――遼はSANABAGUN.でもTHE THROTTLE でも“平成生まれ”、“ゆとり教育世代”ということをキャッチフレーズ的に用いるじゃないですか。
高岩「そうですね。俺は単純にオッサンが嫌いなので。団塊世代のオッサンが嫌いだし、カッコよく見えるんですよ。たとえばバンドマンでもキャロルがいた時代とかは何かあったらすぐ殴るし、口にする前に行動を起こすみたいな男が多かったと思うんですよ。いまみたいにデジタルのデータに頭が洗脳されていなかった時代は。その日本男児を背負っていた感じがすげえウザいしカッコいいなと思って」
――ウザいしカッコいいという表現が遼らしい。
高岩「そういうオッサンたちが新しい世代のやつらをどうこう言うのは仕方がないとも思うんですけど、『いやいや、ふざけんじゃねえよ。俺らはおまえらより速く走れるし、肌もツヤツヤしてるんだよ』って思うんですよ。『これ(iPhone)イジってみろよ?』とか。『は? こっちの世代はこっちの世代で超カッコいいんだけど?』みたいな。それをSANABAGUN.でもTHE THROTTLEでも、SWINGERZでも、亮平とも一緒にアピールしたいというか。ゆとり世代って協調性がないとかよく言われるじゃないですか? 『いやいや、そんなことねえし!』っていう、そういう部分も大事にしたくて。俺は人がやらないことをやったほうが目立てるってことをずっと意識してるので、『ゆとり教育? ダセえ、じゃあ俺が背負ってやるよ』っていうのは半分本気、半分ジョークって感じですね」
――遼の人を巻き込む力はすごいよね。
呂布「すごいと思う。遼はいろんな人を巻き起こす中心にいながらクールにキメて、いろんな人が寄ってくるっていう。俺はそういう感じじゃないから。自分で人を集めて、そのなかでイエーイ!ってやる感じで」
高岩「俺は逆に亮平がいろんな現場に顔を出して、みんなとフランクに話して、自分が所属していないチームからも人を引っ張ってこれる力に学ぶところがあるなと思うけどね。ラッパーのマインドとして、素晴らしい愛嬌があると思う。それはEPのリリパでも感じたことだし」
――遼の人の巻き込む力はどこで養われたと自分では思いますか?
高岩「末っ子というのはあるかもしれないっすね。末っ子といっても2歳上に姉貴がいるだけなんですけど、反面教師というか、いかに怒られないでヤンチャできるかみたいな術はガキのころに身につけたのかもしれない。いかに校長の信頼を得て、『高岩、おまえなあ……しょうがない、部活に行け』みたいな(笑)」
――呂布も遼も自分の表現をアウトプットする場が多いですよね。そこもふたりが共鳴するポイントなのかなと思っていて。
呂布「頭のなかにある自分の表現したいことって、ソロの作品では成立しないこともあって。別のアウトプットでストリート寄りのアプローチをしたりとか」
――ストリート感というのはKANDYTOWNの一員として出している部分でもあるだろうし。
呂布「そうそう。ソロではやれない、やりたくないアプローチを客演だったらできることもあるし。その使い分けをしてる感じですね」
――ソロ以外のアウトプットを数多く経験することで、ソロでやるべきことが定まったところもあるんじゃない?
呂布「そこはね、考えが変わったんですよ。いままではひとりで全部なんとかしようと考えてたんだけど、それには限界があるということを知って。いままでは人に何かを頼んでそれが上手くいかないと怒っちゃうところがあった。でも、いまは見返りを求めないというか、失敗してもいいよくらいの気持ちで構えることを覚えて。それをなんとなく意識するようになってからフラットに人に頼みごとができるようになったんですよね」
――思考が柔軟になったのかな。
呂布「そうかもしれない。人に頼みごとをするのってよっぽどのことがないとできないと思ってたんだけど、冷静に考えたら俺も人に対して『いつでもラップするよ』みたいなノリだし。他の人もそう考えてくれてるのかなって思えたときに自分がひとりでやってもできないことを人に託してみてもいいのかなって思えるようになったんですよね。音楽も出来事も、そこに完璧な答えなんてないじゃないですか。いままではたどり着けないゴールをずっと目指していたんだけど、いまはゴールにたどり着くためにコンコンって誰かの家のドアを叩いて『ちょっと休憩させてもらっていい?』って言えるようになったのがポイントかなって」