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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#31 アーシング

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雑草を抜いたり、ガーデニングの土作りなどで地球に触れると清々しいのは、アーシングになっているからだ。砂浜で裸足になって貝殻を集めて過ごす時間が、あんなにも清々しく、懐かしいのもアーシングの効用だ。
広い公園をグーグルマップで見つけて、バスや電車に乗って出かけていく。裸足になるために水筒とおにぎりと文庫本を持って出かけていく。きっと帰り道の自分は豊かに満たされているはずだ。小さな悩みや不調のあれこれも、不思議と静まり、消えたりしているだろう。ちゃんとした自分に帰ったからだ。
人類は夜空を見つめて、正座や暦を作り、大いなる世界に思いを馳せてきた。科学の進歩で、地球もその夜空の一部なのだと、ひとつの動き続ける星なのだということが分かった。要するに、私たちが今立つ場所も、宇宙の一部なのだと気付いた。
だが、その深淵ともいえる事実を、私たちはどこかに閉まったまま開くのを忘れがちだ。
裸足になって、地球とつながること。地球とつながっている意識を広げて、宇宙とつながっているという意識を戻すこと。わたしたちは、宇宙の一粒なのだと心に染み入ること。それを感じ取り、調和の中に入ること。それがアーシングなのだと思う。
自分の足の裏を宇宙に触れさせて、心を宇宙に広げてみる。物理的な行動範囲というのは、仕事先との往復、いつもの店、などわりと決まった範囲でしかないが、心は宇宙まで行ける。心の自由は身体の自由度を大きく超えて無限だ。宇宙の果てにまでだっていける。裸足になって目を閉じて、心を旅立たせる。遠く、遠く、自分が行きたい場所、空間、まで。その実感が得られたら、それは幻ではない。身体がそこにあることが全ての経験の担保になるとは思わない。心が行き着ける場所が経験の場所なのだ。
アーシングは、私たちの生きる場所を大きく、遠くまで広げてくれる。大きく呼吸することを気づかせてくれる。地球は、宇宙は、ここにあると、触れさせてくれる。
靴を脱ごう、靴下を脱ごう、裸足になろう。宇宙を歩こう。


(つづく)



※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#32」は2016年8月3日(水)アップ予定。
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