『ショコラ ~君がいて、僕がいる』オマール・シー
今後、みんなに覚えておいてほしい。僕の前にショコラがいたことを――。
――以前からショコラの存在は知っていましたか?
オマール「いや、2011年に彼のことを知ったよ。マンダリン・シネマ製作のダヴィド・シャロン監督作『アンタッチャブルズ』を撮影していた時に、ある晩、プロデューサーのひとり、ニコラス・アルトメイヤーが僕の控室に入って来た。そこで、ショコラの人生に基づく映画を製作したいという話を聞いた。まだ脚本は出来ていなくて、ちょっとした資料だけだったけど、とても興味をそそられた。その時に、ショコラがフランスで初めて成功を掴んだ黒人芸人だったことを知ったんだ。20世紀初頭、彼はジョルジュ・フティットとコンビを組んで、ふたりのパフォーマンスが、ホワイトフェイス・クラウン(知性派)とオーギュスト・クラウン(おとぼけ役)という概念を生み出した。フランス語で『エートル・ショコラ』(騙される)という表現があるんだけど、ショコラの道化師としての特徴が言葉の起源だったとは知らなかったよ。(原案の)ジェラール・ノワリエルの著書を読んで、さらにやる気がわいた。その6カ月後、シリル・ジェリーによる脚本の第一稿が届いたんだ」
――この作品のどこに惹かれましたか?
オマール「ショコラの人生に感動した。奴隷として生まれ、そこから逃げ出して芸人になるという信じられない人生だ。それを成し遂げるのに、どれだけの努力と勇気が必要だったことか。成り上がっていく部分も転落していく部分も等しく面白いと感じたよ。ショコラは、黒人に対する固定イメージを利用して、みんなを笑わせた。社会が成熟するにつれて、人びとの黒人に対する意識も向上して、黒人を笑うことを好まなくなった。人種差別を受けていた人たちにとってはいいことだったが、ショコラにとっては違った。そして、彼の存在は忘れられていった。ショコラはアーティストだった。僕は、彼の物語、そのパフォーマンスと才能をみんなに知ってほしいと思った。それに、黒人の俳優が出演できる時代ものの作品はわりと少ないからね」
――芸人ショコラの影には、ラファエル・パディーヤという男がいます。彼をどう見ていますか?
オマール「楽しみを求める子どものような男だ。奴隷の息子として生まれ、自分自身も奴隷として育ったことは、相当な重荷だったにちがいない。奴隷でなくても、いつでも自由を感じられるわけじゃない。ショコラのように、それが現実だったとしたら、どんな風に育って、どうしたら心が満たされるだろう。それでも、彼は夢を叶えた。すごい強さだよ。彼は、パフォーマンス、笑い、喜びの中に自由を見つけた。またそれとは別に、彼には自分のいるべき場所が必要だった。栄光の瞬間を掴み取るのが最も大変だっただろう。まるでジェットコースターのような人生さ。輝かしい瞬間の後に、孤独がやって来る。もし彼が路上で人生を終えたなら、それは無意識のうちに彼が望んだことだったのだろうと思うよ」