この季節になると、野外フェスの話題が交わされることが多い。その都度、音楽の力の素晴らしさを感じるのだが、実は私はただの一回も行ったことがない。何故かは分からないが、地元の沖縄で開催されるフェスにも参加したことがないので、地理的な問題ではないだろう。いい加減そろそろ縁があってもいいとは思っているのだが。
ギリシアの哲人アリストテレスは「詩学」の中で、鬱積したものを解放し魂を浄化させるカタルシスという概念を語っているが、音楽にはカタルシスへと導く力があって、それは宗教的な体験と言うこともできる。そのカタルシスを屋外の大自然のエネルギーに包まれて集団で体験するというのは、きっと大きなものだろう。
その一方で、一人で静かに音楽と向き合うのも大きな楽しみ方だろう。「音楽は魂を整える」とピタゴラスは言っているが、目を閉じてリラックスしながらも静かに集中して聴く音楽には、魂に深く深く染み込む力がある。美しい音楽を耳にすると、つい目を閉じてしまうのも、魂の調整へと向かう身体的な反応かもしれない。
カタルシス、調和、その混合、いずれにしても音楽には、魂のバランスを取るヒーリングの力があることは、多くの人が認めることだろう。
そして、その音楽を支える仕組みとなる音階には基準となる音があって、ドレミファソラシドのラの音が基準音として通常440ヘルツに合わされている。ヘルツとは一秒間に空気が振動する回数の単位で、現在では国際的にラの音がこの440ヘルツと定められている。ラよりも高い音域は、440ヘルツよりも高い周波になり、逆に低い音域は低い周波になる。
基準となるヘルツは、実は時代や地域によって様々だったのが、現在では国際的に440ヘルツに指定されている。世界には無限に音があるのに、基準を作るのは考えれば不自然なことで、実際モーツァルトの時代には、ラは422ヘルツであったと言われている。この440ヘルツ設定に関しては、陰謀論的な見方から様々な憶測が囁かれているが、ここではそれには触れないでおく。深すぎるので。
(2ページ目につづく)