだ。どのキャラクターも複雑な状況下であがいているが、その中でも自分なりに最善を尽くして問題に対処しようとしている」

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