——細部にまでこだわる、非常にロジカルな作り方をしているのもそうした経験から来ている?
山田「そうですね。作品毎にコンセプトはあり、イス一脚とってもなぜそうなのかという理由付けが絶対にあります。後付けもあればこじつけもあるけど、毎回A4の紙に3、4枚分コンセプトを書いて臨んでいるんです。
MVは音楽家のためのものであるから、極論、MVはいらないのではという自問自答と毎回戦っていて。音楽家が作った曲だけで100%の表現だから、なにを撮ったとしても別の意味がつく。それを120%にするか、80%にするかの話だから、120%にするためには曲のこともアーティストのこともわかっていないといけない。とりあえずフォロワーの多いモデルを使うとかギミック寄りの技術がすごい動画、縦型動画はやらない。それは1週間はニュースサイトに載るけど、10年残るものにはならないから。基本的にいまの音楽業界はお金をかけずにニュースサイトの1行目に何を書けるかで勝負しているけど、それはアーティストの音楽を消費して無駄にしていると思うんです。僕はミュージックビデオとビデオミュージックという考え方を持っていて、ミュージックビデオだから曲の世界を大事にすべきなのに、ビデオのための音楽にされてしまっているものが多い。マスが求めているものを作ることを否定はしないし、もの作りは他者より自分との戦いなのでそこを意識もしないけど、僕なりの信念を持っていたいと思います」
——さしつかえない範囲でこれまでの作品のコンセプトを聞かせてください。
山田「それは個々が受け取るものだから僕はあえて何も言わないほうがいいと思います。僕は想像することが人間の原動力にあると思っていて。普段映画でなく本ばかり読んでいるのも、想像したいからなんです。映画業界も4Dなどでどんどん五感の再現をしようとしているけど、2Dの映画は絶対残るはずで、五感の一部を制限して想像を与えるということは絶対になくならない。再現の限界は来ても、想像力は尽きないから、映像という表現の中でも僕はそうしたいんです」
——ゲームも8ビットの時代のものが未だに人気なのも足りないものが想像力を掻き立てるから。
山田「そう。僕はアナログ志向というか、CG頼みのことはしない。宇多田ヒカルさんの“忘却 featuring KOHH”のMVでも、ライティングから顔が伸びる演出まで全部現場でアクリル板とか使いながら手作りでやったんですよ。手作業でしか生まれ得ないものがあるが絶対にあって、そうじゃないと心にこない。アナログ感というのは映像でも絶対心にくると信じています」
——手作りもそうですし、自然や身体というフィジカルさが再び大切な時代になってきていますよね。ひと昔前はデジタル一色の未来像だったけれどいまではもっとフィジカルなものと共生しているイメージがあります。
山田「まさに。本当の意味でものを作っている人は絶対にそのことをわかっていると思います。フィジカルで表現するためには大変な努力がいるんだけど、努力でしか結果は得られない。僕の大学はアメフトが全国3位くらいなんですね。高校は受験がないから強いけど、大学では全国からトップをかき集めたチームに圧倒的な能力差で負けてしまうんです。そこを覆すためには努力しかなかった。あと、練習でやっていることの7割くらいしか試合では出せないと監督に言われていたんですが、それも真理だと思います。だから現場に入るまでに詰め切って、あの絵が欲しいというのを再現しにいく。100%再現するために努力するけれど、7割くらいしか再現できない。事前準備を非常に大切にしているけど、逆に現場は手作業なのでかなり流動的です。撮り方が多少違っていても意味さえ残ればいいので、現場のムーブメントを大切にしています」