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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#40 京都散歩

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 だが、必要以上に難しく考えることはない。要は背筋を伸ばし肩の力を抜いてリラックスして歩幅もゆったりとして歩けばいい。意識は何かに集中するのがいい。自分の呼吸を観察したり、公園ならば木々や空気の香りでもいい。ゆったりと何かに心を預け、普段はいろんな場所へと拡散したままになっている心と意識を自分の中心に確かに結び、糸のついた凧を空に上げるように好きな何かへと預ける。そういう散歩は自分をとても癒してくれる。散歩というのは昔から詩人や哲学者、科学者、政治家、つまり考える人、感じる人たちに愛され続けてきたのだが、その理由は深遠な知識と意識の泉へと繋がっていることを彼らはよく知っていたからなのだろう。


 こういう例をあげた後では気恥ずかしいが、僕も散歩者の一人である。写真を撮ったりする実務もあるのだが、そのほとんどが瞑想と運動のためである。


 長年の散歩者でもある僕が最近気に入っているのが、京都散歩である。
 先日も、北野天満宮近くにある友人宅に数日寄宿して、朝暮の散歩をせっせと楽しんだ。天神さんという通称で親しまれている北野天満宮は菅原道眞様を祀っていることで有名だが、僕にとっては宇宙信仰の地として縁深く感じている。古来より各文明文化で天は崇められてきたが、僕は世界を世界として成立させ維持している大いなる力への畏怖が常にある。天神さんは朝の散歩にはうってつけの場所で、目覚めて間もない心身に、宇宙への意識をモーニングセットのように与えられるのは、贅沢の極みである。
 敷地の外れには京都の地における先住民とされる土蜘蛛が祀ってあるのも興味深い。歴史とは、先住民を征服した侵入者側の言い分が主であり、歴史の外には数多の角度からの正史があり、僕たちはついにそれらに出会うこと少なく、歴史歴史とのたまうのだ。
 さらに天神さんより少し北に散歩すると、花山天皇陵が住宅地に忽然と現れる。花山天皇はかなり破天荒な芸術家肌の方だったらしく、僕もその伝を熊野で知って以来、ファンである。その方の御陵がいきなり現れたのだから驚きを通り越して、さらなる強い縁さえ感じてしまった。

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