とは言っても視界が開けている場所では、たいていあっちが先にこちらをすでに気づいている。それでものんびり食事をしているのだから、まず半分許可を得ているも同然で、あとは距離を詰めながらどこまで許されるのかを、やはり声をかけながら確認し続けるのである。
そのニホンカモシカは五メートルぐらいまでは近づかせてくれた。僕は標準レンズの付いたカメラしか手元になかったので、その距離でもまだまだ遠い。それでもその辺が限界だろうなと思って、何枚か撮らせていただいた。もちろん「写真撮りますね」と声に出したのは言うまでもない。
その後に、ニホンカモシカはぴょんぴょんと跳ねつつ悠然と去っていった。野生動物だけが持つ、あの気高さには、いつもこちらの背筋が伸びる。一時一場の人間代表として、恥ずかしさの無い行いであったかを都度反芻するのである。
三重の山での二つ目のクライマックスは、栃の巨木との出会いである。
急な斜面に両手を時々着きながら、カモシカにかなり劣るちょっと無様な姿勢で進んでいくと、栃の兄弟家族のような巨木数本が出迎えてくれた。
台風通過直後に落ちる実を求めて、鹿や近所の老人たちと競争になるのだという友人の説明を聞きながら、それぞれに季節ごとの色が違うのだなと、改めて感じ入った。結構急な、車道からかなり入る山道を鹿や老人が父に実を求めて歩く姿は微笑ましい。案内してくれた友人は29歳の女性なのだが、久しぶりに会う彼女の顔つき、体つき、そして目の輝きたるや、すでに山の人であった。家業である林業を継ぐために東京から三重の実家へ戻って早五年だという。
地下足袋に履き替えて、先頭だって山を行く姿は、なんだか羨ましくもあった。こういう人生が僕にもあったのではないかと思った。
そして、今回のテーマである巨木についていよいよ語ろうと思う。
まず、大きいものが持つ力について考えてみたい。それは巨鯨でも、巨木でも、巨星でもいいのだが、巨大なものというのは、あくまで同種、同環境内での相対的なものである。だが、それだからこそ、その巨大さが意味と力を持つ。いったいなぜ、巨大なものを出現させるのだろうか。