NeoL

開く

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#34 短歌

DSC05084

で、言葉の断捨離としての和歌なのだが、一般的な断捨離と同様に、自分にとって本当に必要なことが、はっきりとわかる。もしくは、わかるようにと意識が向けられる。
例えば、「好き」「好む」「愛する」「欲する」「必要とする」「嫌いじゃない」のうちどれを使うかによって、その対象と自分との関係がはっきりするし、そうだとしたら、自分の立ち位置もがはっきりする。短歌をつくり、それが嘘のない自分の心を反映したものだとしたら、自分を知り、再発見できる。それは言葉の地図となって、自分の在り処を見せてくれるだろう。自分のことを知るというのは、ヒーリングである。これは案外なかなか経験しづらいこと。それを和歌がもたらしてくれるのだ。

私ごとは例にとれば、数年前にブータンで過去と未来を見れる人にこう言われたことがある。「過去世において、あなたは修羅の王の子であった」はじめは王の子なんてちょっといいかも、修羅ってのも格好いいしな、と呑気な感想を持っていたのだが、よくよく考えれば、修羅界とは、人間界と地獄界の中間という、禍々しい世界のことで、人間以下であることは、間違いない。だが、それはそれで良かった。信じる信じないでいえば、あまり信じていないのだが、ある見方によれば、私は修羅の世界に生きているように見えるというのは事実なのだろう。その事実はなんとなく、私の背後にいつもある気配を伴ってぴったりとくっついている。事あるごとに、自分は修羅だからなあ、と思うこと度々だ。宮沢賢治の詩にあるように「おれはひとりの修羅なのだ」と。


修羅ならば修羅そのままに修羅としてこの身を清めこの空に溶け


この歌には、修羅としての自分を否定せずに受け入れて、その上でどう生きるかという気持ちを込めた。空は宇宙を表していて、途上では修羅であるがために困難があるだろうが、最後は世界と調和したいという願いがある。こんな感じで、歌を作ることによって、自分を知り高めようとする意識を育むことだってできる。それはセルフヒーリングともなるのだ。

とはいえ、最初から重いテーマを扱う必要もない。そもそも生きるということは正直そんなに重いことじゃないと思う。写生的な歌を楽しみながら、次第に歌が自分の知らない場所へいつの間にか連れて行ってくれることだろう。でも大丈夫。迷子にはならない。あなたの作った歌が帰り道をも教えてくれる。

※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#35」は2016年10月31日(月)アップ予定。

1 2 3 4

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS