──主演の池松壮亮さんと菅田将暉さん。スクリーンで観ると、どちらも自然な存在感が素晴らしかったです。実際に芝居を撮ってみてはいかがでした?
大森「いやぁ、楽しかったですね、やっぱり。今回『セトウツミ』を撮るにあたっては、2人の距離感がすごく大事だと思っていたんです。彼らが座るポジションに端的に表れているんですけど、いつも人ひとり分のスペースが微妙に空いているでしょう。近すぎもせず、決して遠すぎもしない。互いの境遇に同情するわけでもなく、むしろ淡々と、そしてどこまでも対等な立場で喋っている。今回、池松君と菅田君には細かい演出をほとんどしませんでしたが、2人ともその空気感を見事に出してくれました」
──細かい会話の間とか動きも監督からはあまり指示せずに?
大森「うん。それをやっちゃうと、振り付けになっちゃいますからね。観客はそんなのが観たいわけじゃなくて…。最終的には、内海という高校生を演じる池松壮亮がそこで何を考えているのか。瀬戸という男の子と一体化した菅田将暉が、その瞬間に何を感じているのかが知りたいんだと思うんですよ。そこまで行って初めて、他の役者とは取り替えがきかない何かがスクリーンから出てくる。だから、池松君と菅田君には『今この2人は何を考えてると思う?』と聞いたことはあるけど、『こういう風に演って』と演出したことは一切ない。これは『セトウツミ』に限らず、僕の映画との向き合い方ですね」
──大森監督から見て、池松壮亮と菅田将暉という俳優の魅力は?
大森「菅田君はね、ちょっとした表情ひとつで無垢なキャラクターと嫌な奴のどっちにも転がれる。というのは、一緒に映画を作ってみて分かったんだけど、彼は自分の見え方をまったく意識してないんですよ。現場でどう撮られていて、その結果スクリーンにどんな風に見えるのか、どうでもいいと思ってる節がある(笑)」
──へええ。イマドキの俳優さんには、ちょっとめずらしいタイプですね。
大森「と思います。最近の若い子はどうしても自意識に縛られがちで、しかも雰囲気から作ろうとするからね。ただ、僕はワークショップでもよく話すんですけど、いわゆる空気感みたいなものって、あくまで芝居をした結果生まれるものだから。菅田君はそれがよく分かっていて。自分は役になりきるのが仕事で、その姿がお客さんにどう映っても構わないと割り切っている。それって結局、俳優としての強度なんですよ」