座禅会に参加したりして、ある程度理解できたらなら、自宅ですることもできる。
起きて半畳寝て一畳の言葉にあるように、半畳のスペースさえあれば、座禅はできる。部屋を片付け綺麗にし、そこにお気に入りの香でも焚けば、そこが小さな禅寺になる。
自分は、名刺サイズに折り畳まれた白隠禅師座禅和讃(青幻舎)を持ち歩いているので、出張先のホテルや公園などで開いては、小さな一人座禅会を時々やっている。和讃とはお経のことで、それを読みながら調身、調息、調心を心がけるだけで、かなり効果がある。1時間も粘る必要もなく、10分だけでも足りている。慣れてしまえば、座禅の心地よさにすっと短時間に入っていけるようになる。コーヒーを飲めない私にとって、一息つくような心の休憩所に座禅がなっているといっていい。
座って行うのを座禅とするなら、立ったままできる立禅というのもあるので、電車待ちでも立禅をすることもある。つまり、禅というのは生活の繋ぎとして、とても手軽にで出来るものでもある。
ただ禅寺のお堂で、お経を聞きながらの座禅は、やはりいいものである。おそらくあの場所での体験があるからこそ、自宅や路上で再現できるのだろう。
当処即ち蓮華国(とうしょすなわちれんげこく)
此の身即ち仏なり(このみすなわちほとけなり)
白隠さんの和讃の最後はこの句で締められている。こここそが最高の場所で、そう思えれば私たち自身が仏なのだと白隠さんは言う。座禅をしていると、ふとそう感じる瞬間がある。迷いも悩みも無くなって、ただ自分がここにいることの喜びが訪れる瞬間。ただそれはすぐになくなってしまうのだが、味わえることは素晴らしい。そんな瞬間が増えることは幸せである。
※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#37」は2016年12月29日(木)アップ予定。