自身の頭文字にモダンストリートウェアという冠をつけたブランドを生み出し、破竹の勢いでシーンを席巻しているデザイナーTAMASHABU。時流を読み、昇華させる卓越したセンス、クリエイティヴへの確固たる視点、OTOGIBANASHI’S、OKAMOTO’S、KANDYTOWNといったストリートの中心軸を固める面子らと密接なコネクションーーこれから更なる飛躍を遂げることを確信させるファクターを備えたTAMASHABUに話を聞いた。
——いつから洋服作り始めたんですか?
TAMASHABU「ブランドとして初めて作ったのは19歳ですかね。文化(服装学院)の1年の時。ラフォーレ原宿で何人かでポップアップショップをやることになったのがきっかけです。その時はお金がなくて1型しか作れなかったんですが、そこからちょっとずつ増やしていきました」
——初めて作った服は?
TAMASHABU「スウェットです。ラビットファーのラグジュアリーなスウェットを作って、受注制にして販売したんです。そしたら50着くらいオーダーがついて、1着を3万5千円で売ってたから100万円くらい儲かったんですよ。それで『うわっ、すげぇ! 俺ブランドやれるかも』って感じで始めました」
——ラフォーレの次からは、どういう販売経路を作っていったんですか?
TAMASHABU「1回目の展示がたまたまいろんな大人の人の目に止まって、『生産をやらせてほしい』『セールスプレスやらせてほしい』という連絡がきて。それで4K!(プレスルーム)の合同展に出たら、DARUMAさんが推してくれたりして」
——それも偶然?
TAMASHABU「いや、友達の浅野啓介がDARUMAさんのブランドのモデルをした時に知り合って。それで横のブースで出展させてもらいました」
——そこでまたさらに声がかかって、今に至ると。
TAMASHABU「そうですね。その時に、卸すお店も決まって」
——ちなみに2回目は何型出したんですか?
TAMASHABU「7型くらいです。友達に手伝ってもらって、学校で全部手縫いしてました(笑)」
——えっ、じゃあ最初の50着も?
TAMASHABU「そうです」
——それはすごい。一点物だ。その次はスウェットとパンツと?
TAMASHABU「アウターとか。ちょっと舞台衣装に近いものでした」
——というと、今よりストリートの要素が薄かったんですね。
TAMASHABU「はい。元はモードなブランドが好きで。でも同時にストリートも好きだったんですけどね」
——モードというとどのあたりのブランドが好きでした?
TAMASHABU「RAF SIMONSがずっと好きで。高校生の時はそのあたりばかり見てました。構築的なデザインが好きで」
——建築からの影響もありますもんね。
TAMASHABU「そう。洋服からインスピレーションを受ける人より音楽や絵、建築物から作ってる人の服が好きかもしれないですね」
——TAMASHABUさんは何からインスパイアされて作ってるんですか?
TAMASHABU「うーん、何ですかね。本はめっちゃ読みます。文化(服装学院)は図書館がすごいんです。リュックができる仕組みや昔の車についてなどのプロダクトデザインの本もあるので、そういう所からアイデアを得たり。不必要なデザインはしたくないんですが、パッと見て可愛いと感じるのも大切にしてます。僕にとって、デザインは編集作業に近いんです。イラストレーターで組み合わせるイメージなので、オリジナリティを求めてパッと思いつくという感じではなく、資料を読んで、古着屋さんに行って、サンプリングしてとかばっかりやし、なにがなんでもオリジナルを追求するというよりセンスが良ければいいってタイプだし、それが得意だと思ってます」
——0から1を生み出すクリエイティヴでありたいというのは、みんなこだわっていて捨てられない部分ではあるけど、編集作業だと自分で言いきれる時点ですごいです。
TAMASHABU「それはそれですごい人がいて勝てない。僕は得意なところをやっていったほうが勝てるんで」
——なるほど。本以外に情報を得ているところというと?
TAMASHABU「ネットも見ますし、インスタとかも。海外のミュージシャンやアーティストは絶対チェックしますね。音楽自体もそうですけど、ヴィジュアルもかなりディテールまで見てます」
——ヒップホップのアーティストが多い?
TAMASHABU「ヒップホップの人は一番のアイコンだからチェックしてますね」
——一方でモードのコレクションも見て。その中で自分なりに編集作業して落とし込む。
TAMASHABU「いろんな所に行って写真を撮りまくって、2千枚くらいフォルダに貯めて、それを見返して服を作る作業です。いろんな建物を撮って、見て、作っていく、みたいな」
——シーズンごとにテーマとかあるんですか?
TAMASHABU「あ、はい。一応ありますね」
——それはフォルダを編集していくと、一つのカラーが見えてくるという感じ?
TAMASHABU「見えます。こういう気持ち、こういうムードなんだなとか。ムードを感じとるのは一番得意かもしれないです。そこはミスらないと思います。ちょうどいいところでやれてると思います」
——それは最初に服を作った時から感じてました?
TAMASHABU「その察知能力みたいなものは、自分が服着てた時からありました。好きで流行るだろうと思って着てたら翌年流行ったり、積み重ねで実感があったんで。VETEMENTSとかKOCHEも流行る前からめっちゃ好きで着てました」
——当初思い描いていた自分のブランドイメージと今を比較してどうですか?
TAMASHABU「徐々にブランド像が変わってきたと思います。最初は着たいものを好き勝手に作ったらいいやと思っていたんですけど、今はわりとビジネス的に考えてるかもしれない。どういうものが売れるのか、どうしたらいい方向にブランドを持って行けるのかとか」
——ストリート色が強くなっていったのはマーケットを意識し始めたから?
TAMASHABU「そうですね。デザイナーはアーティストとは違うので、ちゃんとそういうことも考えてやらないと意味ないなと思って。アーティストとして生きるなら好きなことをやっていいけど、デザイナーでブランドやってるとなると、ちゃんとお金を作って、回して、やり続けることが一番大事。デザイナーってそういう仕事なのかなと思います。格好いいことだけやるのは、ある意味簡単な気がするんです。だから『どうなりたいの?』って言われた時にはいつも、『売れたいです』とだけ言おうと思って。それ以外、何でもないなって」
——明確ですね。そういう発想に行き着いたのは何か理由があるんですか?
TAMASHABU「生活している中で、したいことがすごくたくさんあるんです。そのためにはお金がいるし、生きていく中でいろんなお金がかかると考えた時に、ブランドでちゃんと稼ぐというのは自分が幸せになるためには必要不可欠だと思います」