ーー 企画を考え始めたときから、家族への取材を始めたのですか?
エイミー「そうですね、2008年にはじめてポート・アーサーを訪れたときから、撮影を始めていました。まだそこに住んでいた人すべてに話を聞き、幼かったころのジャニスの写真をみつけました。しかしそこで、故郷に残っているひとたちと、その街を去った親友と呼べるひとたちとでジャニスへの印象や記憶が、大きく異なっていることが明らかになってきました。今はオースティンに住んでいるジャニスの高校からの親友に、最初のインタビューを敢行し、おぼろげなら10代のころのジャニスの輪郭がつかめてきました。それからというもの、可能な限りジャニスに関する情報を逃さないようにし、ニューヨークを訪れたときには、すかさず、ディック・キャベットにコンタクトをとりました。
しかし、家族への取材は、後にとっておくようにしたのです。ジャニスの家族に会ってお話を聞く前に、大人になってからのジャニスの情報をすべて入手しておいた方が良いと思ったからです。
手紙は、この映画にとって特に重要でした。家族や友だちとの関係を知るヒントをくれるだけでなく、ジャニスは手紙の中ではいつも自分自身に正直であろうとしていたです。
ビッグブラザー時代のバンド仲間への取材を通して、輝きに満ちた目をしながら、一方で恐れを抱きながらテキサスを逃げ出し、カウンター・カルチャーが吹き荒れるサンフランシスコに飛び込んでいったジャニスの心のうちが徐々にみえてきました。ジャニスがバンドをすぐに解散させたことは彼らに大きなショックを与えましたが、それでも、彼女の葛藤や苦悩は、彼らがいちばんよく分かっていたのかもしれません」
ーー撮影を通して、ジャニスについて新たに発見したことはありますか?
アレックス「 大事なのは、ジャニスの人生の中にどんな物語がひそんでいるのかということでした。ステージ上では、あんなに大胆で、厚かましく、そして好き放題暴れまわっていますが、素顔のジャニスは、常に愛情や承認を強く求めていて、とてもシャイで、か弱い女性です。皆が同じように生きることを望まれるような土地で、周囲の人間とは違う考え方をもち、何者かになりたいと思っていた彼女は、自分でも思い悩み、周囲からも酷いいじめを受けました。思春期に深い傷を受けたのです」
エイミー「彼女がいかに繊細な性格の持ち主だったか、そして、失敗することへの恐れがいかに彼女の心を覆っていたかを知り、驚きました。
彼女はとてもパワフルでしたが、少しでも失敗したらすぐさま全てのことを失ってしまうのではないか、といつも不安を抱えていたようです。
彼女は自身に、女性として、またアーティストとして、いつもプレッシャーをかけていました。名声を手にしたスターとしての目まぐるしい日々と自分が心から望んでいる生活の間の溝をうめようともがいていたのです。しかし、それは、結局うまくいきませんでした。友人らが何度も語っているように、ステージから降り、ひとりで家に帰っていくときの彼女はいつも孤独にさいなまれていたのです」
ーージャニスの手紙について教えてください。未公開のものもたくさんありますね。その中で、使おうとした手紙の決め手というのはなんだったのでしょうか。
エイミー「なによりもまず、ジャニス自身に、人生を物語ってほしいと思っていました。ジャニスが残した幾千もの手紙や日記を丁寧に読みこんでいくと、その中で同じテーマが繰り返し語られていることが分かります。それはつまり、『ポート・アーサーのジャニス』と『サンフランシスコのジャニス』との間での葛藤です。そのため、家族に連絡を取っているときと内省的になっているときの手紙を中心に構成しようと決めました。ジャニスが切実に、心情を吐露している手紙を使い、彼女の素顔にできるだけ近づきたいと思いました」
アレックス「 エイミーは、日記や手紙といった内面的なものと、その他の資料のバランスをとることに苦労していたようにみえました。そして、誰にこの手紙を読ませるのか、ということにも。エイミーがナレーションとして選んだキャット・パワーには、力強さだけでなく、シャイネスがあります。それがうまくはまっていると思います。個人的にも彼女のことは大好きで、自分の作品のなかでも、彼女の音楽を多く使っています。彼女の声には、傷ついた詩人が詠んでいるかのような独特の美しい響きがあり、それに加えて、彼女はジャニスと同じ南部の出身でした。彼女の声色は聞くというよりも「感じる」というものです。撮影時、彼女には、ジャニスの精神が憑依していたかのようでした。完璧な選択だったと思います」