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text by Ryoko Kuwahara
photo by Satomi Yamauchi

ジャック・ドワイヨン監督インタビュー 『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』by Jan Urila Sas

neol_Jacques_jan_2 | Photography :  Satomi Yamauchi


——粘土をこね続けているときに多くの人を巻き込んでいるわけですが、何度もその粘土をこねさせる、つまり他の人々のモチベーションもあげて同じ方向を向かせるための特別なマジックはありますか。


Jacques「映画を撮影することはオーケストラの指揮に似ています。周りに動機付けを行うには、私自身が興味旺盛で、頑固で、執拗で、そして不安はもちろんあるけれど撮影をすることを楽しんでいること。そのモチベーションが周りにも感染するのではないでしょうか。私が退屈しているのが一番良くないと思います。
私の撮影は長回しの1シーン1ショットで、カメラは2台使っています。従って、1シーンが2分ないし6分という長さです。3秒くらいの短いショットを撮って繋げるのであれば編集のときに方向性を決めることができますが、私は長回しですからライヴのようなものなのです。よくテイクをやり直す(refaire)と言いますが、その言い方が私は大嫌いです。私たちは毎回新しいテイクを作っているのです。まだ見つかっていない新しいものを探すためにテイクを撮る。前のテイクで見つかったものはその中に盛り込む。私はそのテイクに生命が宿るまで現場でやり続けます。確かに撮影を3テイク内で終わらせたいという俳優もいます。フランスの俳優の3/4はそういう感じでしょう。でも何人かはいまだに新しいものを探して努力をすることを楽しんでくれます。そして俳優がなるべくいい演技を出そうとし、テイクを最高のものにしようと努力している現場に立ち会ってそれでも機嫌が悪い技術者がいたら、その人は別の仕事を探した方がいいでしょう」


——僕もライヴ感のある、魂を無造作にいじらない作品が大好きですが、人間である以上、そこにはどうしても作っているとき以外の生活が無意識に反映されていくと思います。この映画を制作中に、監督が無意識に反映されていたなと思ったことがあれば教えてください。


Jacques「私は自伝的な映画が大嫌いです。私の仲間たちは自分自身に起きた事件、すなわち愛の破局などをメモして映画化して、事実をフィクションにするということをよくやっていますが、私はなにかが起きてまだ終わっていないところで、それが第一幕であるとしたら、どういう第二幕、第三幕が可能だろうかと考えます。既知の感情がそこには必ず入ってきますが、感情は人間であれば必ずみんな知っているものですから再現とは異なります。以前4歳の女の子を主演に『ポネット』という映画を撮りましたが、彼女に対して嫉妬、憎しみ、愛、所有欲などの感情を説明する必要はなかった。4歳で全て知っていました。それらの下地に自分の発明やファンタジーをつけ加えて進んでいきます。
脚本を書いているときに私が好むやり方は、2つか3つの対話のかけらを出発点にして段々に登場人物が育っていくというものです。登場人物が独り立ちし、独り歩きをし始めると、私は彼らの言っていることを口述筆記をして書き取るようになるーーその瞬間が大好きです。自分が作ったはずの登場人物が突然手を離れるのです。撮影をしているときも同じです。デッサンをしているシーンで、ロダンはずっとモデルを見つめていて描いている紙は見ていない。紙が落ちても気付かない。そのときは俳優が私の指示で動いているのではなく、ロダンという人物が自立して自由にモデルを見つめているという気がしました。そういう瞬間が好きです。これでは答えになっていないかもしれないですね(笑)」


——いえ、素晴らしい答えと教えをいただきました。ありがとうございます。そのデッサンのシーンがいい例ですが、監督もロダンも動物的な感覚が多く動いているアーティストだと思います。ロダンはその感覚に入り終えた後にカミーユにアドバイスを求めていますよね。それは社会的な目線のアドバイスを求めているのだと思うのですが、監督もそのようなアドバイスを求めることがあるのでしょうか。それとも監督自身の中に動物的な感覚を持った人物と、もう少し社会的な目線を持った人物の両方が存在しているのでしょうか。


Jacques「自分の中に両方があるタイプだと思います。フランス語で音楽の演奏家と俳優は同じ言葉(nterprète)なのですが、それには『解釈をする人』という意味もあります。演奏、演技、解釈というのは、セリフや楽譜を知っているだけでは充分ではない。それらを完全にマスターしたうえで自由になれる、その部分が大事だと思います。立ち位置やセリフなど配置が決まっているように見えても、解釈者の自由は巨大なものです。俳優にファンタジーがあり、生き生きとクリエイティヴに演技を作っていけば、あるときそのシーンが本当に新しく生まれ変わる瞬間を迎えることがあります。私はときに、ここまで完璧にできたから、あとはより野性的に動いてみてほしいと俳優に言うことがあるのですが、そうすることで、すごい結果が出るときがあります。編集のときに、脚本通りの完璧なテイクと、不完全だけれど俳優が生き生きとエネルギーに満ちているテイクがある場合、私は欠点があるテイクがある場合は後者を選びます。それが私のやり方です」

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