抜けるような空の青さに魅入ったり、エメラルドグリーンの海にため息をついたり、燃えるような夕日の赤に涙を流したりと、とかく人は色に感動する。よくよく考えれば、いったい何故なのだろう、と疑問に思う。山や海や空などの自然物の色だけでなく、絵画など、人が配合した色に対しても同様に感動するので、それが自然であろうと人工であろうと、人は色に影響され、感動する習性がある。エジプトなどの古代文明の宝物などが、美しい色を持っていることからしても、人というのは、生まれながらにして、どうしても色に惹かれてしまうようだ。もしかしたら、人だけでなく、他の生物も同様かもしれない。異性を惹きつけるための美しい羽などを持つ鳥類はそうであろうし、蝶の羽は、毒毒しい配色によって捕食者を威嚇したりする効果もあるらしいから、美の追求とは違う使い方もあるのだろう。いずれにせよ、人以外の生物も色彩を感じていることは間違いないだろう。
色と言えば、化粧も、それを利用したものである。これも人の歴史の随分古い頃からあった習慣であろう。自分の身分を示したり、戦闘時に集団を鼓舞したり、自身のファッションの一部として、異性を惹きつけるためにと、様々な用いられ方をしてきた。そして、ここでも色が重要な役割を果たしている。
そもそも色というのは、どういうものか。簡単に言えば、それは波動である。電磁波と言ってもいい。赤、青、黄、から受ける印象はそれぞれ違うが、これは波動が異なるからである。着る服の色によって気分が変わるのは、表面的には色の違いとして簡単に説明できるが、なぜ黄色を着ると華やいだ気分になるのかといえば、黄色にはそういう効果がある波動があるからなのだ。
波動(電磁波)は全ての存在にあって、人と人、人と物、人と土地など全ての関係は、この波動の相性によって説明できる。同じような人が集まってグループになるのは、波動が近いと楽だからであり、趣味が合う人が集まるのは、自然なことである。その一方で、敢えて波動の違う人や物事に惹かれる人もいる。常からアウェイ好きを公言している私は、まさにそういうタイプで、だからこそ旅好きでもあるのだろう。それは、さておき、色というのは波動であり、波動というのはビッグバンによって生まれたとされる宇宙の始まりからあって、ひとつのデフォルトである。その影響は選択できるものでなく、全ての存在が波動に満ちた宇宙の中で暮らしているのである。そして色というのは、光線によって可視化されたものである。だが、面白いことに、電灯を消した部屋でも、つまり暗闇でも、私たちは皮膚から色を感じられるのである。
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