最初に思ったのは、2016年に生まれるべくして生まれたコスモポリタンな音楽が鳴っているということだ。匿名性を重んじ、日本人アーティストというギミックを徹底的に剥ぎ、あるいは暗闇で覆うビジュアルやライブのライティング。ポストダブステップ以降のベースミュージックやインディR&Bを経由したモダンなミニマリズムとメロウネスをただならぬ緊張感でコーディングしたサウンド。一方で、ブルースをルーツに持つボーカリストのスモーキーなボーカルと底知れぬ怒りをはらんだ内省的なリリックを担保しているのは、タフな人間力だ。彼らのプロジェクト名であるyahyel(ヤイエル)とは、ニューエイジ思想家であるダリル・アンカが発案した2015年以降に人類と初めてコンタクトを取る異星人の呼称である。1stアルバム『Flesh and Blood』は、コスモポリタンな音楽で世界中のリスナーと交信しようとするyahyelが最初に掲げる、血と肉だ。ボーカルの池貝峻、サンプラーの篠田ミル、シンセサイザーの杉本亘、VJの山田健人がインタビューに応じてくれた。
——いきなり下世話な話のようでホントに訊きたいと思っていて。yahyelにとってピコ太郎みたいなハネ方で海外に届くのって一番ないパターンだと思うんですけど。
一同「(笑)」
篠田ミル「僕、ピコ太郎の『音楽』についていろんな人たちが説明しようとして失敗しているのを見てずっと思っていたんですけど、あれってただのYouTubeにおけるインターネットミームのひとつにすぎないですよね。PSYの『江南スタイル』以降、Drakeの『Hotline Bling』のカバーが流行ったり、いろんなダンスチャレンジが流行ったりするのと同じで。だから、なんで日本人はみんなこんなに日本の『音楽』が流行っている!って大騒ぎするんだろうって」
杉本亘「そこはミルくん、さすがの視点だよね」
篠田「YouTube野郎としてのね(笑)」
池貝峻「あれは音楽っていう文脈じゃないですよね」
——でも、全米ビルボードでトップ100云々とかフィーチャーされると、日本人の音楽として認識される側面もあるわけで。ピコ太郎に罪はないけど、そこで文化的に損なわれる何かはあると思うんだけど。
池貝「ホントそう思います。僕はその損なわれた部分がすごく悲しいですね。ただ、あれは日本というギミックですらないとは思うんですけど」
篠田「海外の人は日本人だとわかってないんじゃない?」
池貝「おおまかに捉えたアジア人像って感じだよね。見た目から付与されるアジア人のギミックを利用した芸で。それを日本人が喜んでるのが疑問というか」
篠田「そこだよね」
池貝「もちろん、彼があの芸でメイクマネーすることはいいんですけど、受け手は自分たちにこういうアイデンティティが付与されているということにあまりに無関心じゃないですか」