──『彼らが本気で編むときは、』はこれまでの荻上作品とはかなりトーンが違いますね。穏やかな空気感や、ほっこりとなごめる描写はもちろん健在ですが、同時にシリアスな人間関係や葛藤もリアルに描かれています。監督はなぜ今回、トランスジェンダー(出生時に診断された性と自分が認識する性が一致しない人)の問題を正面から取り上げようと思ったのですか?
荻上「きっかけはすごく身近な経験というか、疑問で……。前作『レンタネコ』(2012年)を撮り終えた後、文化庁の新進芸術家派遣制度でアメリカに留学させてもらったんですね。向こうで暮らすとLGBT、いわゆるセクシュアル・マイノリティの友人が普通に増えていったんです。もちろん環境にもよるんでしょうが、少なくとも私の周りではみんな、構えることなく当然のこととして受け容れていました。それが日本に帰国したとたん、視界からさっと消えてしまった印象があって。『え、これって何なんだろう?』と」
桐谷「その実感が最初だったんですね」
荻上「はい。テレビをつけると、“オネエ”と呼ばれるタレントさんがたくさん出演していて。日本でも何となくLGBTが市民権を得たような雰囲気もありますよね。でも、本当にそうなのかなって。で、そんな疑問を抱いていたとき、ある新聞記事を目にしたんです。そこにはトランスジェンダーの息子のため、胸に着ける“ニセ乳”を作ってあげたお母さんの話が紹介されていました。そのお話を読んだとき、自分のなかで新しい映画への思いが膨らんでいきました。トランスジェンダーの人がただ悩んでいるのを描くんじゃなく、ときには傷付きながらも、現実にしっかり生きてる姿を映画にできないかなって」
桐谷「そういうリアルさというか日常感は、僕もすごく感じました。たしかにトランスジェンダーを描いてはいるけど、決して頭でっかちじゃない。登場人物みんなが生きているんですね。実はマキオを演じるにあたって、僕もいろいろ事前の役作りを考えていたんです。身の回りにいるゲイやトランスジェンダーの友人に話を聞いて、『こういう感じかな』って自分なりにイメージを膨らませたりして。でもクランクイン前、(生田)斗真も含めてみんなでゴハンを食べにいったでしょう?」
荻上「はい、いきましたね」
桐谷「そのとき荻上監督が『実はマキオには、うちの夫のイメージもちょっと入ってるんです』って仰ったのを聞いて、意表をつかれたんです。監督いわく『うちのダンナは服装も全然オシャレじゃないし、話にオチもない。でも、とにかく優しい人なんです』と」
荻上「ははは」
桐谷「それを聞いて、ストンと腑に落ちたというか……。僕のなかにマキオという男性が染みこんでくる感覚があった。リンコ目線からのマキオ像が見えて、それは大きなヒントになりました」
荻上「モデルというほど、大げさなものじゃないんですが…。ただ、マキオを表層的なかっこよさで描きたくなかったという気持ちはありましたね。だから桐谷さんにも当初、『この人はダサくてモサイ人なんです』って、必要以上に強調しちゃったのかもしれません(笑)」