アロマテラピー。
すでに知れ渡った王道ヒーリングメソッドだけど、あらためておさらいしてみたいと思う。今年最後の新月譚として、旧知の友人と会うような感じで、落ち着いて読んでいただけたら。
アロマテラピーとは、直訳すれば香り療法で、植物から抽出されたエッセンシャルオイル(精油)を用いた健康法というのが一般的な定義だ。だが、その香源をエッセンシャルオイルだけに限定せずに、季節の花や潮風の香りで緊張した心が和らいだり、好きな人の体臭に癒されたり、ハーブティーを飲んだりと、香りを楽しむということ全般もアロマテラピーと言えるだろう。
日本には室町時代に整えられた香道があるが、それ以前の仏教伝来と共に香木が伝えらえられ、宗教儀式や平安時代の貴族の遊びやたしなみに浸透していた。もともと自然観察において秀でた繊細な感覚を持っている日本人にとって、香りというのは、おそらく一般市民の間でも随分昔から楽しまれていたと思う。
普段、芸術に無関心な人ですら、冬の焚き火や、街路樹の匂いを口にするくらいだから、香りというのは、生活の彩りとして古くから楽しまれてきたに違いないと思うのだ。
見聞という言葉があるように、嗅ぐという感覚は空気に触れるかのように地味なものとされ、「見聞」より一段低く扱われてきたようだが、きっと私たち人間は、世界を目や耳だけでなく、鼻を使ってしっかりと捉えてきたのだ。もっと嗅ぐことが一段も二段も上がっていいと思う。
そう鼻息を少し荒くした私だが、嗅覚にはちょっとした自信があり、「ん?臭うな」などとクンクンしながら周囲を見渡すことも多く、居合わせた人を怪しませることも少なくない。自分以外は気づかない匂いを探し当てた犬の孤独を、私は少しだけ知っている。
嗅覚が敏感なのは良いことばかりではなく、都会の雑踏においてはむしろその能力を封印しておきたいくらいだ。特に夜更けの飲食店街などにおいては。
数年前から嗅覚に膜がかかってしまった母は、食べ物が美味しくなくなったとぼやいている。老齢が原因なので仕方ないとしても、とても気の毒で、匂いのぼやけた世界というのは、食事だけに限らず色彩を失うに等しいのだろう。
そんな母の事例もあって、今こそ改めて香りを楽しんでいこうと思った次第だ。
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